Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
1985年当時、ジェームズ・ボンドは自分のセクシュアリティに悩むことなどなく、鎖骨に空手チョップするだけでサメを殺すことができた。その年、ボンドはICチップを貯め込むクリストファー・ウォーケンの企みを探るため、フランスに派遣された。
ご存知だろうが、その後、ボンドは消防車に乗ってカーチェイスを繰り広げ、グレイス・ジョーンズが爆発したあと、飛行船のロープにしがみつき、サンフランシスコのビルの避雷針に自分のタマをぶつけた。
『美しき獲物たち』は素晴らしい映画なのだが、ストーリーの根幹に大きな問題がある。火山や宇宙ステーションを題材にするのはいいが、ICチップ、すなわち半導体を題材にするのはいかがなものだろうか。
2021年現在、自動車産業はまさにその半導体不足に直面している。自動車メーカーはパンデミックの影響で販売が激減すると予測し、ブレーキ、ワイパーなど、車を構成するあらゆる部品を制御する半導体の注文を減らしてしまったようだ。ちなみに、一般的な自動車を正常に作動させるためにはおよそ1,400個の半導体が必要だ。
しかし、半導体メーカーは自動車メーカーからの注文が減ったところで痛くも痒くもない。家に閉じこもっている人たちは棚に仕舞っておくだけで一生使わないような電気製品をいくらでも買ってくれるのだから。
なので、半導体メーカーは自動車向けの半導体の代わりにゲーム機やホームベーカリー用の半導体を作りはじめた。ところが、日本の半導体工場で火災が続発してサプライチェーンが破綻したうえ、ドナルド・トランプと習近平の貿易戦争の影響で、中国が5G普及のために半導体の買い占めを行った。助けを求めようにも、ボンドも今は『アティテュード』を読むのに忙しいだろうし、クリストファー・ウォーケンは「そら見たことか」と笑っているはずだ。
現在、半導体不足は深刻で、新型のレンジローバーにはキーが1つしか付いてこないらしい。スペアキー用の半導体を用意する余裕すらないようだ。もっとも、これは車が手に入れられるならの話だ。

本来、中型セダンを注文してから納車までにかかる時間は8週間程度なのだが、それが6ヶ月になり、今ではさらに伸びている。ジャガーの場合は1年ほどかかるそうだ。フォードはプーマに車線逸脱警報や自動ブレーキ、オートエアコン、Bluetooth連携機能のないグレードを急遽設定した。他のメーカーも多くの問題を抱えているようだが、どうやらテスラだけは例外らしい。理由は不明だ。きっと神様は独善的な人間が好きなのだろう。
その結果、中古車の価格が高騰している。少し前にグランド・ツアー(パンデミックで公開延期となってしまった)の撮影用にアウディ RS4を購入したのだが、今の中古価格は1年半前より8,000ポンドも高くなっている。
イギリス自動車協会によると、3年落ちのミニは2019年時点だと9,800ポンドであったのに対し、今では15,400ポンドとなっているらしい。同様にアウディ A3の価格は46%高騰し、中古車市場全体で見ると平均で30%ほど価格が高騰しているそうだ。
そんな事情を考慮するなら、今回は昨年のグランド・ツアーの撮影で使って今も私が所有している1978年式のリンカーン・コンチネンタルや、あるいは愛車の4年落ちのレンジローバーのレビューを書くべきなのかもしれない。
しかし、私はそんな時流を考慮する人間ではないので、今回は新型フォーカスSTのレビューを書くことにする。この車は決して見た目が良いわけではない。昔からフォーカスのデザインはそれほど良くなかったのだが、新型はやたらにプラスチッキーで、塗装もサッカーのユニフォームのような質感で、なんとも野暮ったい。
内装も良いとは言えない。コストカットのため、物理ボタンはほとんどなくなり、操作は中央のタッチパネルに集約されている。ほとんどの操作はワンアクションもしくはツーアクションで済むようになっているらしいのだが、運転中に操作しようとすると指が間違った部分に当たってしまう。そうなると一度車を停め、老眼鏡をかけてどうやってホーム画面に戻すか考えなければならない。どう考えても物理ボタンのほうが使いやすい。
タッチパネルのようなまやかしはあるものの、後部座席も荷室も広く、実用性は高い。しかも、荷室にはサスペンションを調整するための工具が入っている。半導体不足の影響で電子制御サスペンションが装備できなくなってしまったわけではなく、顧客がこういった古典的手法を好むとフォードが判断したから工具を装備したそうだ。

真面目な話、土曜の朝に「今日は工具セットを使って、16段階のリバウンド調整と12段階のコンプレッション調整を1日かけて突き詰めてみよう」なんてことを考えるオーナーがどこに存在するのだろうか。工具を使った調整の成果をオーナーたちがネット上で情報交換するようになるなどと、フォードは本気で考えたのだろうか。
もちろん、中にはそうやって細かい調整を自分でやりたい人も存在するだろう。しかし、少なくとも私はそんな人間ではない。市販されている製品というものは、長年の経験と実力を持った職人と高性能なコンピューターによって、最適な設定に作り上げられているはずだ。少なくとも私はそう考えている。
なので、わざわざ自分でジャッキアップしてサスペンションの調整をやろうなどとは思わなかった。何も手を加えずに走り出し、そして気付いた。これで良いじゃないか。ステアリング、ブレーキ、そしてマスタングと共通のエンジンが生み出す圧倒的なトルクが魔法のように調和し、特別感をもたらしてくれる。そして、フォーカスSTには電子制御ディファレンシャルも装備されている。これは本物のディファレンシャルではないのだが、あたかも本物のデフのように振る舞い、走りに一層の特別感をもたらす。
かといって、この車はサーキット向けのハードコアレーシングモデルなどではない。気分が乗らないとき、子供の送り迎えをするときには静かで穏やかな走りをするし、乗り心地も良好だ。
現在、多くのホットハッチが販売されているのだが、そのほとんどが優秀だ。ヒョンデのi30 Nは完成度が高く、ゴルフGTIも昔から大好きだ。しかし、フォーカスSTには、他のどのホットハッチにも真似できない、数値化できない特別な魅力がある。
それだけに、残念でならない。これからフォーカスSTを注文しても、届くのはガソリン車が違法になった後になるだろう。2022年に登場する予定の新型フォーカスを待つのもおすすめしない。結局、半導体不足が解消しない限り、新型も手に入れることはできないだろう。
auto2014
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