今回は、1994年にローワン・アトキンソンが英国『CAR Magazine』に寄稿したロータス・エラン S2のレビュー記事を日本語で紹介します。

イギリス車のイギリスらしさを定義するのは、イギリス人のイギリスらしさを説明するのと同じくらい危険なことだ。人種を定義すると(特に自慢のニュアンスが含まれている場合)結果的にそれ以外の人種を中傷することになりうる。
民族主義的な考えは否定され、地球というひとつの村に、あるいは欧州共同体に属する等しい人間であると考えることが正しいとされている。それゆえ、BMWがローバーを買収しようが何も変わらないはずだ。
従来的な人種分析などもはや時代遅れだ。ドイツ人が賢明で誠実で軍国主義的だなんて考えはもう古い。フランス人が文化的で無愛想で威圧的だなんて考えはもう昔のものだ。
イギリスは微妙な立ち位置にいる。外国人は我々イギリス人に対し、昔ながらの気質を求めている。ピーター・ユスティノフがエルキュール・ポアロを演じたアメリカ映画では、アメリカ人が求めるイギリスの姿が描かれている。
劇中の”スコットランドヤード”は化粧漆喰の塗られた5階建ての建物として描かれている。現代的なオフィスビルの中にある実際のスコットランドヤードとは対照的だ。それに、劇中に登場する車は昔ながらのローバー SD1だ。
アメリカ人はイギリス人に現代ではなく過去を求めている。以前、友人がバスに乗ったとき、アメリカ人2人組の後ろに座ったそうだ。その2人はヒースローからロンドン中心部までの道路が石畳でなかったことに驚いていたそうだ。
ロータスは新型エランを開発するにあたり、このようなノスタルジックなイギリスらしさを捨て、刷新を試みた。普通にTVR風のシンプルな後輪駆動スポーツカーを作っていてもよかったのだが、どういうわけかそうはしなかった。
ロータス精鋭の開発陣は何を思ったか恐ろしい結論を出してしまった。完璧な重量配分と最高のハンドリング、最高のグリップにより見事な旋回性能を追求した”前輪駆動車”を作り上げてしまった。なんということだ。最悪の結果だ。
イギリスのスポーツカーに”らしさ”を求めていたのはアメリカ人だけではなかった。にもかかわらず、ロータスは自動車史に残るほどの勇敢な方針転換を行い、最高のシャシを持つFFスポーツカーを作り上げた。
残念ながら(あるいは予想通り)ロータスは勇気と引き換えに大きな代償を払うことになった。新型エランが発売されると駆動方式や値段の高さが酷評された。値段が高かったのは剛性を確保するために最先端のプラットフォームを採用したからだ。結果、販売は振るわず、生産台数も激減してしまった。
エランは性能を重視している。イギリスのスポーツカーに求められていたのは気負わず乗れる気楽さだったのだが、エランはそういう車ではなかった。今やもう、スポーツカーにセダンよりも高い走行性能が求められるような時代ではない。
エランは優秀なスポーツカーだ。至高のハンドリング、至高のグリップを実現している。どうやってもバランスを崩せないほどに安定している。エランに乗った日、ノーフォークでは眼鏡が飛ばされるほどの強風が吹いていたのだが、エランの車内ではまるで風を感じなかった。この車の走行性能、空力性能は群を抜いている。
S2として復活したエランを、もっと温かい目で見守ってほしいと思う。確かに昔のスポーツカーのように滑らせて楽しむことはできない。けれど、昔とはまったく違う走行性能を、剛性を実現している。滑らせることではなく、グリップすることに楽しさがある。
ロータスのテストトラックを5周したときにはスリップさせる勇気もあったのだが、公道においては車の限界など忘れるべきだろう。公道で限界を知ろうとしたら死んでしまう。
auto2014
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