Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
アメリカは50年以上の歴史の中で初めてスポーツカーを開発しようとした。その結果誕生したのがポンティアック・ソルスティスだ。そうして、デビッド・ベッカムがポルトガル戦で行ったペナルティキック以来の的外れな車が誕生した。ソルスティスは滑稽なほど酷い車だった。
ここで疑問が生じる。アメリカの巨大な自動車産業が、いったいどうして車作りの基礎であるはずのスポーツカーを作ることができないのだろうか。フロントにエンジンを載せ、リアを駆動し、折り畳み式のルーフを装備する軽くて速い車をどうして作れないのだろうか。
ロータスすら、バスタブとローバー製エンジンしか使わなくてもスポーツカーを作ることができている。アルファ ロメオも薄すぎて向こうが透けて見えるような鋼板と始動すらままならないようなエンジンを使ってスポーツカーを作ることができている。労働者全員が工場の外で火鉢を囲って歌っているようなトライアンフすら、スポーツカーを作ることができている。
では、アメリカのどこに問題があるのだろうか。ここヨーロッパでは、初期の自動車はコーチビルダーが富裕層のために作る贅沢品だった。フランスやドイツ、イギリスでは、1940年代になるまで一般庶民が車を手に入れることはほとんどなく、イタリアに至っては1950年代まで車が贅沢品のままだった。それどころか、スペインではいまだに車は庶民の手に届いていない。
それゆえ、我々の中にはいまだに車に対する憧れがあり、欲しい車のためなら頑張って働こうとも思える。一方、アメリカでは内燃機関の誕生とともにT型フォードがすぐに庶民の間に浸透し、贅沢品という扱いを受けることがなかった。その結果、アメリカ人は自動車を道具であると見なすようになった。つまり、車は馬の代用品以外の何物でもない。
ヨーロッパ人は車のデザインや加速性能を重視する。一方、アメリカ人はトラックがどれだけ重い物を牽引できるか、エンジンがどれだけのトルクを発揮するかを重視する。
アメリカ人の中にもハイパフォーマンスカーを好む人はいるのだが、彼らが気にしているのはコーナーでどれだけのGを生み出せるかで、一方ヨーロッパの車好きはグリップになど興味はなく、むしろグリップが失われた時にどのように滑るかを気にしている。ハンドリング性能などではなく、自分の技術を磨くことを重視している。
アメリカのモータースポーツは最初からスポンサーのために行われている。アメリカでオーバルトラックが生まれたのも、観客にスポンサーの名前をよく見せるためだ。決して車が木に突進していくことなどない。

しかし、ヨーロッパではかつて、モータースポーツは金持ちの道楽だった。飛行場の近くの道路で、民衆から隔離された場所で開催されていた。このようなワインディングロードではグリップ性能やハンドリング性能など何の役にも立たない。自らの腕が物を言う。
そう考えると、ロータスやフェラーリ、マセラティ、アストンマーティンなどのメーカーがヨーロッパにある理由もよく分かる。そして、アメリカにフォード F-150というピックアップトラックがある理由もよく分かる。F-150の0-100km/h加速はだいたい100万秒で、荷台には死んだクマを載せることができ、ワインディングロードを走る楽しさなど存在しない。
アメリカにはフォード・マスタングという車もあり、私は先週、モントレーからサンフランシスコまで国道101号線をマスタングで走った。太陽は輝き、FMラジオからは心地良い西海岸の音楽が流れていた。私も他の車と同じようにずっと105km/hきっかりで走り続け、単調な大排気量V8エンジンの音と同様、私の心も非常に穏やかだった。
新型マスタングは1965年に登場した初代モデルに似せられている。これは良いことだ。しかし困ったことに、ヨーロッパではエドワード1世すらも古臭いと思うような初代の技術まで踏襲されてしまっている。
2ステージターボチャージャーなどこの車とは無縁だ。最高のパフォーマンスと最高の経済性を両立するための技術など存在しないし、エンジンを小型化するための工夫も存在しない。マスタングの4.6L V8エンジンにはカムシャフトが1つしか存在せず、1気筒あたりのバルブは3つで、最高出力はヨーロッパ人ならジューサーに求める程度しかない。
新型マスタングのプラットフォームはジャガー Sタイプのものだ。ところが、アメリカ人は時間を巻き戻し、乳母車と同じ車軸懸架と、トーマス・ニューコメンすら「ちょっと時代遅れだ」と考えたパナールロッドを採用した。
では、マスタングの走りはどんなものだろうか。私は昨日、ラグナ・セカという美しいサーキットでマスタングを運転した。ここはアメリカで最もコーナーの多いサーキットで、世界中のレーシングドライバーからも絶賛されている。マンセルも、ヴィルヌーヴも、スティグすらもこのサーキットを気に入っている。
正直言って、このサーキットはマスタングという老馬には荷が重すぎた。ブレーキは完全に焼けてしまい、最終コーナーではリアサスペンションにかなりの負担がかかった。歩くことすら難しいような急勾配の下りS字コーナー「コークスクリュー」では下着を汚してしまいそうになった。
マスタングの最高出力は304PSで、同等排気量のBMWと比べれば200馬力ほど少ない。しかしそれでも、0-100km/h加速は5秒で、最高速度は240km/hを記録する。牛車にしてはまあ速い数字だ。

しかし、欧州の基準で考えれば、この車はガラクタでしかない。エンジンは無駄だらけで、余分な排気量が燃料を虚無に変換してしまうし、ちょっと走っただけでブレーキは摩耗し、生まれたてのロバのような操作性しかない。
問題はまだある。エンジン音は荒っぽく、インテリアはアフガニスタンの洞窟くらい貧相で、それから…。それから…もう続けるつもりはない。この車には悪い部分がたくさんあるのだが、私は104.3 FMから流れるイーグルスを聴きながら101号線を105km/hで走ることに夢中になってしまった。
サンフランシスコ沿岸部はマスタングを世界中の車好きに知らしめた映画『ブリット』の舞台となった場所だ。私は、そんな映画に思いを馳せることに夢中になってしまった。
9月の美しい1日、私はサンフランシスコでマスタングを想い続けた。とても良い気分だった。あまりに気分が良かったので、自分の家にこの思い出の一片を持ち帰りたいとさえ思ってしまった。
数字的にはなかなか良さそうだ。なぜなら、銑鉄と溶岩で作られたマスタングはかなり安いからだ。わずか25,000ドルで購入できる。13,800ポンドで300馬力の車が買えるというのはなかなかに魅力的だ。輸送費やブレアに支払う税金などを考慮しても価格は22,000ポンドに収まる。
これだけあればフォルクスワーゲン・ゴルフGTIが購入できる。ゴルフのほうがよっぽど実用的で運転しやすいし、間違いなくゴルフのほうがラグナ・セカを速く走れるだろう。私はゴルフGTIを運転するたび、その実力に感心してきた。しかし、私はマスタングを運転して、マスタングが好きになった。実際のところ、感心なんかよりも好きになれるかが重要だ。
当然、アメリカ人にスポーツカーなど作れるはずもない。しかし、ドゥービー・ブラザーズの『ロング・トレイン・ランニン』を聴きながら110km/hでひたすら走り続けるとき、そんなことは何の問題にもならない。
しかし、もし私がマスタングを購入したとしても、運転するのは湿った11月になる。そうしてようやく、本当に家に持ち帰りたかったのはマスタングなどではなくサンフランシスコそのものだったということに気付くはずだ。
マスタングはアメリカの中では素晴らしい車だ。しかし、イギリスの中で買うならゴルフを選んだほうがいい。
auto2014
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