クリス・ハリスが「Road and Track」に寄稿したシンガー・ビークル・デザイン ポルシェ 911の試乗レポートを日本語で紹介します。


Singer Porsche

自動車改造の歴史は自動車の歴史と同じくらい長い。そう考えると、改造車にもっと注目してみるのもいいかもしれない。

2009年、ロブという男がポルシェ 911の改造車を作り、それを何人かに披露した。それからわずか数週間でその車は伝説となり、それから何年も語り継がれるのだが、実際にその車に乗った人はほとんどいない。しかし、ベクターの車に乗ったことのある人も同様にほとんどいないはずだ。要するに、多くの人が運転したかどうかは、伝説には何の関係もない。

ロブ・ディキンソンは昔の911を再構築し、現代的な要素を上手に付加した。単に過去へのリスペクトだけに終わっておらず、ボディは見事に膨らみ、筋肉質になっている。

この車が完成するまでの道程は途方もなく長かった。ロブは完璧主義者で、1年間にわたって粘土をいじり続けた。もとは趣味のようなものだったのだが、それがビジネスへと繋がっていった。シンガーの911はパガーニ・ウアイラにも匹敵するほど細部まで緻密に作り込まれている。

ベースとなっているのは964型911(1989年~1994年)のシャシだ。フロントのクラッシャブルゾーンの一部は取り外され、フロント部分にオイルクーラーが設置されている。その結果、バンパー位置が低くなり、初代911のようにフードが長くなっている。ルーフはカーボンファイバー製で、フェンダーもワイドなカーボンパネルに交換されている。しかもボディの質感は驚くほど高い。

rear

この911には2バルブの3.8L 水平対向6気筒エンジンが搭載される。このエンジンはポルシェ製のものがベースで、クランクシャフトは996型911 GT3のものが使われ、コスワースにより改造されている。最高出力は公称値365PSで、車重は1,180kg前後だそうだ。サスペンションには韓国製小型車と同じくらいの値段のオーリンズ製3ウェイアジャスタブルダンパーが採用されている。

これからホイールについて1段落使って説明しようと思う。そうでもしないとロブに殺されるだろう。それくらい彼はホイールについて熱意を持って語っていた。見た目はフックス製のホイールに似ているのだが、リムはかなり深く、見事な見た目だ。

シンガーの911は普通の車とは違う。RECARO製バケットシートに座ると、10分くらいはこの内装に見蕩れてしまうだろう。過去への郷愁に駆られる一方で、現代的な装備(MP3プレイヤー)もしっかり用意されている。

改造車の走りは、必ずしも見た目ほど素晴らしくはない。しかし3分ほど運転して、そんな心配は払拭された。エンジンは問題なくすぐにかかり、アイドリング状態になると立派なバリトンを奏でる。そしてアクセルを踏み込めば、水冷のGT3と同じようにしっかりと回る。その音は車内からでも魅惑的だ。

これは非常に速い車なのだが、それ以上にエンジンの特性が印象的だった。アクセルを床まで踏み込み、短いシフトレバーを操作しつつMOMOのステアリングを握ると、『栄光のル・マン』のスティーブ・マックイーンになったような気分を味わえる。こういう車は車好きの心に突き刺さる。作り手の物語に引き込まれ、そしてこの車とともに自分だけの物語を作り上げていく。

interior

ステアリングは昔ながらの911そのものだ。重く、路面の情報が過剰なほど伝わってくるし、適度にクイックだ。しなやかさと敏捷性のバランスは見事で、音振性能は昔の911と比べると遥かに良い。それもそのはず、リアのバルクヘッドには遮音材が贅沢に使われている。不必要な音は遮断しつつも、GT3の栄誉ある音はしっかりと車内まで伝わってくる。

サーキットで走らせても、グリップ力は見事だし、なにより楽しい。サーキットでも速いのだが、ミシュラン Pilot Sportの限界に阻まれてしまうし、アジャスタブルダンパーのセッティングも複雑で難しい。

値段はおよそ50万ドルとかなり高価だ。しかし、この金額を出せば、世界で最も有名なスポーツカーのエッセンスを凝縮したモデルを手に入れることができる。過度な派手さはないし、日常的に使える実用性も備えている。最新の電子制御によって楽しさが削がれてしまうこともない。この車は多くの人に愛されたフラットシックスの本質を体現している。この911ほど情熱と意欲に満ちた車はないだろう。