今回は、米国「AUTOWEEK」によるマツダ・RX-7(1994年モデル)のレビューを日本語で紹介します。

1993年当時、私はまだ子供で、その頃、近所の家にモンテゴブルーのRX-7があった。当時、自動車雑誌の表紙をコンペティションイエローマイカのRX-7 R1パッケージが飾っていたこともよく覚えている。私のRX-7に対する情熱は1993年に芽生えた。当時、私は10歳だった。
それ以来、私は自動車雑誌を読み耽ってRX-7の情報を集めまくり、技術者のいとこからロータリーエンジンの知識を学び、また当時はまだ発展途上だったインターネットでも情報を集めた。私はRX7Club.comの7人目のメンバーだ。今やこのウェブサイトには15万人を超えるメンバーがいる。
やがて私は運転免許を取得したのだが、最初の車にRX-7を選ぶなど論外だった。255PSのターボエンジンを搭載する後輪駆動2シータークーペなど、血気盛んな若者に与えるべき車などではなかったし、そもそも私の住むミシガンに合う車でもなかった。
結局、すぐにRX-7を手に入れることはできなかったのだが、おかげで吟味する時間ができた。私はシルバーストーンメタリックのR2パッケージが欲しかったのだが、R2パッケージは1994年に83台、1995年に16台しかアメリカには輸入されていない。
それに、13Bエンジンにはオーバーヒートを繰り返し、最終的にブローする危険性があるという問題点もあった。なので、しっかりと対策をしてやる必要がある。
私の基準をクリアする個体は99台しかなかったのだが(走行距離も気にしたらもっと少なくなる)、根気よく探し続けた。中古車サイトや自動車雑誌の中古車広告を眺めることが3年間ルーチンになっていた。
その頃、私はP2Pソフト、Napsterの開発者として有名なショーン・ファニングと友人になった。彼もまたRX-7の熱心なファンだ。当時、彼はRX-7を3台所有しており、そのうちの1台が1994年式のシルバーストーンメタリックのR2パッケージだった。
後に彼はRX-7を2台売りに出すことになったのだが、シルバーのR2は売らなかった。私は彼がシルバーのR2を手放す時を待ち望んでいたのだが、彼はそんな私の考えが気に入らなかったようだ。

それから約8ヶ月後、ファニングは私に「車は見つかったのか」と尋ねてきた。私がまだ見つかっていないと伝えると、ついに私にRX-7を売ってくれることになった。
RX-7を手に入れてから10年間で、数えきれないほどサーキットを走らせ、深夜の田舎道でのドライブも楽しんだ。RX-7に乗るときは忘れずにガソリン携行缶を持っていったし、水温計に目を光らせることも忘れなかった。
1,600kmごとにオイルを交換し、スパークプラグや燃料フィルターは毎年交換しなければならない。異常に思えるかもしれないが、ロータリーオタクにとってはこれが普通だ。
この車にはかなり愛情を注がなければならないのだが、その代わりターボが生み出す加速や狂気的なステアリングレスポンスや強固なシャシはドライバーに笑顔をもたらす。そのデザインは登場から時間が経っても色褪せない。ただ、220km/h超だとやや不安定になるので、空力性能だけは少し残念だ。
RX-7は非常に分かりやすい車だ。スポーツカーの基本に立ち返ることができるし、かといって古臭いわけではない。ゴーカート風の走りやスパルタンなロータリーエンジンの性格もあり、生温いスポーツクーペとは一線を画する本物のスポーツカーらしさがある。
アクセルを踏み込んでも大排気量車のような圧倒的な加速が起こるわけではないのだが、わずか1,300kgのボディに255PSのエンジンが載っているため、非常に速い。ターボラグはほとんどないので、ターボ車の中でもかなり優秀な部類に入るだろう。
RX-7は妥協のない車だ。応答性が高く、フィードバックも豊富で、すべての責任をドライバーに求める。滑らかな走りをするためには、ドライバーが滑らかな運転操作をしなければならない。
RX-7は純粋主義的な車なのだが、かといって実用性が蔑ろにされているわけではない。新車価格32,500ドルの車に求められるような装備(パワーウインドウやクルーズコントロールなど)はしっかり揃っている。ただ、決してドライバーを甘やかしてはくれない。イタリア風のダブルバブルルーフや曲面的なボディの内側は昔ながらのスポーツカーのように非常に狭い。乗り降りもしづらいし(頭上注意)、余分な空間などほとんど存在しない。

