Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿したコラム記事を日本語で紹介します。
マクラーレンはこれまで、フェラーリを圧倒し、世界の基準を変えるようなスーパーカーを何台か作り上げてきた。最初に登場したのがF1だ。F1の運転席は車の中央にあり、エンジンベイには純金が使われ、最高速度は380km/hを超えた。
私はこの車が大嫌いだった、不安定で扱いづらく、実際、ローワン・アトキンソンも道端に突っ込むことで身をもってF1の操作性の悪さを証明している。
続いて、マクラーレンはメルセデスとともにSLRを作り出した。見た目は私がかつて所有していたSLKにロシアの化学実験室で作られたドーピング剤を飲ませたかのようだった。どういうわけか私もSLRのことは気に入っていたのだが、ブレーキはまるでスイッチだった。
ペダルを少し踏んでも何も起こらない。もう少し踏み込んでみてもやはり変わらない。なのでパニックになってさらに踏み込むと、頭から窓を突き破って車外に放り出されてしまう。
SLRの開発後、マクラーレンはレース部門の優秀な人員を市販車部門に回し、MP4-12Cという車を生み出した。MP4-12Cはあらゆる面で優秀な車で、競合するフェラーリと比べてトルクも出力もダウンフォースも勝っていた。
ただし、スーパーカーは数字では測れない。そして、スーパーカーにとって最も重要な、人の心を打てるか、という部分で、フェラーリに負けていた。マクラーレンは言うなれば会計士だ。そしてフェラーリは会計士の愛人だ。
マクラーレンはMP4-12Cをより楽しい車にしようとした。ファックスの型番と間違われないために、名前を12Cに短縮した。けれど結局、P1が登場するまでマクラーレンに楽しさは芽生えなかった。
P1はトヨタ・プリウス同様、ハイブリッド技術を用いている。しかし、マクラーレンはP1を作るためにこの環境技術を兵器化した。
私はP1が大好きだった。ハーフスロットルでも死を予感させるほどに恐ろしく、攻めると泥酔したかのようなアンダーステアを呈する。ポルシェやフェラーリのほうがずっと賢くて速いのだが、スリルに関してはP1に勝るものはなかった。
そして今、マクラーレンはさらに魅力的な車を作っている。ベースとなっているのは720Sで、ハイブリッドシステムは使っていない。排気量はわずか4Lで、最高出力はたったの800PSだ。最高速度はわずか340km/hで、何の記録も打ち立ててはいない。
けれど、この車ほど速くサーキットを走れるロードカーなど他には存在しない。だからこそ、マクラーレンはこの車に「セナ」という名前を付けた。
セナの速さの秘密は車重にある。シートはそれぞれわずか8kgで、キーラ・ナイトレイの髪の重さとだいたい同じだ。ドアはわずか9kgで、すべて合わせても、駐車場を探す必要はない。自分の手で持ち運ぶことができる。
なにせ動かす重量物が存在しないので、コーナリングは今までに体感したことのないものだった。そして制動性能も同様に圧倒的で、うっかりコーナー前で減速しすぎてコーナーに向けて加速するという場面まであった。
セナこそ、現時点で購入できる最高のスーパーカーだ。セナこそが勝利の称号だ。ところが私は、自分が選ぶカー・オブ・ザ・イヤーにランボルギーニ・ウラカン ペルフォルマンテを選んだ。
その理由のひとつとして価格がある。セナは75万ポンドで、ウラカンはこれより50万ポンド安い。それに、セナは重量削減のためにエアコンが搭載されていない。ただ、最大の理由は、セナが頭と心を刺激する一方で、ウラカンは下半身を刺激するからだ。
ブルックランズやプレスコット・ヒルクライムについて語り、コーリン・チャップマンに想いを寄せているような人達は、現代のスーパーカーはフェラーリとマクラーレンの2強が支配していると考えているはずだ。
それは間違いなく正しい。フェラーリもマクラーレンも、コーナーを0.1km/hでも速く走り抜けようと努力を続けている。一方、ランボルギーニはボディをオレンジ色に塗ることに夢中だ。おそらく、ランボルギーニの従業員の平均年齢は10歳かそこらだろう。
もちろん、今はランボルギーニもドイツ人に支配されているので、予約を入れればちゃんと車が届くし、税務処理もまともにされているし、エンジンを16秒以上動かすこともできる。けれど、車のフィールや音、そして見た目は、イタリアの小学生たちが作り上げたとしか思えない。アウディ校長がいなかったら、きっとウラカンの天井にはスペースレーザーが装備されていただろう。
