Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
昔、犯罪が起きた際に、警察が「目撃者によると、犯人が使用した逃走車両は”白いサルーン”だった」と発表しているのを聞いて、釈然としない気持ちになった。いくら車に興味がなかったとしても、もう少しましな表現があったのではないだろうか。
もし私が目撃者なら、もっと具体的に説明できる。「グレイシャーホワイトのヴォクスホール・キャバリエで、ボディサイドに赤のストライプが入っていて、大型のフロントバンパーが付いていたので、おそらく1987年以降のモデルのSRi 130だろう」くらいは言える。当時の私にとって、それくらいは当然だった。
私が10歳のとき、父のコーティナ1600Eが修理から戻ってくると、コーティナ1600スーパーのグリルが取り付けられていた。それを指摘しても父は「どうでもいいじゃないか」と言ったのだが、私はそれが許せなかった。
でも、今やそんなことを気にすることはなくなった。今の車は木や牛乳瓶と大差ない。ありとあらゆる車が似たり寄ったりで、歩く自動車百科事典こと私がもし犯人の逃走車両を目撃したとしても、警察には「えっと…白いサルーンでした」と言うことしかできない。
先週、玄関の前に新しい試乗車が止まっていることに気付いた。玄関からだとバッジが見えなかったので、何の車なのかさっぱり分からなかった。アメリカの格安モーテルのベッドカバーによくある、茶色がかったワインレッドで、高級感を演出するためかあちこちにメッキのパーツが付いていた。
その車はマツダ CX-80 AWD Takumi Plusというらしい。およそ60,000ポンドで購入することができる、7人乗りの理想的な逃走車両だ。誰が目撃者だろうと、この車の特徴を警察に伝えることはできない。ひょっとしたらこの車のデザイナーでもそうかもしれない。それくらい退屈な見た目だ。

走りは退屈ではない。それ以下だ。リアには「SKYACTIV」と書かれたエンブレムが付いており、空に浮く雲のような走りを想像する。実際、その通りではあるのだが、穏やかな夏空の雲などではなく、ルイジアナの積乱雲のような乗り心地だ。
そもそもSKYACTIVはエンジンの名前らしいのだが、エンジン自体も出来が悪い。ガソリンのハイブリッドも選択できるのだが、試乗車には空間制御予混合燃焼技術が使われている3.3Lの6気筒ディーゼルエンジンが搭載され、48Vマイルドハイブリッドシステムが組み合わせられる。これがどういうものなのかはさっぱり分からないのだが、少なくとも言えるのは、高い環境性能の代償として、カナルボートくらいやかましい。
とはいえ、制限速度警報が付いているので、エンジン音に苛立つほどスピードを出すこともないだろう。この警報はオフにできないわけではないのだが、技術オタクがやったとしてもその設定に2週間はかかる。言うまでもなく、制限速度以下で走れば警報に悩まされることはない。ただ、哲学的な話をすると、世の中の制限速度には意味のあるものとないものがある。特に新しく導入された30km/h制限には意味など存在しない。
コッツウォルズは治安が良く、ひったくりなどいないし、生け垣に注射針が落ちていることもなければ、バス停にフェンタニル中毒者がたむろしていることもない。それゆえ、予算策定以外に地域の議会の仕事がなくなってしまった。その結果、議員たちは村中に馬鹿げた制限速度を設けるという議題をでっち上げた。
そんな経緯で無意味な30km/h制限が導入されたのだが、意味のない制限速度を守る人間など10人に1人くらいしかおらず、残りの9人が激怒しながら無理な追い越しをするようになった。要するに、制限速度を30km/hに下げたことで、皆が60km/hで走っていた頃よりもはるかに危険な状態になってしまった。
私は30km/hで走るなど勘弁だ。反社会的で、危険で、自民党的だ。しかし、ヒステリックに警報を鳴らし続ける車に乗っているときは別だ。さらに不愉快なことに、この安宿色のマツダは私有地の農道ですら制限速度を30km/hだと勘違いし、カタツムリの速度で走ることを強要してきた。

CX-80にはこれだけの問題点があるのだが、インテリアは高級感があってセンスが良く、一見の価値がある…なんて展開になると予想している読者もいるだろう。しかしインテリアも大したことはない。きっとマツダはボルボに使われているペールウッドの内装材を見て、日本の木材でも再現できると考えたのだろう。しかし、実際に出来上がったのは、海辺のリサイクルショップでしか見かけないようなテカテカの木目だった。
さまざまなシートアレンジはできるのだが、そもそも車内が狭いのでそれがあまり意味をなさない。リアシートに子供を乗せれば荷物は入らなくなるし、荷物を載せれば子供を家に置いていかなければならない。
正直なことを言うと、私はこの車の長所を一つも見つけられなかった。見た目は退屈で、内装は垢抜けないし、乗り心地は悪いし、鬱陶しい警報まで付いている。不思議なことに、リサはこの車を気に入っていた。彼女いわく、イヤホンを付ければ警報も気にならなくなるそうだ。ただ、60,000ポンドという価格を伝えたところ、彼女もこの車が好きではなくなった。
この車を設計した人たちがかわいそうだ。彼らはきっと、MX-5(日本名: ロードスター)やRX-7のような車を作りたくてマツダに入社したはずだ。唸り、弾け、疾走するような楽しい車を作りたかったはずだ。彼らにCX-80を開発させるのは、ドストエフスキーに広告文を書かせるようなものだ。あるいはレッド・ツェッペリンにBGMを作曲させるようなものだ。そんな仕事に情熱を注げるはずがない。
悲しいのは、それがマツダだけではないということだ。今やどのメーカーも、合理的で環境に優しい、型通りの車を作らざるをえなくなっている。私が最近の車を見分けられなくなっているのもそのせいだ。読者諸兄も同じではないだろうか。
もし7人乗りの車が欲しいなら、3年落ちのボルボ XC90を買うべきだ。当時のモデルは警報もそれほどやかましくないし、内装も洗練されているし、マツダより2万ポンド安く手に入れることができる。
The Clarkson review: the Mazda CX-80 — a car with no redeeming features
CX-60でも聞く言葉ですが,「乗り心地が悪い」という評価が多いのは,マツダの考える走りの哲学が上手く消費者にマッチしていない現状なのかもしれません.
ただこうした評価によってマツダが「失敗した」と判断して,FRプラットフォームの車を止めてしまうのは非常に惜しいと思うので,是非挫けずに作り続けてほしいです.
auto2014
が
しました