Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
何年か前、私はスコットランドでフェラーリ F12に試乗したのだが、乗り終わると顔面は蒼白になり、パーキンソン病を発症しかけた。F12はそれほどまでに恐ろしい車だった。その日はスコットランドらしい天候で、路面もハイパワーの車に適していたわけではなかったのだが、何より問題だったのは、車の大きさだった。
ケネット&エイヴォン運河で制御不能となった原子炉を搭載する航空母艦を操縦しているような気分だった。F12は運転するものではない。雨の中でF12に乗ると、恐怖に怯えてただすすり泣くことしかできない。私はそのまま逃げ帰り、薬を使ってなんとか落ち着いて、「F12にはパワーがありすぎる」と評価した。
それに対し、一部から批判の声が上がった。
「『パワーがありすぎる』なんて表現をするのは、『ペニスが大きすぎる』と言うようなものだ。そんなことなどありえない。」
しかし、私は間違っていないはずだ。なのでフェラーリは基本に立ち返り、2Lくらいの小型車を作るべきだろう。想像してみたのだが、非常に魅力的な車になりそうだ。だいたい300馬力くらいで、素早いトランスミッションを積み、昔のフェラーリのごとく軽く、そして価格は10万ポンド程度だ。
しかし実際のところ、フェラーリはF12の後継車としてさらに巨大でさらにパワフルな車を生み出してしまった。あまりにもパワフルなので、そのまま「スーパーファスト」と名付けられた。そして、あまりにも巨大なので、合流の際には、全長1.8mのボンネットを道に出してから左右の安全を確認しなければならない。
まずは細かい欠点から言及しよう。この車には精神疾患レベルの被害妄想がある。毎朝のように「盗難に遭いかけた」というメッセージが表示される。しかし、監視カメラを確認してみても何も映ってなどいない。
シートベルトにも問題がある。試乗車には2,000ポンドのオプションのレーシングハーネスが装備されていたのだが、これはほとんど締めることが不可能だ。それに、シートには尖った部分が多数あり、助手席に乗せた恋人はまるでSM映画の登場人物のようで、ドレスなど着ようものならずたずたになってしまうだろう。
それ以上に厄介だったのが最小回転半径の大きさだ。あまりにも小回りがきかず、しかも窓にはダッシュボードの黄色い飾り部分が反射していた。ワイパースイッチはあまりにも安っぽく、そして方向指示器のスイッチは他のフェラーリ同様、常に位置が変わってしまうし、助手席の足元には謎の紐が垂れ下がっていた。当然、試しに引っ張ってみたのだが、何も起こらなかった。きっとこの紐が空想上の窃盗犯と関係しているのだろう。
他にも文句を言いたいことはたくさんあるのだが、アクセルを踏み込むと私の両目は飛び出し、助手席の恋人はこう言った。
「この拷問具から解放されたら、すぐにあなたを殺す。」
軽量化のためにもさまざまな工夫がされている。サプライヤーに対してはありとあらゆる部品を可能な限り軽くするように要求した。それでも、車重は1.6トンを超える。運転していてもその重さは感じられる。
そして、ボディの大きさも感じられる。それでも私が事故を起こさなかったのは、フェラーリの技術の賜物だ。操作感は非常に軽かったし、四輪操舵システムや瞬く間に変速するDCTなどのおかげもあって、トリー・キャニオンがまるでモーターボートのように感じられた。
今回は雨の中でもスコットランドでも運転はしていないのだが、このフェラーリならなんとか運転できそうだ。トランスミッションや履いているタイヤ(ピレリ P ZERO)はごく平凡なものなのだが、宇宙飛行士訓練を行っていない一般人でも自然吸気の6.5L V12エンジンが生み出す800PSという出力をまともに扱うことができ、だいたい思った通りに車の向きを変えることもできる。
これを実現するのは決して簡単なことではなかっただろう。それに、この車の後継車を開発するのはさらに難しくなるだろう。きっと後継車は812よりも巨大で、812よりもパワフルになるはずだ。と、ここで改めて思うのだが、やはりフェラーリは基本に立ち返って、より小さく、そして軽い車を作るべきなのではないだろうか。
しかし果たして、フェラーリの顧客はそれを求めているのだろうか。フェラーリのファンは純血のイタリアンスポーツカーを欲しているのだろうか。実のところ、フェラーリのファンは雑誌に書かれていることしか知らないし、実際の購入者は金を使うことにしか興味がないのかもしれない。私にはよく分からないが。
