Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、ランボルギーニ・アヴェンタドール ウルティマエのレビューです。


Aventador Ultimae


ときどき、筋骨隆々としたブルテリアを散歩させている人を見かけるのだが、一体どうしてそんな犬を飼おうと思ったのだろうか。そんな犬、遅かれ早かれ近所の人を食い殺してしまうだろうに。

他に選択肢がなかったわけでもないだろう。オールド・イングリッシュ・シープドッグも、ダルメシアンも、ラブラドールだって選べたはずだ。にもかかわらず、彼(こんな犬を飼うくらいだから確実に飼い主は男だ)は「いつ爆発するか分からない毛皮で覆われた不発弾が欲しい」と考えたわけだ。

もしマイケル・クライトンの想像通り、何千万年間と琥珀に閉じ込められた蚊から血を絞り出し、恐竜を復活させることができたのなら、きっとブルテリアの飼い主は喜んで恐竜を飼育するだろう。

先週家にやって来たランボルギーニ・アヴェンタドールの話に移ろう。ジムのインストラクターの女性が、私がブルテリアを見るのと同じような目でランボルギーニのことを見てきた。彼女はきっと、やかましくて凶暴なランボルギーニに乗る理由が理解できなかったのだろう。そもそも、制限速度が110km/hなのに、356km/hを出せる車を買う理由などどこにあるのだろうか。

そのとき私は、他人に噛みついているブルテリアを処分しようとしている警察官に対し、「私の愛犬を殺さないでくれ」と懇願している危険人物の気持ちを理解することができた。「こんな素晴らしいものを排除するなんてとんでもない」とただ叫ぶことしかできない。

私はアヴェンタドールが大好きだ。アヴェンタドールより経済的なスーパーカーも、アヴェンタドールより快適なスーパーカーも、それどころかアヴェンタドールより速いスーパーカーも他に存在する。けれどこのV12のランボルギーニほどの感激を生み出すスーパーカーは他にない。

ただの車庫からアヴェンタドールが登場するなんてありえない。ドライアイスの煙に包まれ、ロンドン交響楽団が演奏するベートーヴェンの『歓喜の歌』とともにカーテンが開いて登場するのが似合っている。

Aventador Ultimae rear

ミウラやカウンタック、ディアブロ、ムルシエラゴといった昔のランボルギーニはあくまでポスターの中でこそ映える存在だった。言うなればヴィランであり、あるいはブライアン・ブレスドだ。

そういった車の後継車として登場したアヴェンタドールは、暴力的な音と宇宙船のようなデザインはそのままに、なんと普通の人間が普通に運転できる車に仕上がっていた。

昔のランボルギーニは普通に運転することすらできなかった。ミウラは130km/hを超えると空を飛んだし、カウンタックのステアリングはコンクリートで固められているかのように重かった。しかしアヴェンタドールは普通だ。パワーステアリングが付いており、アウディと共通の操作スイッチやディスプレイが装備されたため、まともに思い通りに操作することができる。

舗装の悪いナルド・サーキットで328km/hを出したときはさすがにランボルギーニらしくお腹の調子が悪くなってしまったのだが、イタリアの先端からボローニャまで走らせたときはフォルクスワーゲン・ゴルフのような感覚で運転することができた。ステアリングは軽く、交差点での見切りも良いし、冷房もまともに効いた。

その翌日はイモラ(私が大好きなサーキット)で走らせてみたのだが、そのときブレーキが故障してしまった。これもランボルギーニらしさだ。そもそもランボルギーニはサーキット向けに設計されていない。そういうのはフェラーリの役目だ。目立つために、騒ぐために、そして最終的には死ぬために存在している。言うなればロックドラマーだ。

悲しいことに、今やそんな車を求める人間などいなくなってしまった。子供たちは父親の車の速さではなく、経済性を自慢するようになった。ジムのインストラクターの考え方こそが今の常識であり、アヴェンタドールはもはや恐竜だ。もうこの世界に居場所などない。

そんな恐竜に別れを告げるため、ランボルギーニは「ウルティマエ (ULTIMAE)」という最終モデルを作り出した。そのうち15台はアゾレス諸島沖で炎上した貨物船に載っていたのだが、幸いにも残りの575台に被害はなく、そのうちの1台が先週私のもとにやってきた。

見た目は最高だ。低く、狂気的で、幅広で、空力性能とは無縁そうな空力パーツが大量に付いている。排気管はまるで『マトリックス』に出てくる銃のようで、我々の奥底に眠っている9歳児の心を鷲掴みにする。

Aventador Ultimae interior

それとは対照的に、アヴェンタドールに乗り込む私自身の姿は最悪だった。以前からアヴェンタドールは乗り込みづらかったのだが、なおのこと車が小さくなってしまったかのように思えた。まず両足を車に入れてから尻をセンターコンソールまで押し込み、背骨を半分に折って頭を入れる必要がある。ようやく身体が車内に収まっても頭上には余裕が存在しないので、コンバーチブルが恋しくなる。

問題は他にもある。アウディと共通のナビとスイッチ類は11年前ならばモダンで新鮮に見えたのだろうが、今にしてみると少し古臭い。iPodの時代に戻ってしまったかのような気分だ。

音も旧時代的だ。最新のスーパーカーはエンジンが動き出す前にさまざまな音が聞こえてくる。一方、アヴェンタドールはただ火山が噴火するだけだ。懐かしく、そして愛おしい音だ。

エンジンは6.5LのV12で、ウルティマエでは過去最強の780PSを発揮する。しかも、この最高出力が発揮されるのは8,500rpmだ。つまり、性能を最大限に引き出すためには聴覚をオフにする必要がある。なにせ、8,000rpm以上ともなるとただうるさいだけでなく恐怖すら感じるのだから。

昔ながらのシングルクラッチトランスミッションは決して俊敏なトランスミッションではない。そこにはタイムラグがある。恐怖のラグだ。ジェットコースターの頂上で止まっている瞬間のようなものだ。ギアが変わったあとは恐怖の加速が待っているし、その後はまた頂上に達して止まってしまう。

小さい頃、父親にブランコを押してもらったことを思い出してほしい。父親がブランコを強く押しすぎると、速度が出ているときは楽しい一方で、高いところで気分が悪くなったことがあるはずだ。

カーボンセラミックブレーキも四輪駆動システムも備えているし、重量もそれほど重くはない(軽量化のために車名から「T」が取り除かれている)ので、決して危険な車などではないのだが、それでも乗り味は過激だ。

こんな車はもう二度と出てこないだろう。次期型モデルにもV12エンジンは搭載されるものの、電気的な補助も付いてくるはずだ。しかしそんなのは1ガロンの密造酒に「過度な飲酒は控えましょう」というラベルを貼り付けるようなものだ。

密造酒に適量もクソもない。だからこそ、私はランボルギーニの今後が心配だ。これからの時代、もはや密造酒など許されないのだから。