Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
先日、ある人が亡くなった。ピーター・ツィス少佐だ。彼は元々ブルックボンドの紅茶鑑定人で、1939年に艦隊航空隊に入隊した。彼は地中海でパイロットとして功績を残し、殊勲十字章を授与された。1943年にはイギリスに帰国し、双発機モスキートを操ってフランスに爆撃を仕掛け、ドイツのユンカース88を撃破した。そして終戦前にアメリカに行き、そこで海軍戦闘機の試験飛行を行った。
終戦後、彼はフェアリー・アビエーションのテストパイロットとなり、1954年10月6日、フェアリー デルタ2の初飛行を行った。私も子供の頃はFD2の模型を持っており、子供ながらにそれが世界で最も美しい物体だと思っていた。しかし、ツィスにとってFD2はそれ以上の存在だ。
コンコルドのように垂れ下がったノーズのおかげで、FD2は当時の航空機としては世界で最も速かった。アメリカ空軍がスーパーセイバーで最高速度1,323km/hを記録したわずか5ヶ月後、ツィスは愛機のFD2に乗り込み、チチェスター近郊へと向かった。
高度38,000フィートの世界で、彼はアメリカ空軍の記録を塗り替えた。2回の飛行で平均1,822km/hを記録した。彼こそ、1,600km/h(1,000mph)の壁を超えた最初の人間だ。その結果、彼には大英帝国勲章が授与され、サセックスの農家では衝撃波によって温室のガラスが破損し、裁判沙汰にまでなった。
テストパイロット退職後も、彼は隠居などしなかった。148種類もの航空機を乗りこなしたあと、彼はボンド映画『ロシアより愛をこめて』の中でフェアリー マリーンのスピードボートを操縦し、『ビスマルク号を撃沈せよ!』ではフェアリー ソードフィッシュの雷撃機を操縦している。他にもクルーザーを開発したり、グライダーで飛んだり、そして5回の結婚を経験した。
これぞまさに人生だ。完璧な人生だ。死ぬ間際に「満足の行く人生だった」と振り返ることのできる人生だ。ピンク・フロイドのアルバム『狂気』に収録されている『タイム』の歌詞を思い出す。
Ticking away the moments that make up a dull day
(つまらない一日を時計が刻む)
Fritter and waste the hours in an offhand way
(あてもなく時間が過ぎていく)
Kicking around on a piece of ground in your home town
(地元をあちこちぶらついて)
Waiting for someone or something to show you the way
(誰かが、なにかが道を教えてくれるのを待っている)
人生は長く、無駄な時間を過ごす余地もある。けれど、本当はそんな余裕などない。人生は短く、どう足掻こうとも後悔が残る。どれだけのものを見ようと、もう一歩先に進めばもっと別の景色が見えたのではないだろうか。
トム・ジョーンズが死神に誘われたとき、彼はきっと夜を共にできなかった女性のことを思って後悔したことだろう。ピーター・ツィスすら、死ぬ間際、ドイツの爆撃機をもう1機撃ち落とせていれば、フェアリー デルタであと1km/h速く飛べていたらと後悔したはずだ。
私も同じだ。私は世界中を旅してきたのだが、それでも墓の中で「どうしてポンテクラフトに行かなかったんだろう」と悔やむはずだ。そしてだからこそ、金があるなら明日にでもスーパーカーを買うべきだ。
スーパーカーなど馬鹿げている。実用性が低く、壊滅的に高価で、駐車もしづらく、(極小の)スーツケースを収納するためにボンネットを開けるたび、指が汚れてしまう。
けれど、スーパーカーは普通の車とは違う。旅客機とジェット戦闘機くらい違う。我々の中に眠るスピードの遺伝子を刺激するために作られている。忘れかけていた童心をくすぐる。

それに、スーパーカーはグローバル化した自動車メーカーの技術者やデザイナーが新しいアイディアを試すことのできる数少ない舞台だ。300km/h超で走れる車を作る場合、特別な素材でできたブレーキが必要だし、超高速域における空気の動きについても考慮しなければならない。セダンなら誰でも作れるが、スーパーカーを作るためには才能が必要だ。
現在、優れたスーパーカーは2台存在する。マクラーレン MP4-12Cは科学と数学の結晶で、フェラーリ 458もやはり科学と数学の結晶だ。ただ、フェラーリにはルネサンス美術の要素も適度に取り入れられている。最新鋭の科学技術で制動力を生み出し、最先端の電子技術でグリップを生み出している。
しかし、もし私がスーパーカーを買うなら、どちらも選ばない。私ならランボルギーニ・ガヤルド LP570-4スパイダー ペルフォルマンテを選ぶ。まずはこの車名について説明しよう。
LPはV10エンジンが縦置きされているという意味で、570は最高出力が570PSであることを示している。-4は四輪駆動のことで、スパイダーはコンバーチブル、ペルフォルマンテは(もともと高性能なのだが)高性能モデルであることをそれぞれ示している。
高性能化は主に軽量化によって実現している。例えば、エンジンカバーやドアパネル、シート、それどころかドアミラーにまでカーボンファイバーが使用されている。これだけ聞くとやはりランボルギーニも科学と数学の結晶のように思えるのだが、違う。
フェラーリとマクラーレンはいずれもレーシングチームなのだが、ランボルギーニは違う。なのでランボルギーニはわざわざF1の要素を取り入れる必要がない。ランボルギーニは大音量を響かせ、小さな子供を興奮させ、熱り立たせるために作られている。
フェラーリは吠え、マクラーレンは歌う。しかしランボルギーニは轟く。空力性能を最優先にデザインされているレーシングカーとは違い、ランボルギーニは人を惹き付けるためにデザインされている。
そもそも、本格スーパーカーの場合、あえてコンバーチブルを購入したいとは思えない。コンバーチブルは標準モデルよりも剛性が落ちるので、走行性能が低下してしまう。けれど、コーナーでの0.01Gを追い求めてランボルギーニを購入するような人間などいないので、ランボルギーニを買うならコンバーチブルを選んだほうがいい。そちらのほうがエンジン音をはっきり聞くことができる。
ペルフォルマンテの加速は残虐で、制動力は首がもげるほど強力だ。それに、一般的な四輪駆動車とは違い、限界を超えても慢性的にアンダーステアを呈するようなことはない。コーナー途中でアクセルを踏み込むとテールが滑り、漫画のような煙が巻き起こる。
フェラーリやマクラーレンを運転しているとき、ドライバーは運転することに集中している。けれど、ガヤルドの場合は違う。楽しすぎてそれどころではなくなってしまう。
フェラーリは最近、7年保証の提供を開始している。きっとそれだけ信頼性が向上しているのだろう。しかし、ランボルギーニもアウディ傘下になって以降は個人的に故障を経験したことはない。
なら、是非とも買うべきだ。ひょっとしたら、ランボルギーニを買うなど馬鹿げていると思っている人もいるかもしれない。けれど、いずれ死の淵を彷徨うとき、きっとランボルギーニに乗ったときのことを思い出すだろう。きっと笑いながら天国の門をくぐることができるはずだ。
THE CLARKSON REVIEW: LAMBORGHINI GALLARDO LP570-4 (2011)
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