いずれにしても、フェラーリに純粋な走る楽しさを求める人などほとんどいないのだろう。サーキットに車を持ち込んで走らせることが趣味のような人が、スーパーファストを欲しがるはずがない。そういうことがしたいなら、ロータス・エリーゼを買ったほうがましだ。
別荘で人に見せびらかすためだけにフェラーリを買う人さえいる。しかし、そういった人達もスーパーファストは欲しがらないだろう。なぜなら、スーパーファストの10分の1の価格でモンディアルが買えてしまうからだ。
スーパーファストの顧客は、紫色に光るランボルギーニやGクラスをアントノフに満載し、毎年8月頃にロンドンにやって来るような人達だろう。彼らは、最も巨大で、最も豪華で、最も速く、最もうるさい車を好む。
確かに、スーパーファストはやろうと思えば速く走らせることもできる車だ。しかし、彼らがスーパーファストを購入するのは、ただ周りに見せびらかしたいからだ。実際、15km/h以上のスピードを出すことはないだろう。
しかし、いずれはこれがフェラーリに大きなしっぺ返しをもたらすだろう。今のフェラーリは、高価な車を贅沢装備満載で購入してくれるような大富豪たちを相手に商売をしている。
しかし、この結果、フェラーリのブランドに傷が付きはじめている。こういった富豪以外の一般人は、ジル・ヴィルヌーヴのフェラーリが終わりかけていることに気付きはじめている。その結果、元々フェラーリに乗っていた人達は、ランボルギーニやポルシェやアストンマーティンに移っていく。
午前4時に高級百貨店の周りでフェラーリを乗り回すのと、午後4時にアマルフィ海岸でフェラーリを運転するのと、どちらに憧れるだろうか。だからこそ、スーパーファストよりも488のほうがずっと良い。もっと言えば、私の考える理想の純血フェラーリのほうが良いはずだ。
完成度で言えば、スーパーファストはアスチュート級原子力潜水艦と同じくらい素晴らしい車だ。しかし、グランドツアラーとして考えると、あまりにも巨大で、あまりにもパワフルで、あまりにも高価すぎる。
今回紹介するのは、フェラーリ 812スーパーファストのレビューです。
何年か前、私はスコットランドでフェラーリ F12に試乗したのだが、乗り終わると顔面は蒼白になり、パーキンソン病を発症しかけた。F12はそれほどまでに恐ろしい車だった。その日はスコットランドらしい天候で、路面もハイパワーの車に適していたわけではなかったのだが、何より問題だったのは、車の大きさだった。
ケネット&エイヴォン運河で制御不能となった原子炉を搭載する航空母艦を操縦しているような気分だった。F12は運転するものではない。雨の中でF12に乗ると、恐怖に怯えてただすすり泣くことしかできない。私はそのまま逃げ帰り、薬を使ってなんとか落ち着いて、「F12にはパワーがありすぎる」と評価した。
それに対し、一部から批判の声が上がった。
「『パワーがありすぎる』なんて表現をするのは、『ペニスが大きすぎる』と言うようなものだ。そんなことなどありえない。」
しかし、私は間違っていないはずだ。なのでフェラーリは基本に立ち返り、2Lくらいの小型車を作るべきだろう。想像してみたのだが、非常に魅力的な車になりそうだ。だいたい300馬力くらいで、素早いトランスミッションを積み、昔のフェラーリのごとく軽く、そして価格は10万ポンド程度だ。
しかし実際のところ、フェラーリはF12の後継車としてさらに巨大でさらにパワフルな車を生み出してしまった。あまりにもパワフルなので、そのまま「スーパーファスト」と名付けられた。そして、あまりにも巨大なので、合流の際には、全長1.8mのボンネットを道に出してから左右の安全を確認しなければならない。
まずは細かい欠点から言及しよう。この車には精神疾患レベルの被害妄想がある。毎朝のように「盗難に遭いかけた」というメッセージが表示される。しかし、監視カメラを確認してみても何も映ってなどいない。
シートベルトにも問題がある。試乗車には2,000ポンドのオプションのレーシングハーネスが装備されていたのだが、これはほとんど締めることが不可能だ。それに、シートには尖った部分が多数あり、助手席に乗せた恋人はまるでSM映画の登場人物のようで、ドレスなど着ようものならずたずたになってしまうだろう。
