Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、ヴォクスホール・アストラのレビューです。


Astra

世の中に、ヴォクスホールを買うことを夢見ている人など存在するのだろうか。ビバやクレスタ、ベクトラを買うために頑張って節約した人など存在するのだろうか。ヴォクスホールが納車された瞬間、人生の区切りを迎えたと感慨に耽った人など存在するのだろうか。

ヴォクスホールもたまにスポーティで楽しい車を作ろうとしたのだが、どれも失敗に終わっていた。世の中には速いフォードを欲しがっている人がたくさんいたし、速いローバーを欲しがる人すらも存在したのだが、速いヴォクスホールを欲しがる人は存在しなかった。そんな車に意味などない。速いレコードプレーヤーと同じくらい馬鹿げている。

南ロンドン・ヴォクスホールのワンズワースロードからルートンに移転する前の創業初期ですら、ヴォクスホールは誰かを興奮させる車など作っていなかった。そもそも、ヴォクスホールのクラシックカーを大切に持っている人が存在するだろうか。そんな人間は私も知らない。

サイエンス・ミュージアムにはかつて1903年式のヴォクスホールが展示されていたのだが、今は既に撤去されており、その行方は誰も知らない。そもそも誰も興味がないのだろう。それでも一応調べてみようとヴォクスホールオーナーズクラブのウェブサイトを訪問してみたのだが、そこに表示された現在の訪問会員数は「0人」だった。

にもかかわらず、どうしてヴォクスホールは存続しているのだろうか。ハンバー、スタンダード、オースチン、モーリス、ゴードン・キーブル、アームストロング・シドレー、そのほか564の自動車メーカーがこの地で夢破れて消えていった。

実のところ、ヴォクスホールはただ運が良かっただけだ。1925年当時、ヴォクスホールは週にわずか17台の車しか作っていなかったのだが、その頃にヴォクスホールが長らく世界最大の自動車メーカーであったゼネラルモーターズに買収された。そうしてヴォクスホールは事業を継続する資金力を得たものの、車自体は退屈なまま1世紀近くが過ぎ、そしてヴォクスホールはプジョーに売却されることとなった。

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こうして、ベルモントを生み出したメーカーが1007を生み出したメーカーと組むことになったのだが、そんなものがうまくいくはずがない。結果、そのわずか4年後にはステランティスという新会社に飲み込まれることとなった。

この変な名前の会社は現在、ダッジ、クライスラー、ランチア、アルファ ロメオ、フィアット、マセラティ、プジョー、ジープ、アバルト、オペル、シトロエン、そしてヴォクスホールを傘下にもっている。これだけ大規模であれば、理論上はスケールメリットがありそうに思えるのだが、これだけのブランドが内輪で競合している姿をみると、かつてのブリティッシュ・レイランドを思い出す。その結末はご存知の通りだ。

オースチン・アレグロとモーリス・マイナーが客を奪い合い、ジャガーはローバー製のV8エンジンが載せられないようにわざとエンジンベイに細工をして、最終的には涙を飲むことになった。

これが最新のステランティス製品の話に繋がる。今回の主題は新型ヴォクスホール・アストラだ。聞いたこともないような無国籍企業が作った、誰も憧れないブランドの、誰も欲しがらない車だ。なんとも滑稽ではないか。

今回、私が試乗したのは、1.2Lの3気筒エンジンを搭載したモデルで、0-100km/h加速は10秒をかろうじて切っている。つまり、加速性能ではシトロエンのBXディーゼルになんとか勝てるレベルだ。

燃費は普通に運転すれば18km/L程度なのでかなり良さそうだ。しかし、現代の車で考えるなら標準的だ。小排気量ターボエンジンを積んだ最近の車はどれもこれくらいだ。要するにこの車は、特別速いわけでも、特別燃費が良いわけでもない。

内装にも特筆すべき点はない。他の車と同様、作りはまともで、他の車同様にUSBポートは2個あり、まったく珍しくもないヘッドアップディスプレイが装備され、何の変哲もないスイッチが付いている。

乗り心地はかなり硬いのだが、最近の車はどれも似たような問題を抱えている。時代の要求に沿うため安全装備をてんこ盛りにした結果、車重がかなり重くなり、その重さに耐えるためにサスペンションがかなり硬くなっている。ただ、硬いおかげでハンドリングは優れている。他のステランティス製中型ハッチバックと同じだ。

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唯一アストラが際立っているのが価格だ。私が試乗したのは最上級グレードの「Ultimate」なのだが、価格は32,790ポンドとあまりにも高い。

他にも問題はある。フォードは最近、フィエスタの販売終了をアナウンスした。もはや誰も普通のハッチバックなど求めていないそうだ。顧客が求めているのは電気自動車や小型SUVらしい。それは事実なのだろうが、一方でヴォクスホールは普通のハッチバックを販売し続けている。

アストラの平凡さはリサには好評だった。リサはアストラに夢中になった。大した用事でもないのにわざわざアストラで出掛けることもあった。私がこの記事を書いているまさに今も、リサはアストラに乗ってどこかに出掛けている。

リサは車に興味がない。彼女と初めて会ったときに乗っていた車がアウディ Q5だったので間違いない。しかし彼女は常識的で控えめなデザインには目がない。彼女にアストラをプレゼントしたらきっと喜ぶだろう。先進性や楽しさがあるからではなく、むしろそういった特別さがないからこそ、彼女はこの車を気に入った。それに、見た目は洗練されていてスタイリッシュだ。

ひょっとしたら、ヴォクスホールはそうやって生き残ってきたのかもしれない。革新性など求めていない顧客が存在することを、ただタイヤ4本とシートが付いただけの車を求めている顧客が存在することをヴォクスホールはちゃんと理解していた。退屈なものは売れる。ラジオドラマの『The Archers』もそうだし、コーンフレークもそうだ。要するにアストラはコーンフレークだ。

ここで少し、先日亡くなった元トップ・ギア司会者のスー・ベイカーについて語らせてほしい。タイムズに載った彼女の死亡記事には、彼女がトップ・ギアの後継者として私を育て上げたと書かれていたのだが、それは事実ではない。私は別に誰かの跡を継いだつもりはないし、そもそも私は彼女と違って、興味がないものに対しては露骨に態度に出てしまう。

99ペンスで買えるカーアラームのフェイク品が番組で取り上げられたことがある。それは歴史上で最もつまらない製品なのだが、彼女はこの商品をいつものように熱意を持って紹介し、続けて視聴者に対し安全運転を呼びかけた。この頃のトップ・ギアは実にシンプルだった。言うなればアストラの時代だった。