Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
今回紹介するのは、トヨタ GRスープラの試乗レポートです。
私の知り合いの中には背の低い人もいるのだが、概して変な人ばかりだ。それはきっと、背の低い人達は背の高い人達にいつも見下されているという被害妄想を抱いているからだろう。
背の低い人達は立食パーティーで周りの人の乳首や胸毛に囲まれて疎外感を抱く。彼らはちょっとした会話の中でも爪弾きにされていると感じる。彼らは背の高い人達が意図的に自分達を迫害していると考えている。
映画館で目の前に背の高い人が座るのは、背の低い人をからかうためにわざとやっていると考えている。運転中に生じるあらゆるトラブルは背の高い人がわざと起こしていると考えている。
バーテンダーはいつも背の高い人を優先して接客していると思っている。背の高い人の国として知られているオランダは彼らにとって残酷で悲劇的な国だ。
しかし、どれも妄想に過ぎない。私は背が高いが、基本的に周りにいる人の身長など同じにしか思えない。トム・クルーズも、ジェラルド・バトラーも。リチャード・ハモンドも、ジェームズ・メイも。エル・マクファーソンも、カイリー・ミノーグも。「私より背が低い」以外の感想はない。
たまに身長差を意識することもあるのだが、基本的に世界はチビが得をするようにできている。例として服屋を挙げてみよう。ジャケットは人形用に作られているし、ズボンは発育不全の人のために仕立てられている。
背が高いと映画館は窮屈に感じるし、飛行機に乗るときには何千ポンドもかけてビジネスクラスを予約しなければならない。小人たちと一緒にエコノミークラスに乗ってしまうと足への血液供給が滞ってしまい、そのまま壊死してしまう。
家も問題だ。バービー人形サイズの人間なら、どこでも好きな家に住むことができる。しかし、私にはそれができない。実際、私が育った家はかなり古かったため、東西方向にしか移動することができなかった。斜め方向や南北方向への移動は不可能だった。
そしてもちろん、車も同じだ。私は子供の頃、フォード GT40に憧れていた。私は大人になり、奇跡的にもフォード GTを手に入れた。ところが、そもそも運転席に座れなかったため、まともに運転することはできなかった。
ポール・スチュワートのF1マシンは一般的な体格の人間なら運転することができる。オランダ人のヨス・フェルスタッペンでも座れるように設計されている。私もそのF1マシンに乗る機会を得た。身体をくねらせなんとか車内に乗り込み、快適な運転姿勢をとることに成功した。
ところが、安全管理部門の人間がやってきて、なにやらあちこちの寸法を測定しはじめ、頭上部分のスペースが足りないという結論を出した。私は怒ってそのままロンドンに帰った。
それ以降も、まともに運転姿勢がとれないスーパーカーは何台か登場したのだが、最近の車は基本的にどんな人間でも乗れるように設計されている。現行のメルセデスならシートを一番後ろまで下げなくても問題なく運転することができる。
先週、私のもとにトヨタ GRスープラがやって来た。私はこういう車が大好きなので、ずっと運転するのを楽しみにしていた。前にはエンジン、中央にはシートが2つ、後ろには駆動輪。作っているのは日本製のロボットなので壊れることもないだろう。
しかし、この車には問題がある。スープラは背の高い人でも運転できるように「ダブルバブルルーフ」とやらを採用したらしい。ところが、ドアの高さが足りないため、そもそも背の高い人が乗り込むことができない。少なくとも人間としての尊厳を維持したまま乗ることはできない。
恐怖のヨガ体験を経てなんとか乗り込んだのだが、そのまま車から出られないのではないかという疑念も浮かんできた。ひょっとしたらわざと事故を起こして消防隊を呼び、天井を切ってもらうことになるかもしれない。ともかく、乗ってしまったので早速運転してみることにしよう。
昔のスープラは明らかにアメリカを狙い撃ちした車だった。巨大で鈍く、操作性は穏やかだった。私はそんなスープラが大好きだった。しかし、新型スープラは明らかにヨーロッパを狙い撃ちした車だ。ショートホイールベース、ワイドトレッド、BMW製エンジン。まさにワインディングのための設計だ。
そう、BMWだ。今やワインディングを運転するような人はかなり少なくなり、小型軽量のスポーツカーを求める人も少なくなった。しかし、自動車メーカーの社員はスポーツカーを作りたがっている(ハイブリッドの箱が作りたくて自動車メーカーに入社した人間などいない)。今の時代、企業同士協力してコストを削減しなければスポーツカーで利益を生み出すのは難しい。
だからこそ、トヨタとBMWは手を組み、実質半額の開発コストでそれぞれスープラとZ4を生み出した。メーカーいわく、この2台はまったく違う車に仕上がっているそうだ。しかし、新型スープラにはBMW製のエンジンとBMW用のトランスミッションが搭載され、実際に乗り込んでみると、シフトレバーをはじめ、ダッシュボードの大半がBMWと同じであることに気付く。
しかし、私はそんなことなど気にしない。私が気にしているのはその走りだ。しかし、新型スープラの走りには感銘を受けなかった。決して出来の悪い車ではないのだが、かといって最高の車でもない。あくまで普通に「いい車」でしかなく、刺激は少ない。タイヤノイズではなく、もっと別の音が聴きたかったのだが。
加速性能やハンドリングは気に入った。非常に誠実で素直なので、車好きならきっと楽しめるだろう。けれど、車の魂はどこか欠如しているように感じられた。スープラとほとんど変わらない魅力を持つGT86が約25,000ポンドも安く購入できるのに、あえてスープラを選ぶ理由はどこにあるのだろうか。それに、BMW Z4のほうが見た目は良いし、こちらはオープンカーだ。
そのまま運転を終え、曲芸を披露しつつなんとか車から脱出することに成功した。アメリカを除き、世界中どの国でも、人間の平均身長と平均知能は年々上昇している。しかしどうやら、スープラは一昔前の人間に向けて設計されているようだ。要するに、平均より背が低く、知能も…。
やっぱパワーーーないとお気に召さないんだろうか
auto2014
が
しました