それ以上に厄介だったのが最小回転半径の大きさだ。あまりにも小回りがきかず、しかも窓にはダッシュボードの黄色い飾り部分が反射していた。ワイパースイッチはあまりにも安っぽく、そして方向指示器のスイッチは他のフェラーリ同様、常に位置が変わってしまうし、助手席の足元には謎の紐が垂れ下がっていた。当然、試しに引っ張ってみたのだが、何も起こらなかった。きっとこの紐が空想上の窃盗犯と関係しているのだろう。
他にも文句を言いたいことはたくさんあるのだが、アクセルを踏み込むと私の両目は飛び出し、助手席の恋人はこう言った。
「この拷問具から解放されたら、すぐにあなたを殺す。」
この車は0-100km/h加速をわずか2.9秒でこなす。そして、最高速度は340km/hを記録する。この車はあまりにも速く、そしてあまりにもやかましい。
軽量化のためにもさまざまな工夫がされている。サプライヤーに対してはありとあらゆる部品を可能な限り軽くするように要求した。それでも、車重は1.6トンを超える。運転していてもその重さは感じられる。
そして、ボディの大きさも感じられる。それでも私が事故を起こさなかったのは、フェラーリの技術の賜物だ。操作感は非常に軽かったし、四輪操舵システムや瞬く間に変速するDCTなどのおかげもあって、トリー・キャニオンがまるでモーターボートのように感じられた。
今回は雨の中でもスコットランドでも運転はしていないのだが、このフェラーリならなんとか運転できそうだ。トランスミッションや履いているタイヤ(ピレリ P ZERO)はごく平凡なものなのだが、宇宙飛行士訓練を行っていない一般人でも自然吸気の6.5L V12エンジンが生み出す800PSという出力をまともに扱うことができ、だいたい思った通りに車の向きを変えることもできる。
これを実現するのは決して簡単なことではなかっただろう。それに、この車の後継車を開発するのはさらに難しくなるだろう。きっと後継車は812よりも巨大で、812よりもパワフルになるはずだ。と、ここで改めて思うのだが、やはりフェラーリは基本に立ち返って、より小さく、そして軽い車を作るべきなのではないだろうか。
しかし果たして、フェラーリの顧客はそれを求めているのだろうか。フェラーリのファンは純血のイタリアンスポーツカーを欲しているのだろうか。実のところ、フェラーリのファンは雑誌に書かれていることしか知らないし、実際の購入者は金を使うことにしか興味がないのかもしれない。私にはよく分からないが。
いずれにしても、フェラーリに純粋な走る楽しさを求める人などほとんどいないのだろう。サーキットに車を持ち込んで走らせることが趣味のような人が、スーパーファストを欲しがるはずがない。そういうことがしたいなら、ロータス・エリーゼを買ったほうがましだ。
別荘で人に見せびらかすためだけにフェラーリを買う人さえいる。しかし、そういった人達もスーパーファストは欲しがらないだろう。なぜなら、スーパーファストの10分の1の価格でモンディアルが買えてしまうからだ。
スーパーファストの顧客は、紫色に光るランボルギーニやGクラスをアントノフに満載し、毎年8月頃にロンドンにやって来るような人達だろう。彼らは、最も巨大で、最も豪華で、最も速く、最もうるさい車を好む。
確かに、スーパーファストはやろうと思えば速く走らせることもできる車だ。しかし、彼らがスーパーファストを購入するのは、ただ周りに見せびらかしたいからだ。実際、15km/h以上のスピードを出すことはないだろう。
しかし、いずれはこれがフェラーリに大きなしっぺ返しをもたらすだろう。今のフェラーリは、高価な車を贅沢装備満載で購入してくれるような大富豪たちを相手に商売をしている。
しかし、この結果、フェラーリのブランドに傷が付きはじめている。こういった富豪以外の一般人は、ジル・ヴィルヌーヴのフェラーリが終わりかけていることに気付きはじめている。その結果、元々フェラーリに乗っていた人達は、ランボルギーニやポルシェやアストンマーティンに移っていく。
午前4時に高級百貨店の周りでフェラーリを乗り回すのと、午後4時にアマルフィ海岸でフェラーリを運転するのと、どちらに憧れるだろうか。だからこそ、スーパーファストよりも488のほうがずっと良い。もっと言えば、私の考える理想の純血フェラーリのほうが良いはずだ。
完成度で言えば、スーパーファストはアスチュート級原子力潜水艦と同じくらい素晴らしい車だ。しかし、グランドツアラーとして考えると、あまりにも巨大で、あまりにもパワフルで、あまりにも高価すぎる。