ウラカンにはイタリアの戦闘機にインスパイアされたアヴィオという仕様や、ポリツィアという警察仕様もある。イタリア警察はかつて、2台のガヤルドを所有していたのだが、1台は事故で廃車になり、もう1台は現在博物館に収蔵されている。それから、ローマ教皇仕様のウラカンまである。もはや意味が分からない。
しかし、中でも突出しているのがペルフォルマンテだ。エンジン性能は普通のウラカンと大して変わらないし、わずか640PSでは今のスーパーカーには歯が立たない。けれど、軽量化パーツや空力性能の改善(ランボルギーニはまるで子供のように「ダウンフォースは750%も向上した」と言っており、むしろ「100万%」と言わなかったことに驚いている)により、ニュルブルクリンクで最速ラップを記録している。
ランボルギーニが不正をしているのではないか(そんなはずはない)と指摘する人もいるのだが、そう言いたくなる気持ちも分かる。ニュルをわずか6分52秒01で走り切るなど、到底信じがたい。バケツと掃除機のホースだけでバージニア級原子力潜水艦よりも深く潜れたと言うようなものだ。
ニュルブルクリンクでもセナのほうが確実に速いだろうが、セナにランボルギーニのようなV10の咆哮は存在しない。それに、見た目はサーキット用の車のように見えても、実のところランボルギーニはそういう車ではない。ランボルギーニはただ目立つための車だ。
ウラカンは巨大腕時計やネブカドネザルシャンパンや美女の愛人やリーヴァのモーターボートと同じだ。美味しくもない高級料理店のテラス席と変わらない。きっと誰もが嘲笑するだろう。けれど、人生に一度きりのチャンスがあったら、地下のレストランで完璧なスフレを食べるより、目立つテラスで使い回しのカリフラワーを食べたいと思うはずだ。
完璧なスフレを求めるなら、マクラーレンやフェラーリを選べばいい。けれど、たった一台のカー・オブ・ザ・イヤーを選ぶとしたら、私はランボルギーニ・ウラカン ペルフォルマンテを選びたい。
今回紹介するのは、ジェレミー・クラークソンが選ぶカー・オブ・ザ・イヤー 2018 をテーマとしたコラム記事です。
マクラーレンはこれまで、フェラーリを圧倒し、世界の基準を変えるようなスーパーカーを何台か作り上げてきた。最初に登場したのがF1だ。F1の運転席は車の中央にあり、エンジンベイには純金が使われ、最高速度は380km/hを超えた。
私はこの車が大嫌いだった、不安定で扱いづらく、実際、ローワン・アトキンソンも道端に突っ込むことで身をもってF1の操作性の悪さを証明している。
続いて、マクラーレンはメルセデスとともにSLRを作り出した。見た目は私がかつて所有していたSLKにロシアの化学実験室で作られたドーピング剤を飲ませたかのようだった。どういうわけか私もSLRのことは気に入っていたのだが、ブレーキはまるでスイッチだった。
ペダルを少し踏んでも何も起こらない。もう少し踏み込んでみてもやはり変わらない。なのでパニックになってさらに踏み込むと、頭から窓を突き破って車外に放り出されてしまう。
SLRの開発後、マクラーレンはレース部門の優秀な人員を市販車部門に回し、MP4-12Cという車を生み出した。MP4-12Cはあらゆる面で優秀な車で、競合するフェラーリと比べてトルクも出力もダウンフォースも勝っていた。
ただし、スーパーカーは数字では測れない。そして、スーパーカーにとって最も重要な、人の心を打てるか、という部分で、フェラーリに負けていた。マクラーレンは言うなれば会計士だ。そしてフェラーリは会計士の愛人だ。
マクラーレンはMP4-12Cをより楽しい車にしようとした。ファックスの型番と間違われないために、名前を12Cに短縮した。けれど結局、P1が登場するまでマクラーレンに楽しさは芽生えなかった。
P1はトヨタ・プリウス同様、ハイブリッド技術を用いている。しかし、マクラーレンはP1を作るためにこの環境技術を兵器化した。
私はP1が大好きだった。ハーフスロットルでも死を予感させるほどに恐ろしく、攻めると泥酔したかのようなアンダーステアを呈する。ポルシェやフェラーリのほうがずっと賢くて速いのだが、スリルに関してはP1に勝るものはなかった。
