Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
アバルト 695リヴァーレ コンバーチブルを見れば誰もが欲しいと思うだろう。カザフスタンに兵器を密輸している人だろうが、北ウェールズの園芸用品店に土を納品している人だろうが、どうにかして理由をこじつけ、仕事用にぴったりな車だと自分に言い聞かせるようになるだろう。
午前3時に値段を調べてみると、最も安いモデルが23,380ポンドで購入できることを知る。なので朝8時にディーラーに電話を掛ける。
そうして私は695リヴァーレの試乗を予約した。頼んでいた試乗車が家に届く頃になっても、そもそも私の人生にイタリア製の小型車など必要ないということにはまだ気付いていなかった。
空港で暇つぶしに腕時計を眺めることがある。既に自分の腕時計は持っているし、貰い物なので思い出も詰まっている。不具合もなく、しっかり動いている。新しい時計を購入する必要性などどこにもない。
「でもちょっとだけ見てみよう。」
結局、新しい時計を購入してしまうのだが、冷静になるとあまりにも高価な買い物だったことに気付く。目の不自由な人のために犬を買ったほうがずっとましだった。けれど、気に入ってしまったのだから仕方ない。どうしても欲しかったのだ。そうなったらもう買うしかない。
695リヴァーレも同じだ。ダークブルーとメタリックグレーのツートーンカラーは、我々が憧れてやまないリーヴァのボートからインスピレーションを得ている。高級ボートでのクルージング気分を味わうために、マホガニーの内装を選択することもできる。
いずれも素晴らしい特徴だとは思うのだが、リーヴァに敬意を払ったモデルなのに、どうしてリヴァーレなどという偽物っぽい名前を付けてしまったのだろうか。
それ以上に理解に苦しむのがスコーピオンのバッジだ。アバルトとはフィアットにとって、メルセデスのAMGのような存在だ。車にスパイスを付加する部門だ。要するに、695リヴァーレはリーヴァのような見た目でありながら、その中身は走り屋だ。

けれど、こんな矛盾点を気にする人などいない。車内にあるボタンを押すと、ルーフがバックウインドウごと折り畳まれ、ほぼ正真正銘のオープンカーへと変貌する。これが決め手だ。たとえこれがムッソリーニに敬意を払ったモデルだったとしても、その魅力には抗えない。
残念ながら、実際の695リヴァーレは魅力的な車などではない。この車はあくまでただのフィアット 500だ。確かに500は非常にキュートな車だ。けれど、その中身はランチア・イプシロンやフォード Kaと同じだ。
フィアット 124スパイダーという車もある。これも魅力的な車だ。1960年代のローマの精神を感じさせる。けれど、その中身はマツダだ。
確かに、500に搭載されている2気筒エンジンには独特の魅力があった。ただ残念なことに、このエンジンは既に廃止されてしまっている。なぜなら、そもそもまともに使い物にならなかったからだ。
この2気筒エンジンは燃費性能の高さを売りにしていたのだが、それはまったくの嘘だった。どれだけ丁寧に運転しようと、どれだけゆっくり運転しようと、せいぜい14km/Lしか実現できなかった。500ほどの小ささの車ではまったくもって不十分な数字だ。
今の500は普通の4気筒エンジンを搭載しており、695(これも500の一種だ)も例外ではない。695にはアバルト用の1.4Lターボエンジンが搭載される。このエンジンは最高出力180PSを発揮し、最高の排気音を響かせる。エンジン性能は十二分に高く、0-100km/h加速は7秒未満でこなし、最高120km/hまで加速させることができる。
アバルトの発表では225km/hまで出せることになっているのだが、そんな速度を出した男が本当にいるのなら是非とも会ってみたい。きっと太陽系ほどの大きさの睾丸を持っていることだろう。KONI製のサスペンションを装備しているにもかかわらず、695はあまりに跳ねやすく、怖くて高速道路の制限速度以上を出そうとは到底思えなかった。
問題は他にもある。コンバーチブルでは金属製のルーフの代わりにキャンバスルーフがボディを支えているのだが、それでは明らかに強度が不十分だ。

昔、サーブ 900やフォード・エスコート XR3iなどのオープンカーにはスカットルシェイクと呼ばれる問題があったのだが、現代の技術をもってすればスカットルシェイクなど完全に消し去ることができる。ただし、アバルトだけは例外だ。まともに設計されているとは思えない。
街中でスカットルシェイクが生じることはないので、そこでしか使わないならば問題はないかもしれない。ただ、他にどんな速度域でも生じる問題がある。座席だ。シート自体の見た目は良く、使われているレザーも上質だ。ところが、実際の快適性やサポート性は丸椅子レベルだ。
イタリア人はイギリス人のように肥満に苦しんではいないのかもしれないが、ミラノ在住のスーパーモデルであろうと、このシートに座るのは一苦労だろう。ましてや太った人間なら、物干し竿に座る気分を味わってしまう。
要約すると、695コンバーチブルは高速域では不安定で跳ねやすく、スーパーモデル以外に乗りこなすことはできない。
私はこの車が好きになれなかった。アバルトならもっと良い車が作れたはずだ。現に1980年代のフィアット・ストラーダ アバルトは良い車だった。ストラーダは今でも私のお気に入りホットハッチの1台だ。
それに、リーヴァはこの車についてどう思っているのだろうか。私は以前、カルロ・リーヴァと会ったことがある。彼がまだ貧乏だった頃、リーヴァはクライスラー製のエンジンを採用したことがあるのだが、その時に品質というものがいかに重要であるかを学んだそうだ。
The Clarkson Review: Abarth 695 Rivale convertible
auto2014
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