Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
テレビの新番組に出演するたび、SNSでフォロワーに宣伝するように要求される。宣伝用の短い動画や画像が送られてきて、それを恥ずかしい文章付きで投稿しなければならない。
しかし、私にそんなことなどできない。なので、放送局の広報部門の若者に電話をかけ、助けを求めることになる。そんなことをしていると、1970年代にオーディオを買おうとしていた父の気持ちが理解できた。販売員から「何ワット必要ですか?」と聞かれて「2ワット」と答えた結果、父は販売員に笑われてしまい、父が「デッキはいらない」と言ったらさらに笑われてしまった。
広報部門の人間は、私が「タグ」や「リンク」といった単語を知らないことが信じられなかったようだ。それを「bio」に挿入してほしいと言われても、そもそも「bio」とやらが何なのかも私にはさっぱり分からない。アルバニア語で話しかけられて、理解できないことを怒られているような気分だ。あまりに腹が立ったので、担当者を呼びつけてバスでオックスフォードシャーの自宅までわざわざ来てもらったこともあった。
同様に、初めてヒョンデ i30 N(i20 Nの兄貴分)に乗ってロンドンに行こうとしたときも混乱してしまった。この車はiPad風のディスプレイを使ってあらゆる設定を自分好みに変更することができる。メーターの表示やサスペンションの硬さ、排気音のうるささまで変えることができる。私は老眼鏡をかけて操作をしながら、憂鬱と絶望に襲われた。それは車に対してではない。自分の老いに対してだ。
当然、私に適切な設定などできるはずもなく、オービスに近付くたび、聴いていた音楽のボリュームが下がって警告してきた。M4とM25が合流するあたりはオービスが山のように設置されているため、オーディオの音量は乱高下し、ワライカワセミの鳴き声を聞いているような気分だった。
この機能をオフにすることもできるのだが、110km/hで運転中にタッチパネル操作を行うのは、くすぐられながら眼科手術を行うようなものだ。

結局、数時間かけてこの機能をオフにすることができたので、帰り道ではスティーヴ・ミラーの『フライ・ライク・アン・イーグル』を邪魔されずに聴くことができた。ただ、ナビに自宅の住所を入力したところ、到着まで3時間かかると表示された。どうやらナビはどうしても高速道路を走りたくないらしい。インターチェンジを通るたび、下道を走らせようとしてきた。
しかし、こういった点を無視すれば、このゴルフと同じくらいの大きさのホットハッチはかなり優秀だった。ボタン式ではない本物のサイドブレーキが装備されていたし、ドライビングポジションも完璧だった。内装の質感は高く、オーディオも出来が良かった。オートマチックトランスミッションはスポーツモードにするとギクシャクしてしまうし、ニュルブルクリンクモードにすると乗り心地が馬鹿みたいに悪くなるのだが、ノーマルモードのままであれば万事うまくいく。
ステアリングからはテレパシーのように前輪の挙動が伝わってきて、トラクションの限界を手に取るように理解できる。これほど優秀な前輪駆動車は他に知らない。フィエスタST以上と言ってもいいくらいだ。
ひょっとしたら、ナビが高速道路を降りたがっていたのもそれが理由なのかもしれない。ナビはこの車が田舎道でこそ輝くということを知っていたのだろう。
妙な話だ。ここ最近、私は運転することを楽しめなくなっていた。運転することを面倒だと感じるようになってきていた。まさか韓国製のハッチバックが運転の楽しさを思い出させてくれるなど、誰が想像できただろうか。私はこの車が大好きになった。
それに、私はこの弟分がもっと好きだ。i20 Nなど私向きの車ではない。小さくてやかましく、足が硬すぎるのでまともに走らず、ただ跳ね回ることしかできない。『くまのプーさん』でいうところのティガーのような車だ。しかし、そんな欠点などどうでもいい。

ステアリングには水色のボタンが2つある。何のためのボタンなのかはよく分からないのだが、右のボタンを押すとメーターがデジタルの炎に包まれる。ジェイコブ・リース=モグからすれば子供っぽい仕掛けかもしれないが、i20 Nは彼向けの車ではない。
1980年代の初め頃、私はフラムのパブ『ホワイトホース』によく通っていた。当時の若者はアルファやGTI、ルノーのホットハッチやBMWに乗っていた。彼らは特別車に興味があったわけではないのだが、当時は保険料が安く、地球温暖化について言及する人間はサッチャー首相くらいだった。それゆえ、誰もが面白みのある車に乗っていた。
しかし、今はもうそんな時代ではない。私の息子は何年も車を運転していない。バスなら酒を飲んでいても乗れるし、Wi-Fiも完備されているから自家用車より便利だと考えている。車は女性差別的であり、自転車こそが正義であると主張する人間も出てきた。これからの時代、自動車に乗っているだけでYouTubeに晒し上げられ、郵便ポストに犬の糞を放り込まれるかもしれない。
もちろん、今でも車を愛する若者は少なからずいるのだろう。そういう若者にとって、i20 N以上の車などないだろう。保険料は悪夢のように高いだろうし、こんな車に乗れば男尊女卑の資本主義者と罵られてしまうだろうが、それさえ我慢すれば最高の経験をすることができる。
i20 Nならどんな速度でもコーナーを抜けることができる。この車なら、運転に情熱を持つことができる。クラッチは微妙なので変速時に少しギクシャクすることがあるのだが、i30 N同様、作りが良くて信頼性が高く、安全で実用性も高く、それでいて楽しさも併せ持っている。パメラ・アンダーソンのような車だ。彼女はハムレットの長文を暗唱することができるのだが、それだけが彼女の魅力ではない。
この車の魅力を本来のターゲットである若者に届けるためには、私のTwitterアカウントにこの記事へのリンクを貼らなければならないのだが、私にはそれができない。この文章が若者に届けられないのが残念でならない。
The Clarkson Review: Hyundai i20 N
auto2014
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