他に細かい欠点を挙げると、メーター周りのメッキは少し安っぽいし、ヒートランプはコンソール後方にあるので非常に見づらい。タコメーターは大きいのだがスピードメーターは小さく、20mph刻みの表示になっている。タコメーターが大きいので車の状況は把握しやすいのだが、警察にとって恰好の餌食であるスポーツカーにとって、正確な速度が分かりづらいのは問題だ。
RX-7の操作性は文句の付けようがない。俊敏でバランスも良く、グリップもある。トルセンリアディファレンシャルのおかげもあって、コーナーからの脱出はお手のものだ。サスペンションは硬いが、硬すぎるほどではない。スポーツカーに腎臓から血が出るほどの乗り心地を求めるなら、R1パッケージがおすすめだ。R1にはフロントエアダム、リアウイング、デュアルエンジンオイルクーラー、フロントブレーキエアダクト、ZR規格タイヤ、専用チューニングサスペンションが装備される。
R1は公道よりもサーキット向けのモデルであり、普通に乗るなら標準サスペンションの方がいい。1983年に登場したコルベットのサスペンションと比較すると、R1のサスペンションセッティングは頭がおかしいとしか思えないほどだった。R1は車をおもちゃとして購入し、サーキットでしか走らせない人のためのモデルだ。
それ以外のモデルなら、乗り心地はそれほど酷くはないし、ターンインやコーナリング性能、加速性能は十分に優秀だった。ただ、標準のサスペンションでも硬くて跳ねがちではある。ロータリーターボエンジンはフェラーリV12のように音が格別に良いわけではないのだが、24バルブのV6エンジンが溢れる世界の中では特別感のある音だ。
RX-7は応答性が高く、軽く、そして純朴な(装備内容も非常に純朴だ)車だ。魂に訴えかけるような魅力がある。しかし、他の真のスポーツカーもそうなのだが、車の価値を理解し、かつ走りの代償を受け入れることのできるごく少数の人達にしかその魅力は伝わらなかった。
RX-7について(良い点も悪い点も含め)改めて振り返ってみることで、この車が1990年代のスポーツカーとして非常に重要な立ち位置にある車であることを再認識させられた。RX-7の価値を理解してくれる人がたくさんいると嬉しい。
What we drive: 1994 Mazda RX-7 R2

1993年当時、私はまだ子供で、その頃、近所の家にモンテゴブルーのRX-7があった。当時、自動車雑誌の表紙をコンペティションイエローマイカのRX-7 R1パッケージが飾っていたこともよく覚えている。私のRX-7に対する情熱は1993年に芽生えた。当時、私は10歳だった。
それ以来、私は自動車雑誌を読み耽ってRX-7の情報を集めまくり、技術者のいとこからロータリーエンジンの知識を学び、また当時はまだ発展途上だったインターネットでも情報を集めた。私はRX7Club.comの7人目のメンバーだ。今やこのウェブサイトには15万人を超えるメンバーがいる。
やがて私は運転免許を取得したのだが、最初の車にRX-7を選ぶなど論外だった。255PSのターボエンジンを搭載する後輪駆動2シータークーペなど、血気盛んな若者に与えるべき車などではなかったし、そもそも私の住むミシガンに合う車でもなかった。
結局、すぐにRX-7を手に入れることはできなかったのだが、おかげで吟味する時間ができた。私はシルバーストーンメタリックのR2パッケージが欲しかったのだが、R2パッケージは1994年に83台、1995年に16台しかアメリカには輸入されていない。
それに、13Bエンジンにはオーバーヒートを繰り返し、最終的にブローする危険性があるという問題点もあった。なので、しっかりと対策をしてやる必要がある。
私の基準をクリアする個体は99台しかなかったのだが(走行距離も気にしたらもっと少なくなる)、根気よく探し続けた。中古車サイトや自動車雑誌の中古車広告を眺めることが3年間ルーチンになっていた。
その頃、私はP2Pソフト、Napsterの開発者として有名なショーン・ファニングと友人になった。彼もまたRX-7の熱心なファンだ。当時、彼はRX-7を3台所有しており、そのうちの1台が1994年式のシルバーストーンメタリックのR2パッケージだった。
後に彼はRX-7を2台売りに出すことになったのだが、シルバーのR2は売らなかった。私は彼がシルバーのR2を手放す時を待ち望んでいたのだが、彼はそんな私の考えが気に入らなかったようだ。

