Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
サッカー・イングランド代表監督のガレス・サウスゲートがトレードマークのウェストコートではなくカーディガンを着るようになったという話を聞いたのだが、正直なんの興味も湧かなかった。ただ私以外の人は違うようで、『タイムズ』では丸々一面を割いてこの話題について取り上げており、その記事には永久保存版のカーディガンの着こなし方ガイドまで付いていた。きっちり過ぎないほうがよく、ボタンは必ず1つ外す。下にシャツを着る場合は十分な余裕を持たせることが重要らしい。
サウスゲートのファッションが流行の最先端になるためには、『GQ』系の人々がサウスゲートを真似することが必要条件となる。それゆえか、チェルシー元監督のカルロ・アンチェロッティやライアン・ゴズリング、ジェームズ・ボンドが襟付きのカーディガンを着ている写真が掲載されていた。しかし果たしてボンドはファッションアイコンと言えるのだろうか。彼はかつて、パステルブルーの部屋着を着ていたことすらある。
『タイムズ』の思惑通りにカーディガンが流行することはないのかもしれない。街を闊歩するような男がカーディガンを着ることはない。カーディガンは歳をとって自然に着るようになるものだ。パイプと同じだ。私も長年カーディガンを愛用している。まさに今もカーディガンを着ている。ボタンを全部閉めて。
私がカーディガンを愛用しているのは、1日に何度も着替えたくないからだ。カーディガンなら農作業中でもパーティーでも着ることができる。ジーパンと同じだ。
しかし、歳をとってカーディガンを着たくなったとき、ひとつ問題がある。カーディガンを売っている店が見つからない。サヴィル・ロウやジャーミン・ストリートの紳士服店をしらみ潰しに探しても見つからない。StowAg(農業用品店)にすらなかった。
マークス&スペンサーでは売っているらしいのだが、私はM&Sで買い物をしたことがない。別に特別な理由があるわけではないのだが、今となっては行ったことがないということが話のネタになっているので、今後も行くつもりはない。ただ、子供たちはM&Sに行くし、そこでカーディガンを買ってきてくれるので、私はそれを着ている。カーディガンは私のような人間にぴったりのプレゼントだ。
カーディガンを着るようになったら、次は『デイリー・テレグラフ』の広告に載っているゴムパンツが気になるようになるはずだ。そして家の中でスリッパを履くようになり、ヴェルタースオリジナルが好きになり、最終的にホンダへと辿り着く。
言うまでもなく、かつてのホンダには若さがあり、革新を重ね、新しさを求め続けていたことは知っている。それは私も同じだ。けれど私にはもはや若さなどない。ホンダはかつて、マックス・フェルスタッペンを何度となく勝利に導いたエンジンを作っていた。けれど今のホンダは、平均年齢80代の顧客層に無用な不安を抱かせないよう、そんな過去をひた隠しにしている。
今回の主題であるホンダ CR-Vも今のホンダらしい車だ。合理的で、作りはかなりしっかりしている。速さという概念は持たず、乗り降りもしやすい。しかしどうだろう。価格はなんと5万ポンドもする。これはどういうことだろうか。以前に乗ったCR-Vは31,000ポンドだったはずだ。では、この新型モデルは旧型からどれほどの進化をしているのだろうか。
実際のところ、数多くの装備が追加されている。新型CR-Vには2種類のモデルがある。ひとつは2WDのプラグインハイブリッドで、もうひとつは今回試乗した、4WDの一般的なハイブリッドだ。このハイブリッドシステムの仕組みを調べてみたのだが、どうにも意味不明なので、ホンダの広報資料の説明を引用することにしよう。
"トランスミッションにはさらなる改良が加えられています。エンジンが直接駆動する際のセカンドギアレシオが追加されました。既存のハイレシオに加えてローレシオが追加され、それぞれが幅広い走行シーンに対応できるように最適化されており、エンジン走行モードでの低速域の力強さと、高効率なエンジン走行モードでの走行頻度の向上を実現しています。"
技術的なことはよく分からないのだが、この車でパブに行き、昼食を終えて車に戻ったところ、電源が入りっぱなしになっていた。誰かが乗り込めばそのまま走り去れる状態だった。以前に信号待ちのたびにエンジンがオフになる厄介な機能が付いた車に乗ったことがあるのだが、それとは別の話だ。エンジンはオフになっていなかった。いや、正確に言うとエンジンはオフになっていたのだが、モーターがオフになっていなかった。
最近、近所の人が電気自動車を購入したのだが、4日間も電源を切らずに放置していたことがあったらしい。その人いわく、スマートフォン感覚で電源を切らなかったそうなのだが、今の私はそんな彼女を笑うことすらできない。
ここからが問題だ。車をロックしても電源がオフになっていないという警報が鳴ることはなかった。他のありとあらゆるしょうもないことに関しては警報が鳴るにもかかわらずだ。『フォルティ・タワーズ』の火災報知器のシーンを思い出す。自民党が設定した制限速度を超過すると警報が鳴り、そうこうしているうちに別の警報が鳴る。今度はなんなんだ。タイヤでもパンクしたのだろうか。それとも何かにぶつかりそうなのだろうか。
この車にはありとあらゆる衝突回避のための装置が付いている。車が事故を避けられないと判断した場合、勝手に車を操作するシステムまで付いている。しかし、事故を避けられないと判断した時点では時既に遅しなのではないだろうか。
他に、レーダーで曲がり角の先を感知したり、カメラで死角をなくす機能も付いている。こういった装備によって、価格が5万ポンドまで跳ね上がってしまったのだろう。要するに、車の価格が5,000ポンドで、その車を事故から守るための機能に45,000ポンド払っているということになるのだろう。
理屈は理解できる。道徳的に考えるなら、可能な限り事故を防ぐことのできる機能を付けた車を作るべきなのだろう。しかし現実的には、事故を起こしそうな状況以外の場面、すなわち車を運転しているほとんどの状況において、こういった安全装備は鬱陶しいものでしかない。ステアリング操作が邪魔され、突然ブレーキをかけられ、警告灯が光る。
ここでひとつ疑問が生じる。100歳まで生きられるが、その代わり昼夜を問わず警報音に悩まされると言われたとき、それでも長生きをしたいと答える人がどれほどいるだろうか。少なくとも私はそこまでして長生きしたいとは思わない。
結論に移ろう。週末に園芸用品店に行くための信頼できる車が欲しい高齢者がいたら、CR-Vを勧めたい。ただし勧めるのは10年前の中古車だ。
auto2014
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