Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
読者の中には、地中熱ヒートポンプシステムや電気自動車を保有している人もいるだろうし、二酸化炭素排出量を減らすために週末はテント暮らししている人もいるかもしれない。あらかじめ断っておくが、私はそういう人たちを挑発したいわけではない。地球の温度が上昇しているのは事実だと思う。しかし、もし地球温暖化という概念が広まっていなかったら、今の地球はどうなっていただろうか。
もし地球温暖化という概念が、マーガレット・サッチャーが炭鉱労働者に対抗するために生み出した戯言だと断定され、誰も信じなかったとしたら。気温の上昇に気付いても、「昔はもっと暑かったかもしれない」と一蹴したとしたら。グレタ・トゥーンベリが神格化されず、ろくに勉強もしようとしない甘やかされた子供として扱われていたら。
そんな世界にはエド・ミリバンドなど存在しないだろうし、ハイド・パークの地下トンネルの制限速度が30km/hになることもなかっただろう。光熱費も安くなるだろうし、ヴィーガンソーセージロールなんて代物は生まれなかっただろうし、世界の素晴らしい芸術がオレンジ色のペンキで汚されることもない。
それでも電気自動車は走っているかもしれない。電気モーターの瞬発的なトルクを好む人はいるし、ロードノイズを楽しみたい人もいるかもしれない。けれど、電気自動車を普及させようという運動が起こることも、電気自動車だけが特例的に割り引かれることもないだろう。あくまで少数派のための車であり続けるはずだ。
もし地球温暖化が地球平面説と同じくらい狂ったものだと思われていたとしても、トヨタ・プリウスという車は存在し続けるだろう。電気を併用することで燃費が向上すれば多くの人々(特にUber)に訴求するだろう。それに、快適性を考慮すると、バスは電気自動車になっているかもしれない。
ひょっとしたら、電気自動車に費やされている開発費用が、代わりに燃料電池車の開発に使われているかもしれない。それはクールなことだ。もっとも、現実はよっぽど冷え込んでいるのだが。
いずれにしても、自動車は正常進化を遂げ、より信頼性が高く、より安全に、より良くなっていたことだろう。そしてエンジンはより滑らかに、パワフルに、高効率になり、最終的にはトヨタ GRスープラとそう変わらない車になるだろう。
トヨタの他部署が世界中の政治家の気まぐれのせいで忙殺され、プリウスをより自民党的にするために悪戦苦闘している間も、そんなしがらみから隔絶された部署が存在したようだ。ホッキョクグマの苦境やツバルの海面上昇について何も知らない人がトヨタにはまだいるはずだ。
5年前にスープラが誕生したとき、出来の悪い車ではないが、最高の車でもないと評価した。あくまで普通の「いい車」だった。しかし、新型スープラにはGRのバッジが付いている。トヨタ車の後部にGRのバッジが付いていれば車好きの注目を集めるだろう。
5年前にスープラに乗り込むのはかなり大変だったのだが、今の私は当時よりもさらに太っており、新型モデルに乗り込むのはほぼ不可能だ。問題はあまりに小さすぎるドアにある。郵便ポストに入るようなものだ。とはいえ、一旦車に乗り込んでさえしまえば、車内には十分な空間がある。
まず言っておくが、これはスープラではあるものの、1990年代のスープラとは違う。かつてのスープラは、日産の300ZXや三菱のスタリオン同様、シボレー・コルベットに対抗するために生まれた車だった。そのせいで、不必要に大きく、子供っぽく、アメリカ的で、だからこそ私は気に入っていた。
新型スープラはヨーロッパのスポーツカー市場をターゲットとしている。そのため、多くの部品(エンジンやトランスミッションまで)をBMW Z4と共有している。しかも、現代のランチア・インテグラーレことGRヤリスを生み出した人々の息がかかっている。
見た目は最高とまでは言えない。ジムに通いすぎて日常生活には必要のない筋肉を付け過ぎた男を彷彿とさせる。しかし、この見た目には意味がある。スペックを見れば、見掛け倒しではないことがよく分かる。昔ながらの直列6気筒ターボエンジンは最高出力340PSを発揮する。車格を考慮するとかなりの高性能だ。
しかも、今回試乗したモデルは昔ながらのマニュアル車だった。あまりに懐かしく、慣れるのに時間がかかってしまったし、郷愁に浸りたい気持ちもあったのだが、ノートパソコンからタイプライターに乗り換えたような気分だった。テレビのリモコンを魔術だと思っている人以外は普通のAT車を選ぶだろう。
オーディオやエアコンの操作系も昔ながらの物理スイッチで、こちらはむしろ使いやすかった。温度を上げたり、ラジオを消したりするためにいちいちタッチスクリーンを操作する必要はない。それに、過保護な安全装備は付いているのだが、どういうわけか制限速度を多少超過しても警報は鳴らない。メーターパネルに控えめに警告が点灯するだけだ。執事が穏やかに「ご主人様、少し速度を落とされたほうがいいかもしれません」と語りかけてくるようだ。この点だけでもスープラを購入する価値がある。
それだけではない。乗り心地は良いし、リアは適度に緩く、加速は恐怖を感じずに楽しむことができるど真ん中の性能だ。スポーツモードにすればすべてが少しだけ良くなる。
昔ながらのマニュアルトランスミッションや物理スイッチが付いているにもかかわらず、その走りは現代的だ。もし地球温暖化という概念がなければ、きっと現代の車はすべてこんな感じになっていたのだろう。車の正常進化の結果はこれなのかもしれない。
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