それから約8ヶ月後、ファニングは私に「車は見つかったのか」と尋ねてきた。私がまだ見つかっていないと伝えると、ついに私にRX-7を売ってくれることになった。
RX-7を手に入れてから10年間で、数えきれないほどサーキットを走らせ、深夜の田舎道でのドライブも楽しんだ。RX-7に乗るときは忘れずにガソリン携行缶を持っていったし、水温計に目を光らせることも忘れなかった。
1,600kmごとにオイルを交換し、スパークプラグや燃料フィルターは毎年交換しなければならない。異常に思えるかもしれないが、ロータリーオタクにとってはこれが普通だ。
この車にはかなり愛情を注がなければならないのだが、その代わりターボが生み出す加速や狂気的なステアリングレスポンスや強固なシャシはドライバーに笑顔をもたらす。そのデザインは登場から時間が経っても色褪せない。ただ、220km/h超だとやや不安定になるので、空力性能だけは少し残念だ。
RX-7は非常に分かりやすい車だ。スポーツカーの基本に立ち返ることができるし、かといって古臭いわけではない。ゴーカート風の走りやスパルタンなロータリーエンジンの性格もあり、生温いスポーツクーペとは一線を画する本物のスポーツカーらしさがある。
アクセルを踏み込んでも大排気量車のような圧倒的な加速が起こるわけではないのだが、わずか1,300kgのボディに255PSのエンジンが載っているため、非常に速い。ターボラグはほとんどないので、ターボ車の中でもかなり優秀な部類に入るだろう。
RX-7は妥協のない車だ。応答性が高く、フィードバックも豊富で、すべての責任をドライバーに求める。滑らかな走りをするためには、ドライバーが滑らかな運転操作をしなければならない。
RX-7は純粋主義的な車なのだが、かといって実用性が蔑ろにされているわけではない。新車価格32,500ドルの車に求められるような装備(パワーウインドウやクルーズコントロールなど)はしっかり揃っている。ただ、決してドライバーを甘やかしてはくれない。イタリア風のダブルバブルルーフや曲面的なボディの内側は昔ながらのスポーツカーのように非常に狭い。乗り降りもしづらいし(頭上注意)、余分な空間などほとんど存在しない。

他に細かい欠点を挙げると、メーター周りのメッキは少し安っぽいし、ヒートランプはコンソール後方にあるので非常に見づらい。タコメーターは大きいのだがスピードメーターは小さく、20mph刻みの表示になっている。タコメーターが大きいので車の状況は把握しやすいのだが、警察にとって恰好の餌食であるスポーツカーにとって、正確な速度が分かりづらいのは問題だ。
RX-7の操作性は文句の付けようがない。俊敏でバランスも良く、グリップもある。トルセンリアディファレンシャルのおかげもあって、コーナーからの脱出はお手のものだ。サスペンションは硬いが、硬すぎるほどではない。スポーツカーに腎臓から血が出るほどの乗り心地を求めるなら、R1パッケージがおすすめだ。R1にはフロントエアダム、リアウイング、デュアルエンジンオイルクーラー、フロントブレーキエアダクト、ZR規格タイヤ、専用チューニングサスペンションが装備される。
R1は公道よりもサーキット向けのモデルであり、普通に乗るなら標準サスペンションの方がいい。1983年に登場したコルベットのサスペンションと比較すると、R1のサスペンションセッティングは頭がおかしいとしか思えないほどだった。R1は車をおもちゃとして購入し、サーキットでしか走らせない人のためのモデルだ。
それ以外のモデルなら、乗り心地はそれほど酷くはないし、ターンインやコーナリング性能、加速性能は十分に優秀だった。ただ、標準のサスペンションでも硬くて跳ねがちではある。ロータリーターボエンジンはフェラーリV12のように音が格別に良いわけではないのだが、24バルブのV6エンジンが溢れる世界の中では特別感のある音だ。
RX-7は応答性が高く、軽く、そして純朴な(装備内容も非常に純朴だ)車だ。魂に訴えかけるような魅力がある。しかし、他の真のスポーツカーもそうなのだが、車の価値を理解し、かつ走りの代償を受け入れることのできるごく少数の人達にしかその魅力は伝わらなかった。
RX-7について(良い点も悪い点も含め)改めて振り返ってみることで、この車が1990年代のスポーツカーとして非常に重要な立ち位置にある車であることを再認識させられた。RX-7の価値を理解してくれる人がたくさんいると嬉しい。
What we drive: 1994 Mazda RX-7 R2
となったらFCも…?