Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「Top Gear」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2014年に書かれたマニュアルトランスミッションに関するコラム記事です。


Audi S1 MT

時代は急速に移り変わっている。つい5分前まで、ハイブリッドカーは馬鹿のための車だった。動力源を2つ載せることで地球の資源を節約しようとするなんて馬鹿げている。ましてや電気自動車などこの上なく馬鹿げている。

かつて私はG-Wizとキッチンテーブルの衝突試験を行ったのだが、G-Wizはテーブルに完全敗北した。そもそも、地球のためにまったく面白くない車を運転することに何の意味があるのだろうか。

しかし、そんなのは過去の話だ。今や状況はまったく変わっている。魅力的なハイブリッドのスーパーカーも誕生した。BMW i8を運転した人は誰もが称賛の言葉を口にしている。フロントに搭載される電気モーターはG-Wizのそれとは完全な別物だ。

内燃機関は急速に存在感を失い、その終焉を嘆く私はきっと、レコードの終焉を嘆いていたニール・ヤングのように扱われるようになるのだろう。実際、ニール・ヤングの言うようにデジタルの音楽はレコードほど上質ではないのだろうが、レコードをiPodに入れて持ち運ぶことはできない。

利便性によりレコードは殺されたのだが、そうして台頭したCDも同様に利便性によって殺されようとしている。このようにして時代は変遷する。つい1分前まで、電話台の上に固定電話を置いていたはずだ。しかし今やそんなものは誰も使わない。今はポケットの中に電話がある。今度は腕に巻くようになるかもしれない。

ついさっきまでタイプライターを使っていたはずなのに、今はノートパソコンを使っている。ついさっきまでポストに手紙を投函していたはずなのに、今はメールを送っている。ついさっき、リモコンの操作を間違えてVHSに『ダウントン・アビー』を録画してしまった。しかし今はインターネットで番組を見ている。

このような時代の変化において、過渡期など存在しない。「ついさっき」と「今」が一瞬にして入れ替わる。1分前まで図書館に行っていたのに、今ではインターネットを使うようになっている。

今、自動車の世界で同じことが起こっている。ポルシェ 911とBMW i8で悩むような人間など存在しない。ポルシェはガソリン1Lで7kmしか走ることができない。一方、i8は40km以上走行することができる。狂人でもない限り即決するはずだ。

i8はまだ第一世代の高性能ハイブリッドカーだ。初期の携帯電話、初期のデスクトップパソコンのような存在だ。同様の進化の過程を辿るとしたら、5年後にはどれほど素晴らしい車が生まれているだろうか。

すでに自動車には電気が使われている。ステアリングも、前方の車との追突事故を防ぐシステムも、すべて電気で動いている。携帯を操作していても車線から外れないようにするシステムも、暗くなったら勝手にライトを点けるシステムも、シートも、すべて電気で動いている。

高級車に限った話ではない。今やこういったシステムがありふれたハッチバックにも装備されている。先日運転したアウディ S1にも電子システムが満載されていた。

しかし、そういった車にもいまだにマニュアルトランスミッションが設定されている。S1だけでなく、コルベットにもアストンマーティンにもMTが存在する。

おかしいとは思わないだろうか。ひとりでに事故を回避できる車が存在する一方で、変速は手動で行わなければならないなんて。せっかく最新のマンションを購入したのに、夜中トイレに行くためにわざわざ蝋燭を使うようなものだ。

正直、サーキットでAT車に乗ると苛立つことも多い。パドルシフトで変速しようとしても拒否されてしまうことがある。もちろん、それはエンジンを保護するためだ。しかし、自分の車のエンジンなのだから、好きに回したい。電子制御に妨害される謂れはない。

ただ楽しむために運転するとき、乗りたいのはマニュアル車だ。マニュアル車なら自分の思い通りに運転することができる。しかしそれ以外の状況において、マニュアル車はリモコンのないテレビと変わらない。ただ面倒なだけだ。

スピードも犠牲になる。先日、リチャード・ハモンドと私でドラッグレースを行った。デイリー・メールがこれを読んでいるかもしれないので注釈しておくが、もちろん警察の許可は得ている。ハモンドはDCTのフェラーリ・カリフォルニアを運転し、私はMTのアストンマーティン DBSを運転した。

2台の加速性能はほぼ同等だったのだが、私が変速するたびに3mほど差が開いた。DCTの変速はシームレスだったのだが、MTは違う。MTでシームレスな変速など不可能だ。

渋滞でも問題が起こる。私は渋滞が大嫌いなのだが、特にMT車に乗っている場合は自殺衝動に駆られるほど不快になる。常時クラッチペダルの調節をするのは苦痛でしかない。それはジムに行くのと同種の苦痛だ。健全な心を持った人間は決してジムになど行かない。

田舎道だろうと、街中だろうと、駐車場だろうと、一般公道においてMT車がAT車やDCT車より優れている状況など一切存在しない。

もちろん、値段も理由のひとつだろう。デュアルクラッチのシステムにはコストがかかる。しかし、燃料噴射システムにもコストがかかる。にもかかわらず、ツインチョークキャブレターを採用している車など現存しない。

DCTが登場した当初はかなり酷かった。変速はギクシャクしていて不正確だったし、坂道で縦列駐車することなど不可能だった。しかし、今やDCTは滑らかになり、どうやったのかクリープする車まで登場した。そろそろMTとは別れの時だろう。

もちろん、それを嘆くマニアがたくさんいることは知っている。しかし、今ハイブリッドカーに乗っている一般人は、ガソリンを大量に消費していた昔のV8エンジンを懐かしむことなどないだろう。

今の時代、馬が何の役にも立たないのと同じだ。馬など食べることすらできない。しかし、田舎にはただ趣味のためだけに馬を飼っている人が今でもたくさんいる。