そして今、マクラーレンはさらに魅力的な車を作っている。ベースとなっているのは720Sで、ハイブリッドシステムは使っていない。排気量はわずか4Lで、最高出力はたったの800PSだ。最高速度はわずか340km/hで、何の記録も打ち立ててはいない。
けれど、この車ほど速くサーキットを走れるロードカーなど他には存在しない。だからこそ、マクラーレンはこの車に「セナ」という名前を付けた。
セナの速さの秘密は車重にある。シートはそれぞれわずか8kgで、キーラ・ナイトレイの髪の重さとだいたい同じだ。ドアはわずか9kgで、すべて合わせても、駐車場を探す必要はない。自分の手で持ち運ぶことができる。
なにせ動かす重量物が存在しないので、コーナリングは今までに体感したことのないものだった。そして制動性能も同様に圧倒的で、うっかりコーナー前で減速しすぎてコーナーに向けて加速するという場面まであった。
セナこそ、現時点で購入できる最高のスーパーカーだ。セナこそが勝利の称号だ。ところが私は、自分が選ぶカー・オブ・ザ・イヤーにランボルギーニ・ウラカン ペルフォルマンテを選んだ。
その理由のひとつとして価格がある。セナは75万ポンドで、ウラカンはこれより50万ポンド安い。それに、セナは重量削減のためにエアコンが搭載されていない。ただ、最大の理由は、セナが頭と心を刺激する一方で、ウラカンは下半身を刺激するからだ。
ブルックランズやプレスコット・ヒルクライムについて語り、コーリン・チャップマンに想いを寄せているような人達は、現代のスーパーカーはフェラーリとマクラーレンの2強が支配していると考えているはずだ。
それは間違いなく正しい。フェラーリもマクラーレンも、コーナーを0.1km/hでも速く走り抜けようと努力を続けている。一方、ランボルギーニはボディをオレンジ色に塗ることに夢中だ。おそらく、ランボルギーニの従業員の平均年齢は10歳かそこらだろう。
もちろん、今はランボルギーニもドイツ人に支配されているので、予約を入れればちゃんと車が届くし、税務処理もまともにされているし、エンジンを16秒以上動かすこともできる。けれど、車のフィールや音、そして見た目は、イタリアの小学生たちが作り上げたとしか思えない。アウディ校長がいなかったら、きっとウラカンの天井にはスペースレーザーが装備されていただろう。
ウラカンにはイタリアの戦闘機にインスパイアされたアヴィオという仕様や、ポリツィアという警察仕様もある。イタリア警察はかつて、2台のガヤルドを所有していたのだが、1台は事故で廃車になり、もう1台は現在博物館に収蔵されている。それから、ローマ教皇仕様のウラカンまである。もはや意味が分からない。
しかし、中でも突出しているのがペルフォルマンテだ。エンジン性能は普通のウラカンと大して変わらないし、わずか640PSでは今のスーパーカーには歯が立たない。けれど、軽量化パーツや空力性能の改善(ランボルギーニはまるで子供のように「ダウンフォースは750%も向上した」と言っており、むしろ「100万%」と言わなかったことに驚いている)により、ニュルブルクリンクで最速ラップを記録している。
ランボルギーニが不正をしているのではないか(そんなはずはない)と指摘する人もいるのだが、そう言いたくなる気持ちも分かる。ニュルをわずか6分52秒01で走り切るなど、到底信じがたい。バケツと掃除機のホースだけでバージニア級原子力潜水艦よりも深く潜れたと言うようなものだ。
ニュルブルクリンクでもセナのほうが確実に速いだろうが、セナにランボルギーニのようなV10の咆哮は存在しない。それに、見た目はサーキット用の車のように見えても、実のところランボルギーニはそういう車ではない。ランボルギーニはただ目立つための車だ。
ウラカンは巨大腕時計やネブカドネザルシャンパンや美女の愛人やリーヴァのモーターボートと同じだ。美味しくもない高級料理店のテラス席と変わらない。きっと誰もが嘲笑するだろう。けれど、人生に一度きりのチャンスがあったら、地下のレストランで完璧なスフレを食べるより、目立つテラスで使い回しのカリフラワーを食べたいと思うはずだ。
完璧なスフレを求めるなら、マクラーレンやフェラーリを選べばいい。けれど、たった一台のカー・オブ・ザ・イヤーを選ぶとしたら、私はランボルギーニ・ウラカン ペルフォルマンテを選びたい。
これからも楽しみに読ませていただきます。更新お疲れさまです。
auto2014
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