Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、BMW 840d xDrive クーペの試乗レポートです。


840d

これまで、過去より未来のほうが悲惨であるという考え方には決して同調してこなかった。我々の生活は1分ごとに向上している。発明により我々の利便性は向上し、新薬の登場によって感染症や勃起不全も改善していく。それどころか、人間の容姿すらも改善していく。

しかし最近、イギリスの未来についての話が出ると、「この国はf***だ」と言う人がいた。普段なら落ち着けよと諌めるのだが、よくよく考えてみると彼の言っていることは正しいのではないだろうか。

与党の党首候補も首相も、皆何らかの形でEU離脱を実現すると宣言はしているのだが、そんなことはありえない。なぜなら不可能だからだ。状況があまりにもややこしすぎる。

高級ヨットを所有でき、露出度の低い服が苦手なスーパーモデルのガールフレンドができるくらいの大富豪になりたいか、と世間に問う投票があったとしたら、誰もが投票所に駆け込んで「イエス」と答えるだろう。ブレグジットはこれと変わらない。

その後、テリーザ・メイは2050年までにイギリスの温室効果ガス排出量をゼロにするという馬鹿げた公約まで出した。こちらも当然実現不可能だ。

もし、二酸化炭素を排出しない発電手法だけを使い、道路から内燃機関を搭載する車を完全に排除し、あらゆる家庭から暖房器具を没収し、肉を食べることを違法化すれば、二酸化炭素排出量を96%ほど削減することはできるだろう。しかし、100%削減するためにはどうすればいいだろうか。それは現在の技術では不可能だ。

我々が向かっているゴールはいずれも達成不可能なものばかりだ。そうなるといずれ、誰かがこんなことを言い出すはずだ。
昔のやり方に戻したほうがいいんじゃないか。今度はジェレミー・コービンに投票してみよう。

似たような問題はたくさんある。。警察権力はジョー・ブランドがナイジェル・フランジを侮辱でもしない限り腰を上げないし、SNSは飢えに苦しむアフリカ人を助けようとする白人を許さない。

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私はHS2の無駄さにも怒りを感じているし、国民保険サービスの行く末も危惧している。イングランド北部に住んでいるかもしれないジハード戦士たちの存在にも怯えているし、空港のセキュリティスタッフはまともな仕事をしてくれない。

他にも理解できないことがたくさんある。スーパーのセルフレジもそうだし、事故のたびに何時間も通行止めになる高速道路もそうだ。はっきり言ってしまうが、今の時代、本当の意味での事故なんて起こりえない。今起こっている事故というのは、もはや誰にも責任のない、回避不可能なものばかりだ。

ついつい自動車の記事を書いているということを忘れてしまっていたので、本題に戻ることにしよう。以前、ある賢明な男が言っていたのだが、もし自動車が昨日開発されていたとしたら、一般市民に自動車を運転させることを許す政府など、世界のどこを探してもいないだろう。

それが現実になろうとしている。街中の制限速度は30km/hになり、あらゆる場所に自転車レーンが、オービスが新設され、どんなにちょっとした法令違反であっても厳罰を与えられるようになった。今や空いた道を運転する楽しさなど存在しない。車がスピードを出すような広告など許されない。たとえそれがスポーツカーのCMだとしてもだ。

モータースポーツを見てみよう。今のF1はスリルも流血もクリケット以下だし、他の車を追い越したドライバーにはペナルティが与えられる。あるいは道を譲らなかったドライバーにもペナルティが与えられる。

今の車はウインカーを出さないで車線変更をしようとするとドライバーと格闘しようとするし、シートベルトを締めていないと警報を鳴らすし、ドライバーが無能だと車が判断すれば、勝手に車が止まってしまう。

もはやそんなのはクルマではない。クルマよりむしろ、洗濯機や鉛筆削りに近い存在になりつつある。今の車は単なる健康と安全の狂信者だ。

BMWならそんな車は作らないだろう、と期待する人もいるかもしれない。BMWといえば究極のドライビングマシンを作るメーカーとして名を上げてきた。では果たして、BMWのフラッグシップスポーツカーである8シリーズは横暴で利己的な人間らしいクルマなのだろうか。

The Grand Tourの収録でV8モデルの8シリーズと対面したとき、私はほとんど興味を持てなかった。タイヤは少し貧弱に見えたし、リアエンドにはトヨタ車のような雰囲気が漂っていた。内装にも面白味がなかったし、確かに速い車ではあるのだが、ジェームズ・メイすら困惑させるほどの多くの運転支援装備が付いていた。

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ジェームズ・メイは擁護派ではあるのだが、そもそも私自身もこれまでずっとBMWの大型クーペが好きだった。大昔は3.0 CSLを所有していたこともあるし、その後継車であるM635や850iも欲しいと思っていた。

続いてM6グランクーペという車が登場した。かつてオーストラリアで、イングランド南東部くらいの面積がある農場内の私道でM6グランクーペを運転した。いまだにそれが人生で最高のドライブだったと思っている。日が沈み、激しい暑さがようやく和らぐと、私はトラクションコントロールを切って美しいドリフトを楽しんだ。

私は別にジェームズ・メイを怒らせたかったわけではなく、むしろ私自身も最初は新型8シリーズを楽しみにしていた。なので、再確認のためにBMWから試乗車を借りることにした。すると、BMWはディーゼル車を貸してきた。

今や欧州市場においてディーゼルのクーペを販売しているメーカーは少ない。そもそもクーペを欲しがるような人間はディーゼルを求めないし、ましてや今の時代、ディーゼルの扱いは性的暴行や未成年淫行と大差ない。

確かに、最高出力は319PSもあるので、不足は感じないのだが、その馬力が発揮される場面が間違っている。クーペに求められるのは軽やかな加速であり、重々しい踏ん張りではない。

V8ガソリンモデルの場合、ついつい加速したくなってしまうし、加速しても4WDシステムが作動して危ないときはアシストしてくれる。アクティブステアリングは急カーブでは軽くタイトに操作することができるし、自動車評論家なら空力性能の改善にも気付くかもしれない。しかし、ディーゼルの場合、ドライバーはただただ目的地に座るまでラジオを聞きながら大人しく座るだけだ。

問題は他にもある。オプションを一切装備しなければ、価格は75,000ポンドちょっととそれほど高くはない。しかし、中古車サイトを見てみると、ディーゼル仕様の6シリーズグランクーペの価格は現在15,000ポンド未満になっている。きっと840dにも同じ運命が待っているだろう。

つまり、この車に乗っても楽しめないし、仮に楽しめたとしてもこの国ではそんなことは許されないし、将来的には大損することになるだろう。結論に移ろう。V8を購入して、イタリアに移住すべきだ。