Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、紅旗 L5 のレビューです。


L5

イギリス人たちがちょっとした陽気に文句を言っている頃、私は48℃という灼熱に包まれた中国・重慶市にいた。湿気もあまりなく、その空気は比喩抜きで重苦しかった。外に出るのは苦痛でしかなかった。

中国人は重慶のことを中国の灼熱地獄と呼んでいる。一方、中国人以外は「重ナントカなんて地名なんか知らない」と言うだろうが、それも妙な話だ。重慶市中心部にはおよそ900万人もの人が住んでおり、すなわちロンドンよりも人口が多い。重慶市内全域だと人口は合計3000万人以上となり、世界で最も人口の多い都市とも言える。そこにいると自分が人間とは思えなくなる。まるで自分が分子にでもなったかのようだ。

そこは摩天楼の森だ。高層ビルはマンハッタンより多く、朝起きるごとにビルの数は増えていく。そして、重慶市中心部で交わる2本の茶色い川には毎日のように新しい橋がかかっている。

私は重慶が大好きだ。火鍋という郷土料理が大好きだ。これはガチョウの腸や固めたアヒルの血、牛すじなどを大釜に入れ、ダイナマイトとナパーム弾を用いて卓上で調理する。おかげでとんでもない量の汗が吹き出すため、エアコンの効いた店内から灼熱の外界に出ても、皮膚の周りは冷たい層で守られる。実に賢い料理だ。

それに、街の時間の流れる速さも気に入ったし、ジャングルと人工物が織りなす風景も気に入った。鉄とコンクリートの森のあらゆる狭間から、野生の植物たちが顔を出そうと躍起になっている。しかし私は最高速度500km/hの高速鉄道ですぐに重慶を去った。この街は非常に時間に厳格で、発車予定時刻に電車に乗り込もうものなら、体の半分がプラットフォームに取り残されてしまうだろう。

私が初めて中国に行ったとき、私が乗った北京発 西安行きの鉄道は蒸気機関車に引かれていた。車内のトイレは木製の箱で、便器の底には穴が空いていた。これはつい30年前の話だ。

安順市をご存知だろうか。私も知らなかったのだが、ここは私が知る中でも指折りの美しい街だ。安順は地質学的狂気の中に位置し、柳模様の中国人とサントロペの天候が同居している。しかも、安順に行くためにわざわざ電車を使う必要はない。

安順には車で行くことができる。1988年当時、中国には高速道路が一切存在しなかった。ところが今や、総延長13万kmもの高速道路網が整備されており、しかも2011年以降は年間少なくとも1万kmは延長している。

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イギリスの運転免許では中国の道路を運転することはできない。中国で運転するためには独自の試験を受ける必要がある。掌を結んで開いて、しゃがんで立ち上がり、そして視力検査に通れば合格だ。視力検査は試験官が理解できない言語で答えることで通過した。

これでようやく、世界で最も滑らかで、世界で最も空いている道路を運転することができる。唯一残念だったのは、100mごとに写真を撮られ、毎回、運転中に電話を使っていないか、スピード違反をしていないか、同乗者を、あるいは自分自身を慰めていないかが厳しくチェックされてしまう。

つい30年前、中国人は車を運転することが許されていなかった。しかし今や、中国では年間2400万台以上の車が売れている。中国人に中国製の車を買わせるため、ヨーロッパで製造された車には実際の2倍以上の値段が付けられている。しかし、新富裕層にはそんなことなど関係ない。あちこちでフェラーリやロールス・ロイス、ベントレーが走っている。

中国では偽物の車もたくさん走っている。中国にはありとあらゆる物の偽物があるのだが、その反面、中国人はとにかく本物を欲している。だからこそ、バイチェスターのアウトレットがイギリスで最も中国人観光客を集めている。

しかし、習近平国家主席はベントレーに乗って国際会議に行くわけにはいかない。そんなことをするのは、中国の自動車産業が未熟であることを世界に吹聴するようなものだ。伝祺(トランプチ)や哈弗(ハーバル)などに乗っていくわけにもいかない。そんなことをすればやはり、中国の自動車産業が未熟であるということが世界に知られてしまう。彼は世界にこう思わせなければならない。
驚いた。習近平はこんなに凄い中国車に乗っているのか。

習近平国家主席が乗っている紅旗 L5は550,000ポンドもする。価格を見て驚くだろうが、見間違いではない。見た目はクライスラー・300Cにそっくりだ。それもそのはず、「ベントレーっぽい車を作れ」と命じられて設計されれば、どんな車でも300Cのようになる。ただ、L5は独自性を生み出すため、プジョー・404やオースチン・1100の要素も取り入れている。

しかし、そんなことには誰も気付かない。なぜなら、誰もが赤い旗のボンネットオーナメントに注目してしまうからだ。そしてこのオーナメントこそ、「紅旗」の名前そのものだ。紅旗は550,000ポンドの共産主義のシンボルだ。まさしく中国らしい。

この車を手に入れるのはほぼ不可能だ。政府高官のためだけに作られており、一般人には到底買えないような価格設定になっている。なので実際、これを所有する一般人は存在しない。ところが、私はなんと、金の力でこの車を1日だけ借りることができた。

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紅旗を私のところに持ってきたのは紅旗について何も知らないどころか、英語すらまったく喋ることのできない男だった。ただ、調べて分かったのだが、L5に搭載されるのは中国製のV12エンジンで、最高出力407PSを発揮する。つまり、1990年代のメルセデスと大して変わらない。

スペック的に不足はないようにも思えるのだが、L5の車重は大半の重機よりも重い3.1トンだ。とてつもなく重いドアを開ければその理由もすぐに分かる。この車は防弾仕様のようだ。ただ、窓を開けてみると分かるのだが、実のところこの車は防弾でも何でもない。これだけ重いのは、車が鉄鉱石と花崗岩からできているからだ。

なので、L5は少し遅い。いや、それは公正な評価ではない。「少し遅い」と評価すべき車はヘタったオースチン・メトロのような車だ。L5はそれよりずっと遅い。公式な0-100km/h加速は公表されていないのだが、思うにその理由はそもそも100km/hを出すことができないからなのではないだろうか。しかしそれはむしろ喜ぶべきことだろう。なにせ、エアバッグすら搭載されていないのだから。

L5にはカップホルダーも装備されていない。ステアリング位置は電動で調整できるのだが、壊れていた。しかし、そんなことは気にならなかった。なにせこの車に乗っていると気分が良い。ただ決して快適なわけではない。シートは石のように硬く、サスペンションはおそらくドアを作る際に余った断片から作られているようだ。けれど、この車には圧倒的な存在感がある。

この車ほど威圧感のある車を私は知らない。こんな車で会議に出向けば、きっと自分の思い通りに事を運ばせることができるだろう。世界で最も下品で、世界で最も高圧的な車だ。

そんな車が10km/hでしか走れなかったところで誰が気にするだろうか。萎縮する大衆を蹴散らして空港から会議場まで向かうのであれば、それくらいの速度で十分だ。この車は、車から出てくる姿を演出するために作られている。

一方で、テリーザ・メイはジャガーに乗って現れる。アンゲラ・メルケルはメルセデスだ。そして、エマニュエル・マクロンはルノー・クリオ(日本名: ルーテシア)の後席から現れるほかない。

その誰もが、紅旗から出てくる習近平と比べると軟弱に見えてしまう。紅旗こそ、世界を征服しようとしている中国の象徴的存在だ。そして事実、いずれ世界は中国に征服されるだろう。