Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2007年に書かれたメルセデス・ベンツ CL600のレビューです。


CL600

新車を購入するためにディーラーに行くと、安っぽいスーツを着た変な髪型のセールスマンが挨拶をしてくる。彼らは回りくどい言葉を使い、さまざまなオプションの選択肢を提示する。

どんなナビゲーションシステムを装備しようか。20インチホイールは装着するべきだろうか。シート地に使うためにどんな種類の牛を殺そうか。さまざまな想像が膨らむのだが、客の意向が正しく反映されることはない。

自分の好みの牛を殺し、自分の好きな色で塗られた車を注文することもできるのだが、その車は今年中に納車することはできないそうだ。それどころか、来年でも無理らしい。

そんなに待てるはずもないので、結局は自分の意向に最も近い在庫車を購入することになる。ただし、意向に近いと言っても、エンジンの排気量も、それどころか燃料すらも違うし、ナビすら装備されず、AT車で、ボディカラーはピンクだ。

それでも、顧客は新車の想像で舞い上がってしまっており、自分の希望と少しくらい違っていても気にせず注文してしまう。もっとも、ここで言うところの「希望と少し違う車」は「まったく欲しくない車」なのだが。

本当はグレーのガソリンのセダンが欲しかったのに、結局はブルーのディーゼルのステーションワゴンを購入してしまうことになる。休暇にドミニカ共和国に行こうとしていたのに、フライトの時間が10分早いからというだけの理由で行き先をハイチに変えるようなものだ。気に入った家の隣の家を購入するようなものだ。

こんな状況はおかしいと自動車メーカーに文句を言いたいところなのだが、そんなことをしても意味がない。例としてメルセデスを挙げてみよう。メルセデスには数多くのモデルが存在し、それぞれのモデルにさまざまなグレード、さまざまなエンジンが設定される。簡単に数えてみたのだが、驚くべきことに近所のメルセデスのディーラーで購入できる車は実に約300種類も存在するようだ。

さらに厄介なことに、どの車にもそれぞれ10種類前後のボディカラーが設定されている。つまり選択肢は約3,000まで増えるのだが、ここからさらにインテリアのカラーも考慮しなければならない。

メルセデスは自動車メーカーの中でも選択肢が比較的少なく、ボディカラーを選ぶと選択できる内装色が5種類程度に限られることが多い。しかし、それでも選択肢は15,000まで膨れ上がる。それぞれATとMTが選択できるので30,000となり、さらにそれぞれ50種類ほどのオプションが用意されている。要するに、メルセデス・ベンツはおよそ150万種類の車を販売しているという計算になる。

rear

少し前、メルセデスは「すべての人のため」にセダンやステーションワゴンのラインアップを拡張すると宣言した。驚くべきことに、メルセデスは文字通り「すべての人のため」の車を作っている。まったく同じ車など存在しない。注文した車が何年経っても来ないのも頷ける。

シュトゥットガルトの生産ラインはこれ以上は早くできなさそうだが、幸い私はカタログという迷路から脱出する方法を知っている。ボディカラーはガンメタ、インテリアはブラックのメルセデス・ベンツ CLクラスを選べばいい。

CLクラスはSクラスのクーペ版であり、Cクラスの2ドア版のCLKクラスやEクラスとSクラスの混血のCLSクラスとは違う。

CLクラスはSクラスのクーペ版だけあって静粛性や快適性はかなり高い。前進、後退、停止しか選択できないロールス・ロイス風のコラムシフターも装備されている。枕のように心地良く、マットレスのように穏やかな性格は優秀ながらも騒々しいメルセデスの6.2L V8エンジンとまったく合わない。

間違っても安価なV8モデルを選択してはいけない。「CL500」というバッジが意味するのは人生の敗北以外の何でもない。ポルシェ・ボクスターも同じだ。高級車の廉価版という存在は、威厳に必死にしがみつこうとする人間の象徴でしかない。

V8モデルを選ぶべきではないので、必然的に選択肢はV12しかなくなる。ブガッティ・ヴェイロンが登場するまでは世界最強だったエンジンを搭載するCL65も魅力的だ。

トルクはあまりに強大で、リアタイヤを使って本当に穴を掘ることすらできてしまう。何故こんなことが言えるのかといえば、私が実際にやったからだ。CL65のパワーは圧倒的で、正直言って馬鹿げているレベルだ。

そうなるとCL600が残る。5.5Lのツインターボ12気筒エンジンが発する音は5日間かけて行われるクリケットの試合と同じくらい、すなわちまったくの無音だ。これは誇張表現などではない。ただ、耳を澄ませば時々エンジンの音が聞こえることはある。

このエンジンはしなやかなサスペンションや安楽志向なシフトレバーにぴったりだ。この車を運転するのは、ベビーオイルに浸かりながら空を飛ぶ夢を見ているかのごときだ。

interior

ただし、アクセルを踏み込むと世界は変貌する。依然として音はしないのだが、それゆえ気味が悪い。窓の外の景色は狂気的で、小さな飛行機くらいなら追い越せてしまいそうだ。CL600は本当に速い。車重は2.1トンもあるのだが、0-100km/h加速を無音で4.5秒で駆け抜ける。

CL600に追い越されるのは幽霊に追い越されるような感覚だ。その気配を、空気の動きを感じることはできる。けれど、それ以外は何もない。

この車の走りには感服してしまった。音のない速さというのは新鮮な経験だった。けれど、この車で私が最も気に入ったのはその見た目だ。

リアウインドウに関しては昔のCLクラスの模倣をしようとした結果、見事に失敗しているのだが、それ以外は美しい。バランス、膨らんだホイールアーチ、ノーズ。どれも見事だ。特にノーズは自動車史上最高の出来かもしれない。

乗り心地に関しては最高とまでは言えない。当然ながらエアサスペンションが装備されているのだが、エアサスペンションは普通のスプリングとは違い、メルセデス社内にいるコンピューターオタクがチューニングし、速度や運転状況に応じて設定が変わるようになっている。

理論上は凄そうなのだが、現実世界においては使い物にならない。特にCLは酷かった。時々ウォーターベッドに乗っているような感覚になり、システムが壊れたのではないかと疑ったことさえあった。しかし、それはむしろ嬉しかった。なぜなら、それを理由に試乗車を借りる期間を2週間も伸ばすことができたからだ。

CL600の価格は107,097ポンドと、銀行業界ですら大金として扱われる金額だ。CLクラスはベントレー・コンチネンタルをはじめ、ポルシェ、アストンマーティン、マセラティなどの2+2と競合する。

このような競合車の中にあると、スリーポインテッドスターもボンド・ストリートにあるマークス&スペンサーのようになってしまう。けれど、はっきりと言ってしまおう。CLクラスはどの競合車よりも優秀だ。圧倒的な差をつけて。