Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
つい最近まで、ほとんどの車は楽しさを売りにしていた。それは、顧客である我々が、スピードを、ハンドリングを、けたたましい排気音を求めていたからにほかならない。人々は隣の家の車よりも速い車を求め、4気筒SOHCが溢れる街中で、自分の車だけが奏でることのできる特別な音を響かせ、愛車の凄さを証明しようとした。
モーリス・イタルのCMを覚えているだろうか。いや、覚えている人などいないだろうが、悲しいかな私は今でも覚えている。労働組合員が労働組合員のために作った最悪の車、マリーナを着飾っただけの車であるはずのイタルが、サーブ 900 GLSやメルセデス 200より速く、マセラティ・メラクと同じ人間がデザインしたということを声高に宣伝していた。このCMを見ると、まったく欲しくなどないはずのイタルに魅力を感じてしまう。
トライアンフ TR7もそうだった。『マインダー』の合間に流れるCMでは、路面を掴むようなグリップ性能と、弾丸のようなスピードが謳われ、それを見ると自分にぴったりの車であるかのように感じられた。ただし、そのCMの最後でTR7はトレーラートラックの中に突っ込んでいく。信じられないならYouTubeで確認してみるといい。
スピードへの渇望は今でも健在だ。子供をブランコに乗せれば、自然と笑顔になるはずだ。人類は誰もがルイス・ハミルトンになりたがっている。プールのウォータースライダーには長蛇の列ができているはずだ。人々はスリルを求めている。右を見ればグレタ、左を見ればアッテンボロー卿がいる現代でさえ、追い越されていい気持ちになる人間はいない。
にもかかわらず、車の速さについて気にする人はほとんどいなくなってしまった。フェラーリもアストンマーティンもマクラーレンも健在なのだが、そういった車に憧れる人間はほとんどいなくなってしまった。それに、一部の頭のおかしいテスラ乗りを除いて、信号加速グランプリをしようとする人間をまったく見なくなった。スピードへの愛は我々の大脳辺縁系の内側に閉じ込められ、表には出せなくなってしまった。
自分の車の0-100km/h加速タイムや最高速度すらもよく分からない。自分で試してみようとさえ思わない。若い頃はどんな車でも試していたはずなのに。主にフラム・パレス・ロードで。

2022年の人類が求めているのは、シンプルなナビと、インターネット接続機能と、「ボブ」と間違えて「ママ」に電話をかけることのない音声認識システムくらいだ。
つい最近まで、BMWは「究極のドライビングマシン」を売りにしていた。完璧な重量配分、考え抜かれたサスペンションジオメトリー、旨味のあるエンジン。どれも大好きだった。しかし今や、スイッチひとつで色を変えられることがBMWの新型車の売りになっている。「で、最高速度は?」なんてことを訊く人間などいない。
もうすぐ自動運転が実現するらしい。それは、食通に対して「もうすぐ薬だけで生きられる時代が来るらしい」と言うようなものだ。とはいえ、私が生きているうちに自動運転が実現するとは思っていないが、仮にそんな時代が来たとしても、そんなに悪くないことなのかもしれない。誰もがTikTokに夢中な時代に、自分で車を運転したい人などどこにいるのだろうか。
現代人が車に求めているのは、プライベート空間や移動オフィスだ。インターネットから隔絶されることなく過ごせる空間が必要とされている。どうやって移動するかなどどうでもいい。冷蔵庫が食べ物をどう冷やそうがどうでもいいのと同じだ。
これが今回の主題に繋がる。レクサスのESとかいう車だ。5年前の私なら、気象予報士のズボンくらい退屈な車だとこき下ろしていたことだろう。しかし、今の時代背景を考慮すると、このスーツを着たプリウスは決して悪い車などではないと言える。
決して速くはない。速いという表現からは程遠い場所にいる車だ。この車に使われるエンジンには、ジェームズ・アトキンソンというイギリス人が1882年に生み出した技術が投入されている。これは出力ではなく効率を最大限にするための技術であり、故ジェームズがこれを生み出してから140年後の今こそ必要とされている技術だ。しかも、ESはこのエンジンをモーターと組み合わせたハイブリッドカーだ。

アクセルを踏み込むと、わずかなエンジン音が響き、加速しはじめる。注意を凝らしてスピードメーターを眺めていると、速度が少しずつ上がっていることに気付く。80km/hの状態からアクセルを踏むと、しばらくして81km/hになる。1日中アクセルを踏み続ければ92km/hくらいは出せるだろう。
目的地に着くとせっかく時間をかけて出した速度が無駄になってしまうのだが、いずれにしても様々な場面で減速しなければならない。制限速度を超えたり、白線に近づいたりすると怒られてしまう。常に潔癖であることが求められる。
もうひとつの特徴として、この車には無段変速機というものが搭載されているため、変速という概念が存在しない。ステアリングの裏にあるパドルを操作すれば擬似的に変速のような挙動をしてくれるのだが、それは虚構だ。これを操作してもさらに減速していくだけだ。
ではハンドリングはどうだろうか。この車は前輪駆動のセダンで、試乗車は「F SPORT」というモデルだったのだが、それでもコーナーを攻めるために設計されている車ではないということは分かった。この車は走りを楽しむための車などではない。限界がどこにあるかなど、調べる気にもならなかった。
運転することを考えると、このナントカとかいう車は非常に退屈だ。しかし、快適性はかなり高い。快適性を下げるボタンも付いているのだが、そんなものを使う人間はいないだろう。戦後一度も道路の補修を行ったことのないオックスフォードシャーではなおさらだ。静粛性も高く、価格設定も適切だし、レクサスらしく作りもしっかりしている。パネルのチリは恐ろしいほど完璧に合っている。もしペースメーカーが必要になったら、ぜひレクサスに作ってもらいたいものだ。
ペースメーカーに楽しさを見出す人間などいない。しかし、そんなことはどうでもいいはずだ。それはこのナントカも同じだ。エコ狂人やオービスや正義のサイクリストが敵を狩ろうと牙を剥いている現代社会においては、名前も覚えられないほどの匿名性もむしろありがたい。
The Clarkson Review: Lexus ES 300h
auto2014
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