Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、ランボルギーニ・アヴェンタドールS ロードスターのレビューです。


Aventador S

昔は7年くらいでは何も変わらなかった。しかし今や、わずか数ヶ月のうちに世界がまったく変わってしまう。食べるものも、コミュニケーション手段も、服装も、観光地も、そしてなにより、車も。

ランボルギーニ・アヴェンタドールは登場からわずか7年しか経っていない。登場したのは2011年で、私からすればつい昨日のようなものだ。しかし、7年前は決して昨日ではない。実際にアヴェンタドールで変速をすれば年月を実感する。

今の車は変速を感じることはない。タコメーターを見る以外に変速を確認する方法はない。しかし、アヴェンタドールはまるで違う。アヴェンタドールが変速するときは、まるで巨大な樽に入って丘を転げ落ちているように感じる。

突然、何の前触れもなく、電子制御によって変速が開始され、その間は車が何もしなくなる。車内に乗っている人間は車が壊れてしまったのではないかとつい心配してしまう。

アヴェンタドールに採用されるシングルクラッチのセミATは7年前当時最先端のユニットだったのだが、それから7年のうちにずっと滑らかなデュアルクラッチトランスミッションが開発された。その後、DCTと同じくらい優秀な普通のATも開発され、DCTすら時代遅れとなった。今や、アヴェンタドールのセミATなどリモコンの付いていないテレビくらい時代遅れだ。

古さを感じる部分は他にもある。ナビなどの操作系はアウディから流用されており、そう考えると問題はなさそうだ。しかし、あくまで7年前のアウディだ。当時、アウディのナビはロンディニウムとペルシャとドイツ領西アフリカくらいしか知らず、必要な交通情報ではなく、「前方に魔女がいます」という警告しか出してくれなかった。

4WDシステムは始動が悪く、前輪をまともに駆動させるのは10代の少年を起こすくらい大変だ。異音はすごいし、低速域ではまともに操作することすら難しい。

今回試乗したのは新しいSロードスターで、ボンネット内に収納できるルーフが付いていた。便利そうに思えるのだが、ここにはいくつか問題がある。まず、ボンネットにルーフを収納すると、他に何も入れられなくなってしまう。

rear

それに、ルーフを装着した状態だと、私くらいの体格の人間が車内に乗り込むことがほぼ不可能となる。降りるのはなお大変だ。まず脚を外に押し出してやらなければならず、続いて助手席に座っている同乗者の顔の前に尻を突き出して狭い隙間から頭を出す。姿勢を保つためには地面に手をつかなければならない。正直言って、決して威厳のある姿とは言えない。

雨が降っているときにちょっとでも窓を開ければ大量の水が入ってきて車内のいたるところが水浸しになり、結果窓がすぐに曇ってしまう。なので、出発する前に最低でも10分間はデフロスターを作動させなければならない。

10代のディファレンシャルが大騒ぎし、トランスミッションが2速を探してフリーズしてしまっている中、ラウンドアバウトに辿り着く。アヴェンタドールには首を回せるほどのヘッドルームすら存在せず、反対から車が来ているかどうかなど確認しようがない。

膝は方向指示器に当たってしまう。小さな窓越しに見えるのは遥か遠く先の景色だけなので、赤信号をうっかり通過してしまう。まるで郵便ポストの中から外を見ているような気分だ。

高速道路に入ると辺りは土砂降りになっていた。周りの車はランボルギーニに見惚れていたのだが、私は加速しようとしなかった。アヴェンタドールは100km/hまで3秒で加速し、最高速度は350km/hだ。土砂降りの中、膝が当たってワイパーが止まってしまうようなときに必要なパワーでは決してない。

今度はナビの画面が点滅しはじめた。理由は分からない。しかし、幸いにも同乗者は1970年代のアウディに慣れていたので、ナビを消すことができた。一般道に戻ってもまだ楽しめなかった。私が車を運転する時、緊張することはほとんどないのだが、天気の悪い11月の夜中にこんな設計の古い狂気的な車を運転するのはかなり不安だった。

その翌日はさらに最悪だった。気温は-3℃で、オックスフォードの渋滞を避ける道は、レンジローバーとほとんど同じ車幅のアヴェンタドールには通れないほど狭い道しかなかった。なので私はランボルギーニに乗ることを諦め、別の車で移動することにした。

ここ数年間でこんなに恐ろしい車を運転したことはなかった。しかし、もし私がスーパーカーを選ぶなら、きっとこれになるだろう。なぜなら、私はこの車を愛しているからだ。

interior

最近のミッドシップスーパーカーはハッチバックのごとく街中を運転することができ、サーキットでは気軽にスピードを出すことができる。誤解してほしくないのだが、マクラーレン・セナも刺激的な車だ。そしてウラカン ペルフォルマンテはそれ以上に刺激的だ。私はやたら高慢な最近のフェラーリ自体があまり好きではないのだが、それでも488 GTBの素晴らしさは認めている。

しかし、こういった車の魅力は名作文学のそれと変わらない。体験したあと、真面目に人と語り合いたくなるような魅力だ。しかし、そんなのは本来、スーパーカーの本分ではないはずだ。そしてだからこそ、私はアヴェンタドールを愛している。

スーパーカーは毎日使うための車などではない。だから、通勤で使えなかろうと、雨が降るたびに車内が水浸しになろうと、渋滞でトランスミッションが使い物にならなかろうと、問題になどならない。スーパーカーは特別な日に乗るための車だ。そしてそんな時、アヴェンタドールに勝る車など存在しない。

アヴェンタドールはサーキットで最速の車にはなれないかもしれない。運転するのも決して簡単ではない。けれど、この見た目があるのに、そんなことを誰が気にしようか。アヴェンタドールはおそらく、史上最高の見た目の車だろう。いや、おそらくなんて表現は抜いてもいい。

四輪操舵だのカーボンファイバーだのが付いているのは知っているが、この車に乗ったらまずバックウインドウを開けたくなる。その理由は単純だ。V12の咆哮をよりはっきりと聴くためだ。こんなことをしてもコーナリングスピードなど上がらない。けれど、QOLは上がる。

それだけではない。今や他にV12エンジンを搭載するミッドシップスーパーカーは存在しない。他の車はホッキョクグマのために気筒数も排気量も減らしている。中にはハイブリッドになった車や、それどころか電気だけで走る車も出てきた。

ランボルギーニはこの流れを拒否した。先日ランボルギーニの開発者と話し、もしランボルギーニの財布であるフォルクスワーゲンに電動化を強制されたらどうするかと尋ねたのだが、彼は少し考えてからこう言った。
自殺するかもしれませんね。