Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2009年に書かれたランボルギーニ・ムルシエラゴ LP670-4 スーパーヴェローチェのレビューです。


Murcielago

先週末、レストアされた現存唯一のバルカン爆撃機が轟音を響かせながらゆっくりと家の上空を飛行した。それを見た私は興奮のあまり漏らしそうになった。私は庭を駆け回り、局部に手を添えながら、子供たちに「facebookなんかやめてすぐに空を見ろ」と力いっぱいに叫んだ。

しかし、実際の爆撃機の内部はそれほど楽しくないだろう。コックピットは暑くて狭いだろうし、それに乗っている人間はかなり怖いはずだ。

私自身が爆撃機に搭乗したことはないのだが、SR-71ブラックバードの先端に座ったことはある。コックピットには大量のダイヤルやボタンが並んでおり、何百万ものパーツの集合体であるということを常に意識してしまう。そのすべてが1950年代の古の技術で動いている。しかも、怖さのあまり漏らしそうになっても、漏らせるだけの空間すら存在しない。

ランボルギーニ・カウンタックに乗ることで、私でもこの感覚をなんとなくではあるが理解することができたと思う。

以前、テレビを見ているとき、「ニューヨークの港にブルネル作の蒸気船SSグレート・ブリテン号がやって来たとき、ニューヨークの人たちは何を感じたのだろうか」という疑問が生まれた。

馬や木の棒で作られた舟しかなかった当時のニューヨークに、何を推進力としているのか一見してまったく分からない船が襲来した。おそらく、ニューヨーク人は自分たちがかなり遅れていると感じたはずだ。その気持ちは、1977年にJFKに初めてコンコルドがやって来たときと同じくらいのものだろう。

そんな気持ちを、初めてカウンタックを見た14歳の私は感じた。まったくもって信じられなかった。音が。わずか1mという車高が。巨大なリアウイングが。モンスター級サイズのタイヤが。270km/hという最高速度が。ご存知かもしれないが、当時の世界は今よりもずっとゆっくりで、当時の270km/hは今のマッハ6くらいだった。

それから自分でカウンタックを運転するまでかなりの時間がかかったのだが、悲しいかな、失望してしまった。せっかくできた恋人の服を脱がせたら、男性のそれが付いていたようなものだ。

ステアリングは重くはなかった。象は重い。学校も重い。アメリカ人も重い。しかし、ランボルギーニの重量は「重い」なんてものではなかった。コーナーに差し掛かってステアリングを回そうとすると、何かが引っかかっているとしか思えない。

rear

クラッチにも問題がある。コンクリートの上にペダルを置いたほうがまだペダルを沈ませるのは簡単だろう。しかも、そんなことをしている間、ずっと超狭くて超暑い車内に閉じ込められている。

『戦場にかける橋』は誰もが何百回と見返した映画だと思うが、その内容を覚えていればアレック・ギネスが入っていた箱も思い出せるだろう。真夏日にその箱に入り、その中でSASの訓練をしているときに、箱が270km/hで動き出す様子を想像してみてほしい。カウンタックに乗るというのはそういうことだ。

しかし、それ以上に厄介なのが駐車だ。車の後ろはまったくもって見えない。窓は1cmほどしか開かない。全幅はチェシャ―の日焼けサロンのオーナーよりも太く、さらに困ったことに、野次馬に囲まれてしまい、もはや縁石に激突するのは避けられないと悟る。

ランボルギーニを手に入れれば、以降の人生を女の子に囲まれながら過ごせると想像している人もいるかもしれない。しかしそれは残念ながら間違いだ。

まずそもそも、カウンタックから出ることができない。汗を噴き出しつつもがき苦しみ、疲弊と脱水によって死んでしまう。そんなときにセックスのことを考える余裕などない。

1990年、ランボルギーニはカウンタックからディアブロへと世代交代を行った。カウンタックが絶対的な存在だったため、見た目のインパクトはかなり薄れてしまった。しかし、ディアブロはカウンタックよりもなお速かった。結果、熱くて狭い箱の中、強固な操作系を扱いつつ320km/hで走らなければならなくなった。死は目の前にあった。むしろ、死んだほうが楽だったかもしれない。

ランボルギーニを除くあらゆる自動車メーカーは、21世紀に入る前にこのようなスーパーカーの問題点を解決していた。ステアリングは軽くなり、日産車と変わらないペダルやエアコンを装備するようになった。ところが、ランボルギーニだけは違った。昔と変わらず、ドライバーを発狂させつづけた。2001年に登場したムルシエラゴも、先祖と同じくらいに狂気的だった。

私は先週、最新にしておそらくは最後のムルシエラゴ、LP670-4 SVに試乗した。ランボルギーニは6.5L V12エンジンの最高出力を30PS向上させた。エンジンの差はそれほど大きくない。しかし、さらに車重は100kgも軽量化されている。これはかなりの差だ。結果は劇的だった。

現代のフェラーリのエンジンをかけると、まるでPlayStationの中に入ったような気分になる。テクノロジーを感じる。電気の動きを実感する。電子制御の力が手に取るように分かる。

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一方のムルシエラゴは純粋な暴力だ。発進時に4WDシステムが生み出すグリップはあまりにも絶大で、クラッチを繋ぐ暇すら与えられない。そんなことを考えていると、速度計の数字は既に160km/hを超えている。そして、その事実を受け入れる頃にはもう240km/hまで加速している。決して落ち着いている暇などない。

スピードは圧倒的だ。蠱惑的で、刺激的で、そして狂気的だ。そしてついに、コーナーへと至る。

フェラーリに乗ると、磁性ダンパーや5ウェイトラクションコントロールシステムなど、電子制御が作動していることを体感する。しかし、ランボルギーニにはそれが一切存在しない。感じるのは路面だけだ。

グリップは素晴らしい。あまりにもGが生じるので、冗談抜きで顔が取れてしまいそうに感じる。しかし、そんなことをいちいち心配している暇などない。とてつもない速度が出ているので、忍者並みの反射神経が要求される。この車は、スティグをして「少し好戦的」と言わしめる。

それでこそランボルギーニだ。直線では非常に速い。コーナーでも非常に速い。けれど、ドアミラーヒーターが欲しいなどと思ってはいけない。

室内はカウンタックほどに酷いわけではない。エアコンは(少なくとも最初は)動くし、室内には人間にほぼ十分な空間がある。しかし、依然として非常にスパルタンだ。ガレージセールで売っているようなオーディオが装備されており、センターコンソールの縫製はおそらく工場長の母親の手によるものだろう。シートベルトの付き方すらおかしかった。けれど、私はそれすらも気に入った。

しかし、私は今、郷愁に駆られている。ご存知の通り、ランボルギーニは1998年にアウディによって存亡の危機から救われた。アウディはこれまで、ランボルギーニを飢えから守るだけの素晴らしい主人であった。しかし最近のランボルギーニからは、わずかながらドイツっぽさを感じてしまう。

当然、そうなれば運転はしやすくなるだろうし、車内は過ごしやすくなるだろうし、異常性も少なくなるだろうし、壊れる可能性も低くなるだろう。しかし、我々が本当に欲しているものは何なのだろうか。私は先週末、バルカンを眺めてはしゃぎ回った。しかし、ガルフストリーム G500を見かけて同じことをするとは思えない。