Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、ヴォクスホール・コルサの試乗レポートです。


Corsa

ボリス・ジョンソンが外出制限命令を出したとき、私が借りていた車はランボルギーニでもベントレーでもジャガー F-TYPEでもなかった。新型コロナウイルスの警報が解除されるまで今後300年間ほど、平凡なヴォクスホール・コルサを借り続けることになってしまった。

この暗澹とした時代、コルサでは私の心は満たされないだろう。そもそも、自動車にはその土地らしさが必要だ。どこで作られたか知ることで、その車の姿を知ることができる。フェラーリにはイタリアらしさがある。ホンダはまさに日本的な車だ。そしてヴォクスホールからは…どの国の血統も感じない。

ヴォクスホールはかつてゼネラルモーターズの一部門だった。要するにヴォクスホールはアメリカ車だったのだが、ディーゼルのアストラ以上にアメリカらしくないものといえばスターリンの髭くらいしか思い浮かばない。

ひょっとしたら、ヴォクスホールはオペルの姉妹ブランドだったのでドイツ車だったのかもしれないが、今はプジョーグループなのでフランス車ということになってしまう。ところが、コルサの製造はスペインで行われている。要するにヴォクスホールは、出自も血統も曖昧なおぞましい多国籍ブランドだ。

ヴォクスホールに乗っている人間にも問題がある。私の農場にピックアップトラックが来た場合、その人達は何らかの仕事に来たと分かる。畜産業者かもしれないし、工事業者かもしれない。そしてヴォクスホールが来た場合、その人は何かを規制するために政府から派遣されてきた人間に違いない。

冗談を言っているわけではない。インシグニアが家に来たら泥の中に隠れることさえある。彼らは書類と重箱の隅をつつく知識を武器に、何が何でも私を取り締まろうとしてくる。学生時代、教師が何に乗っていたかは覚えていないが、規則に囚われた嫌味な教師は間違いなくビバに乗っていたはずだ。賭けてもいい。

ヴォクスホールはフォードとは違う。恰好つけようとしてはいるのだが、いつも中途半端だ。

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ヴォクスホールにも速い車はある。シェベットHSもそうだし、フィレンザもそうだ。サターンVロケットにカナルボートを融合させて生まれたロータス・カールトンという車もある。

中には本当に優れた車もあったのだが、仕事に成功した人間が「そうだ、速いヴォクスホールを買おう」などと考えることがあるだろうか。私とジェームズ・メイ、リチャード・ハモンドの3人が全会一致で思っていることなのだが、車の世界でもっとも滑稽な概念は「速いヴォクスホール」だろう。スーパーで最高級の宝石を買うようなものだ。

昔、馬鹿な男に会ったことがある。上下ジャージで野球帽を被っており、話すときには口が動いていなかった。彼に「もし金が無限にあったらどんな車が欲しいか」と聞いたところ、カリブラターボだと答えた。街頭インタビューの歴史でこれほどまでに無意味で残念な返答は他にない。

だからこそ、私はしばらく新型コルサと過ごさなければならないことが嫌だった。しかも、さらに嫌なことに、そのコルサには活力のある3気筒ターボエンジンが搭載されていた。つまりこれは速いヴォクスホールだ。しかも見た目は普通だ。少なくとも1980年代のノヴァSRiには巨大なホイールアーチが付いていた。

とはいえ、コルサは見た目が良いし、おそらく実用性も高い。リアシートに子供が何人座れるか実際に試してみたかったのだが、今の社会情勢的にそれはできなかった。なのでその検証は諦め、実際に運転してみたのだが、予想外に気に入ってしまった。

前回試乗したルノーのほうが快適性は高いのだが、コルサのほうが活力がある。コルサのエンジンには血統が感じられる。フランスの血だ。排気量わずか1.2Lながらも、破綻のない珍妙な快音が鳴り響く。運転していて唯一不満だったのはブレーキだ。ペダルの位置がおかしく、まるで漫画の車のようだった。

エンジンを始動するためにスタートボタンを押してもエンジンは始動しない。なので再び押してみるのだが、そうするとすべてがオフになってしまう。しかし、こういった欠点を考慮しても、コルサは良い車だ。車名が「マーダラー」(殺人鬼)だろうが「フィーシーズ」(糞便)だろうが気に入るだろう。そう考えるのは私だけではない。

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今、私のコテージには18歳の少女が住んでいる。いや、誤解されると困るのではっきり言っておくが、もちろん彼女の母親も一緒に住んでいる。彼女は間違いなく今の生活に満足していない。本来なら彼女は今年Aレベルを修了していたはずだ。修学旅行でマガルフに行く予定だったし、夏には何百万回とパーティーをしていたはずだ。

彼女は今、鶏を追い回したり、フェンスを修復したりすることしかできず、毎晩のようにボンド映画を観ている。けれど、そんな時代であっても、私がヴォクスホールを持っている。しかもマニュアル車だ。

彼女はいつもどこかへ行く理由を考えている。出発したあとに忘れ物を思い出して戻ってくるのもいつものことだ。彼女は私のヴォクスホールを借りて運転するのを楽しんでいるようだ。

いずれ情勢が変わり、どこへでも自由に行ける日が来たとき、彼女はルイス・ハミルトンになるのかもしれない。人生の最上の幸せが1.2Lのヴォクスホールであると考える人など、彼女が人類史上初めてだろう。

不思議なことに、ヴォクスホールのおかげで幸せになる彼女を見ていると、私まで幸せになれる。私のところに来た試乗車がベントレーやランボルギーニじゃなくて良かった。さすがに18歳の少女にそんな車を運転させるわけにはいかない。

今、ベントレーの広報車を借りている新聞社の記者も、ランボルギーニの広報車を借りている雑誌社の記者も、今は車を運転することはできない。なにせこのご時世、「自動車のテストをする」なんて理由では外出など許されない。

けれど、コルサのような実用車なら、なんの躊躇いもなく外に出かけることができる。