Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェームズ・メイが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、フェラーリ 488ピスタのレビューです。


488 Pista

ひょっとしたら誇張表現になってしまうのかもしれないが、私が知る(少なくとも記憶に残っている)世界中のサーキットの中でも、最も魅力的なのはフェラーリのプライベートテストトラックであるフィオラノだ。なんならそこで働いているスタッフ数人の名前すら覚えている。

ブラインドとなっている坂を越え、右コーナーから低速の左コーナーを2度越える。…そんなコースを、私は720PSの市販最速のフェラーリ、488ピスタでアタックした。2つ目の低速コーナーを抜けると、私はステアリングを真っ直ぐにし、プロドライバーが言うところの「全開」にした。

私は車を完璧に操り、そのまま見事に次のコーナーへと進入した。こんなことを書くと私の「キャプテン・スロー」としてのキャラクターが損なわれてしまうだろうが、言い訳をすると、これは偏に車の性能のおかげだ。私はただペダルを踏み込み、電子制御の運転補助装置とシャシ性能におんぶに抱っこで走っていただけだ。

しかし、それでも楽しかった。誰かに私の勇姿を見てほしかった。フェラーリはいまだ、「走る芸術品」の第一人者であり続けている。技術と美術をこれだけの高みにおいて融合することのできるメーカーは他に存在しない。

488ピスタ(ピスタはサーキットという意味だ)は、形状、音、匂い、色、そのすべてが完璧に調和して興奮を誘い、あるいはキリストすらも心動かされるかもしれない。

中には、「フェラーリ効果」などと言って、ただの野球帽を高い値段で売るためのマーケティングでしかないと冷めた目で見ている人もいる。そんな人達とは絶対に友達になれない。そんな人達と一緒になったら、フェラーリのことは心の奥底に仕舞い込んで、ブレクジットについて心にもない関心を示すことだろう。

しかしながら、ピスタには2つの問題点が存在する。1つ目はごく個人的なことで、私がこの1つ前の先祖である458スペチアーレを所有しているという点だ。そして2つ目は、ルノーのスカンクワークス部門であるアルピーヌが作ったA110という車の存在だ。A110はMOULIのチーズグレーター以来の、フランス史上最高の発明品だ。

数ヶ月前にピスタが発表されたとき、私のところにディーラーから買わないかという誘いの電話が来た。その結論は月曜までに出さなければいけないらしい。ちなみに電話が来たのは金曜日だ。私は週末ずっと悩み続けた。私は最後の自然吸気V8フェラーリであるスペチアーレへの情熱を捨てられなかったのだが、スペチアーレを売ってピスタ(252,765ポンド)を購入してもかなりの利益が得られるので、スーツを新調したり、贅沢な魚料理を食べたりできるだろう。

ピスタはほとんどあらゆる部分で私のスペチアーレより優れている。360チャレンジストラダーレの頃からずっとそうだったのだが、ミッドシップV8フェラーリの特別仕様車の最新版は必ず前のモデルより優秀だ。最高出力は115PSも上がっているし、空力性能も向上し、電子制御の介入もより絶妙になっている。それに、見た目だってなお良くなっている。

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私には決められなかった。そして結局、今持っている車を持ち続けることにした。そもそも、最後の自然吸気V8フェラーリの、中でも最後の個体を所有するということは、それだけでかなり安心できる投資だ。

それに、私のオレンジ色(ホイールはゴールドだ)のスペチアーレは、私がプロとして失職の危機に瀕しているときに私が選んだ車だ。かのクリス・エヴァンスも「自分の身の丈に合わないようなフェラーリを買え」と言っていた。それゆえ、自分のスペチアーレが私以外の誰かの物になることなど想像したくもない。

それで話を終えたいところなのだが、悔しいことにピスタのほうが優秀な車だ。フィオラノでの経験はかなり印象的だった。フィオラノでは最初、運転する前に技術的なプレゼンテーションを受けなければならなかった。それによると、すべてが以前よりも軽く、応答性も早くなり、モータースポーツ(主に488チャレンジ)からもかなりフィードバックされているそうだ。

プレゼンテーションでは「運転する楽しさ」を示したグラフまで登場して、私はついついフェラーリから貰った鉛筆を噛んでしまった。フェラーリはそんな飾り方などするべきではなく、そんなことをしている暇があるなら、より速く、より扱いやすい次のV8フェラーリを生み出すべきだ。そうじゃなければフェラーリじゃない。

ともかく、ピスタは衝撃的な車だった。辛辣なほど速く、それでいて驚異的なほど穏やかだ。

今回、この車より300馬力ほど少ない360ストラダーレに乗ったときですらやらなかったくらい、私はペダルを強く踏み込んだ。ピスタの720PSという数字は、1,385kgという車重を考慮すると狂気的にも思えるかもしれないが、かつてフェラーリのチーフテストドライバーが言ったように、制御できる限り、「馬力が十分ある」なんて状況はありえない。

ここで、ピスタより数週間前に試乗したアルピーヌ A110についても紹介したい。フェラーリが知識(過給、軽量素材、スリップアングル、トランスミッション等)をもって洗練されたスーパーカーを生み出そうとした一方で、アルピーヌはスポーツカーの基礎に立ち戻った。

A110には252PSの4気筒エンジンが搭載されているのだが、車重は1トンをわずかに超える程度で、ボディサイズはかなり小さい。特に車幅はピスタよりも大幅に狭い。

これはダウンサイジングや燃費性能の向上や排出ガスの低減を狙ったものではない。A110には本物のミッドシップの魔法が存在し、対向車が存在し、ドライバーがコーナーを完全に把握していない現実の道路において、最高のフィールをもたらしてくれる。

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A110に乗ると、スーパーカーの存在意義が疑わしくなってしまった。現実世界において、ピスタは何のために存在するのだろうか。これまで私は、フェラーリのような車を乗り回すことは「寛大さ」の象徴であると言ってきた。マティスの絵画を購入し、他の人にも楽しんでもらえるように家の外に飾るようなものだ。けれど、マティスの絵画を家の外に飾っても、自分ではその良さを想像することしかできない。

フェラーリいわく、ピスタの購入者の60%はサーキットで運転しているらしいのだが、それはなかなかに信じがたい。自動車について語ることで生計を立てているようなごく一部の人間を除いて、サーキットで車を走らせるような人間を私は知らない。そもそも私自身、自分のフェラーリをサーキットで走らせたことなどない。恐れを知らぬ田舎の若者が運転するスバルと一緒に、どうして高価なフェラーリを運転することを楽しめるだろうか。

私は、定番の「現実世界ではスーパーカーなど使い物にならない」という話題について議論したいわけではない。言うまでもなく、公道のブラインドコーナーをサーキットのように全力で走ることなどできない。もっとも、それはホットハッチだろうが同じことだ。

サーキットの血統を持つフェラーリの美しき能力があるからこそ、普段使いでも気分を高揚させることができる。その事実があるだけで運転することが楽しくなる。決して海など潜らない人でも、水深200mでも動く腕時計を持っていると安心できるのと同じことだ。

サーキットからエミリア=ロマーニャの公道に舞台を変えても、ピスタの走りは美しかった。自分のすぐ後ろに搭載されるエンジンの咆哮も私を興奮させた。機械に対して異常性欲を抱いてしまうほどだった。

私はおそらく、ピスタを購入するべきだったのだろう。それは間違いない。しかし私は買わなかった。そしてアルピーヌを予約した。