Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2005年に書かれたフォルクスワーゲン・ゴルフ R32 のレビューです。


R32

サウジアラビアのアハマド・ザキ・ヤマニ元石油相は「石器時代は石が枯渇したから終わったわけではない」と語った。同様に鉄器時代は鉄が枯渇したから終わったわけではないし、そして当然、石油時代は石油が枯渇して終わるわけではない。

石油がいつ枯渇するのかは誰にも分からない。なぜなら、そもそも石油がどれだけ存在するのかも誰も知らないし、同様に今後、石油の需要がどのように変化していくのかも誰にも予測できない。

過去40年間で世界の人口は2倍になった。だからと言って、今後40年間で同様に人口が倍増すると言えるだろうか。ところが、水晶玉とタロットカードを持った環境保護主義者たちだけは、どういうわけか未来に何が起こるのか確信しているようだ。

いや、自動車会社も未来を確信しているようだ。トヨタは10年後、700万台の車のうち100万台がガソリンと電気で動くハイブリッドカーになると公言している。そして、BMWとダイムラー・クライスラーとGMはハイブリッドカー開発で協力関係を結ぶそうだ。

一見すると素晴らしい話のようにも思えるのだが、ハイブリッドは石油の代替手段などではなく、あくまで石油の使用量を抑えるだけのものだ。ハイブリッドカーが流行しているのは、プリウスを運転すればゲンゴロウを守ることができると盲信しているヒッピーが世界中に溢れているからだ。自治体が設置したリサイクルボックスと同じだ。ただ環境を守っているという気分に浸るためだけの、ほとんど意味のないマーケティングツールでしかない。

現実的な話をすれば、未来はきっと効率性が大幅に進歩していることだろう。1980年代、私はダイハツが1Lあたり100馬力を生み出すエンジンを作ったことに衝撃を受けた。しかし今や、1Lあたり150馬力も目前だ。フォルクスワーゲンは1.4Lの直噴エンジンにターボチャージャーとスーパーチャージャーを組み合わせて170PSを生み出している。これは複雑なハイブリッドなんかよりもずっと効率的だ。

極端なことを言えば、未来は水素で動く車で満ちているのかもしれない。ガソリンの代用として車の中で燃焼するのかもしれないし、燃料電池を使って電気を生み出し、その電気が動力源になるのかもしれない。いずれにしても、車から出るのは熱と水だけだ。

これならヒッピーも喜ぶだろうし、地球上には水素が無尽蔵に存在するので、一般人も喜ぶだろう。たとえばイギリスの場合、原子力発電所が4基あればすべての自動車の動力を担うことができるそうだ。

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ただ、あまり楽観的になるべきではないだろう。この夢は現実とはかけ離れている。それに、科学の進歩によりまったく新しい技術が生み出されるかもしれないし、火星で大量の資源が見つかるかもしれない。石油に代わるものが何なのかを推測するのは、石に代わるものが何なのかを推測するのと同じだ。つまり、不可能だ。

ところが、自動車メーカーは未来の車を思い描くのに必死になっている。いわく、未来の車は人工衛星の情報により自動的に駐車し、事故が起こっても安全だそうだ。いわく、未来の車は水以外のものを排出せず、歩行者を轢いたとしても運転手・歩行者ともに怪我をしないそうだ。

そして、車が廃車になると(今の平均は購入から14年後くらいだ)、車は溶かされて発展途上国向けのスプリンクラーに変貌するそうだ。想像してみてほしい。エチオピア人たちが笑いながらレンジローバーで庭に水を撒く姿を。

世界中の官僚たちは戦争も貧困も環境汚染も存在しない未来を思い描いている。そんな世界ではジョージ・モンビオットの心配事はなくなり、環境圧力団体の仕事もなくなるだろう。日曜の夜に放送されるトップ・ギアでは、完璧に安全で、完璧に遅く、完璧に退屈な輸送機のレビューが繰り広げられるはずだ。

にもかかわらず、どうして馬力競争が起きているのだろうか。現在、メルセデスとBMWはより巨大でより重く、よりパワフルな車を作ろうと競い合っている。しかし、こういった車は自動的に駐車してくれるわけでもなければ、事故など起こそうものなら半径10km以内の人間全員を傷付けるだろうし、カンムリカイツブリの群れを全滅させるほどの二酸化炭素を排出する。

それに、フォルクスワーゲンは170PSの1.4Lエンジンを開発して得意気になっているのだが、それ以上に世界最速の4ドアセダンであるベントレー・フライングスパーや1000馬力のブガッティ・ヴェイロンを誇っている。

今の自動車業界は不倫男のようなものだ。妻に対して優しく甘く、そして空虚な愛の言葉を語っているだけに過ぎない。それを言葉通りに受け取ってはいけない。

これがフォルクスワーゲン・ゴルフの話に繋がる。ゴルフという名前の意味を考えてみてほしい。ゴルフという車は万人向けで、賢明で、安全で、実用的で、信頼性が高く、効率的で、経済的でなければならない。そもそもゴルフはビートルの後継車として誕生した車だ。

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にもかかわらず、どうしてゴルフが250PSの狭角V6エンジンなど搭載しているのだろうか。どうして0-100km/h加速6.5秒なんて記録を樹立してしまったのだろうか。どうして世界のことを考えているはずのフォルクスワーゲンが250km/hも出せるゴルフを作り出してしまったのだろうか。その理由は単純だ。作りたかったからだ。

この車は素晴らしい。フロントの飾りや青いブレーキキャリパーを例外として、見た目は普通のゴルフと変わらない。地上高がわずかに低いことや、タイヤがやたら太いことはじっくり眺めなければ気付かない。

内装も同様だ。フラットボトムステアリングだけが何かを主張している。室内は普通のゴルフとまったく変わらない。キーを捻って走り出してもただのゴルフだ。乗り心地は良く、不必要な音は遮断されており、室内には十分な空間が確保されている。BMW 1シリーズなんかよりよっぽど広大だ。

それからアクセルを踏み込んでみると、突然世界が変わる。そこに激烈さやスポーティーさはない。GTIのような感覚は存在しない。内燃機関というよりは重力に近い、メルセデスのような莫大で洗練されたパワーが生み出される。ただ、メルセデスより明らかにしっかり作られている。

それに、メルセデスよりずっと安い。3ドアモデルは24,000ポンドを切り、とてつもなくコストパフォーマンスが高い。DSGの5ドアモデル(今回の試乗車はこれだった)を選択しても26,000ポンドを切る。

この車こそ、すべての理想を煮詰めた車だ。速くて作りが良く、実用的で経済性が高く、そして何より、抑えが効いている。これに乗っていればサッカー選手と間違われることはないだろう。

我々に未来など想像できるはずもなく、それゆえに未来に備えることなどできない。我々に分かるのは我々が既に知っていることだけであり、最高の車はゴルフ R32 だ。だからこそ、今回は珍しく満点を与えたい。