Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、ジャガー F-TYPE R P575の試乗レポートです。


F-TYPE

ジャガーは内燃機関開発を完全中止し、今後4年のうちにEV専門ブランドになると発表した。これを馬鹿げた計画だと考える人は多いだろうし、私も同じように考えていると思っている人もいるだろう。しかし違う。

言うまでもなく、現在の電気自動車には問題点が多い。エネルギーはクリーン(風)なのだが、製造プロセスによって硫黄酸化物や河川汚染、酸性雨、そして児童労働が生み出されている。バッテリー用のコバルト採掘に5歳の子供が駆り出されている写真を見た人なら、電気自動車など到底買おうとは思わないだろう。

信頼性の問題もある。電気自動車のオーナー向けネット掲示板を覗いてみれば、そこはまるでマセラティ・カムシン オーナーズクラブの会報だ。毎回のように牽引車に引っ張られており、特にジャガーのI-PACEは頻繁に牽引されている印象がある。

しかし正直なところ、電気自動車が普及すればこういった問題も改善されるだろう。品質の問題は往々にして大量生産が解決する。それに児童労働問題もいずれは解決するだろう。世界中に跋扈している活動家たちが奴隷労働を放っておくはずがない。倫理的に正しく、原子力を使わない、平和的な製造方法を企業に求めるはずだ。

つまり、4年後に登場するジャガーのEVは、環境に優しく、道徳的に正しく、そして信頼性が高い車になっているはずだ。

それだけではない。ジャガーのシリーズIIIを思い出してほしい。主任警部モースを、アベンジャーズのスティードを思い出してほしい。XJSのV12エンジンを、ネコのように美しいXKを思い出してほしい。ジャガーの魅力は圧倒的な静寂と満ち溢れるパワーだ。そう考えると、ジャガーとEVの相性はかなり良さそうに思える。

rear

ただ困ったことに、ジャガーについて考えるとき、ほとんどの人が真っ先に思い出すのはEタイプだ。我々の想像するジャガーはスポーティーで楽しく、ボンネットは勃起した男性器のように長く、運転席にはデヴィッド・ニーヴンが座っている。EVのEタイプなど誰も望んでいない。結婚式でEV版Eタイプを使ったメーガンとハリー王子は例外だが。

ジャガー自身、Eタイプの束縛から逃れられていない。ジャガーはいまだに自分たちのことをスポーツカーメーカーだと思っている。轟音を響かせ、路面の凹凸を乗員に直に伝えるスポーティーな車を作り続けている。しかしこれこそ、ジャガーが今、苦境にあえいでいる原因だ。そもそもジャガーはスポーツカーメーカーなどではない。

スーパーチャージャー付きV8エンジンを搭載する4WDのF-TYPEの話をしよう。この車は存在自体が間違っている。この車はXKRやXKR-Sの下位モデルとして開発されたのだが、XKの生産終了以降、その穴を埋めるためにF-TYPEの値段だけが上がった。おかげでF-TYPEの価格は割高になってしまった。

Eの次のアルファベットであるFという文字を見て、人々はEタイプのさらに上の存在と考え、何も考えずにF-TYPEに高い金を払ってくれるだろう。ジャガーはそう考えたのかもしれない。しかしそうはならなかった。もう少しお金を積めばアストンマーティン・ヴァンテージが買えるし、フォード・マスタングならばよっぽど安く購入することができる。

そもそもどうしてV8エンジンなど積んでいるのだろうか。V8など決してジャガーらしくはない。1980年代当時、ジャガーの上層部はローバー製V8エンジンを搭載しようと計画したのだが、それに反発した開発陣たちはわざとXJ40のエンジンベイを狭く設計し、V8エンジンを載せられないようにした。その結果、ジャガーは滑らかな直列6気筒エンジンやV型12気筒エンジンで名声を博し、今でもその記憶は語り継がれている。

F-TYPEの音は下品だ。素晴らしい音であることは間違いないのだが、ジャガーはテリー・トーマスやパトリック・スチュワートのような紳士的な悪者のための車だ。田舎のヤンキーのための車ではない。

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パフォーマンスにも問題がある。決して性能が低いわけではないのだが、最高出力575PS、最大トルク71.4kgf·mというスペックを聞けば、宇宙船のような加速を期待する。しかし、数字に見合ったパフォーマンスを体感することはできない。

快適性にも問題がある。というより、快適性など存在しない。このサスペンションを設計した人間が誰なのかは知らないが、ジャガーがEV開発に成功したいのであれば速やかに退職いただく必要がある。土曜の深夜にスーパーの駐車場でドリフトをする能力など、誰もジャガーに求めてはいない。

インテリアもぱっとしない。分厚いフロアカーペットやトレーを照らすイルミネーションはどこへ行ってしまったのだろうか。控えめながら魅力的な装飾はどうしたのだろうか。どうしてステアリングはこんなに大きいのだろうか。

この車はジャガーのかつての栄光、Eタイプに敬意を表したモデルとして登場した。しかしEタイプはたった一度だけの奇跡的な存在だ。ポール・マッカートニーの『ワンダフル・クリスマスタイム』やチャック・ベリーの『マイ・ディンガリン』と同じだ。

それでも、F-TYPEは魅力的な車だ。ステアリングは別として、小さく感じるし、かといって華奢ではない。見た目は攻撃的でありながらも洗練されている。現行車の中では世界屈指の美しさだ。

結局、見た目さえ美しければ良いのだ。これまであなたが出会ってきた美女を思い浮かべてほしい。そのうち、あなたが嫌っている人はどれだけいるだろうか。

ジャガーによると、EV時代にスポーツカーを作る意味はないそうだ。それは合理的な決断だ。なにせ、ジャガーはスポーツカーメーカーではないのだから。けれど、F-TYPEのように美しく、それでいて快適で速いクーペやコンバーチブルを作る意味はあるはずだ。名前も考えてある。Gタイプだ。いや、Gスポットのほうがいいかもしれない。


The Clarkson Review: Jaguar F‑type