Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、BMW X5 xDrive50e Mスポーツのレビューです。


X5

自動車評論家は常に高い要求をしてきた。車に完璧を求め、完璧な車に対してもさらなる完璧を求めた。それに比べると、映画評論家はいい加減で大雑把だ。彼らは『ゴッドファーザー』を絶賛し、これこそが映画の理想像であると称えた。自動車評論家はそんなことはしない。自動車評論家なら、結婚式のシーンでマイケル・コルレオーネが着ているシャツを見てこう批判するだろう。
海兵隊員なのに襟に階級章が付いていないのはおかしい。とんでもない映画だ。

デュアルクラッチトランスミッションが登場したときの自動車評論家の反応は特筆に値する。普通のAT車にあるクリープ現象がなかったので、わずかな傾斜があるだけで縦列駐車が困難であった。自動車評論家たちは白熱した。DCTは先進的な新技術だったのだが、このたった一つの欠点を理由に、DCTは嫌われ者となった。

ターボチャージャーも同じだ。ターボは排気ガスを再利用してエンジン性能をさらに向上するシステムだ。しかし、アクセルを踏んでから実際に加速するまでに少しの間が存在するため、誰もターボを評価しなかった。これはターボラグと呼ばれ、人種差別よりも酷い扱いをされた。

自動車メーカーはターボラグをなくすためにたゆまぬ努力を続けた。より小型で応答性の高いターボチャージャーを開発し、V型エンジンのV字の間に搭載することで、ターボラグを極限まで排除した。シーケンシャルターボという技術も開発した。スーパーチャージャーと連動するターボも開発した。最終的には誰もターボラグを感じることなどできなくなった。けれどもはや、ターボというだけで駄目なのだ。『ベン・ハー』に登場する腕時計をしたエキストラのようなものだ。

パネルのチリもそうだ。かつて、ボンネットとフェンダーの隙間は5mm程度空いているのが普通だった。ところが、レクサスが紙も挟まらないほどチリの合った車を作るようになった。自動車評論家はそれですら満足できなくなり、それを受けて自動車メーカー(テスラを除く)は0.000000000000000000000000000000016mmまで隙間を狭めるようになった。

interior

なにをやっても自動車評論家は満足してくれず、結果、自動車メーカーはクリスティン・スコット・トーマスにしか理解できないほどの完璧性を求めるようになった。そして、10年ほど前の時点で、自動車メーカーは「できうる最高の車」を完成させてしまったのだと思う。ターボラグは名実ともになくなり、パネルの隙間も見えなくなり、電気系統の耐久性も確立し、ほとんどのメーカーがDCTに見切りをつけて昔ながらのATに帰化した。その結果、快適で速く、軽量で洗練された自動車が完成した。

ところが、世界各国の政府が環境主義に傾倒し、決して事故を起こさず、排出ガスを一切出さない車が要求されるようになった。その結果、自動車メーカーは100年間で積み上げてきた技術のほとんどを捨てなければならなくなってしまった。

さすがにランニングボードがあった時代まで遡るわけではないのだが、大変な後退であることは間違いない。現代の電気自動車の完成度は、1986年頃のガソリン車と同等と言ってもいいだろう。それゆえ、私も自動車評論家の一人として、歯がゆくてたまらない。

今回の主題であるBMW X5 xDrive50e Mスポーツの話に移ろう。ボルボ嫌いで、保険料の高騰でレンジローバーに乗ることを諦めざるを得ない人なら、きっとこの車に興味を持つことだろう。

概略を解説しよう。この車に搭載される3.0Lの6気筒エンジンは非常に優秀だ。加えて、何の面白みもない電気モーターも搭載されている。ジューサーの電気モーターに面白みがないのと同じだ。同様に、モーターに電気を供給するバッテリーも面白みはないのだが、こちらはかなり大容量で、エンジンからだけでなく、コンセントからも充電することができる。バッテリーのみで80km以上走行することができるし、エンジンをうまく使えば18km/Lという燃費も実現できる。あるいは運転のしかたによって、50km/Lにも、7km/Lにもなりうる。気圧や天候、時間帯によっても燃費は変動する。

rear

他の特徴についても説明しておこう。駆動方式は4WDで、エアサスペンションが装備されており、7人乗り仕様を選択することもできる。それに、スピーカーからはハンス・ジマーが手掛けた曲が流れる。加速時や減速時にはハンスが作曲した音楽が流れてくる。ハンスは『グラディエーター』や『インターステラー』など、数多くの映画音楽を手掛けた人物だ。ただ、このとき流れる音は映画音楽とは違う。スパで流れるBGMのようなものだ。正直、V10のエンジン音のほうが心地良い。

走行モードを変更すると、スピーカーから流れてくる音のみならず、メーターの表示も変わる。スポーツモードにすればあちこちが赤く光り、火山の中に入ったような気分になる。しかし、一番気に入ったのはアダプティブモードだ。このモードでは、ナビ情報から道路状況を予測し、それをもとに車のセッティングが適宜変更される。

この車の素晴らしいところは、他の電気自動車のような異常さがないことにある。普通に乗り込んで、普通にスイッチを押せば、普通に走り出すことができる。この車のコンピュータは中国政府よりも高度な計算を行っているはずなのだが、ほとんどの人はまるで普通の車のように運転することができるだろう。ただし、私は例外だ。モーターからエンジンへの切り替わりはかなりシームレスなのだが、それでも私には気になってしまう。それに、エンジンが複雑な計算をしている途中でシフトダウンしようとすると、挙動がややぎくしゃくしてしまう。

私がやっているのは、テイラー・スウィフトをレッド・ツェッペリンの基準で評価しているようなものだ。もはや誰もドラムソロなど求めていない。ブルースとヘヴィメタルの融合など求めていない。今や、『Stairway to Heaven』よりも『Hairway to Steven』のほうが評価されるような時代だ。

X5 xDrive50e Mスポーツは、コーナリング性能や応答性の高さで評価すべき車などではない。コネクティビティの充実度と二酸化炭素排出量で評価するべきなのだろう。この評価軸であれば、非常に優秀な車といえる。

しかし、私や(違うかもしれないが)読者のような車好きにとってはどうだろうか。こんな車のことなど無視して、10年前の車を購入するべきだ。当時の車は、完璧とまでは言えないまでも、完璧にかなり近づいていたのだから。


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