Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2005年に書かれたメルセデス・ベンツ E350のレビューです。


E350

政府や地方議会が階級制度や内燃機関に対する嫌悪感を露わにし続けてきた結果、面白いことが起こっている。イギリスではついに、車を1台も持たない世帯の数を、車を2台持つ世帯の数が追い抜いた。

おそらく、ゴードン・ブラウンはこれを経済政策の悪しき副作用であり、イギリスが史上最も安定した時期に突入して国民が豊かになった結果だと説明するだろう。これも合理的な説明ではあるのだが、人々が車を2台持つようになった理由は他にもある。人間が狂っているからだ。

私の友人は15,000ポンドのミニクーパーSをまるで使い捨てカミソリのごとく気軽に購入した。雑に扱い、事故を起こし、そして捨てた。そういうことをするのは彼ばかりではない。

先日、ある中年女性に会った。彼女は自分のトヨタ・ヤリス(日本名: ヴィッツ)のリアシートの畳み方が分からず困ってしまったそうだ。それを嫌った彼女は新たにセアト・アローザを購入し、シートを畳みっぱなしにしているそうだ。彼女はこう話していた。
人を乗せる時にはトヨタを使い、物を運ぶ時にはセアトを使っているんです。

レスターシャーには5台の車を保有しているシェリダン一家が住んでいる。家にたくさん車を置いておけば、通りがかった人は来客がいると思うだろうから、不用意に家を訪ねて来る人が少なくなるそうだ。

私の妻も異常だ。彼女は先日、スイス軍からランドローバーを購入した。その車には全長6mのアンテナが4本と、野生動物を追い払うための警笛、銃、カモフラージュ用のネットが装備されており、理論上でしかステアリングを回せないほど太いタイヤを履いている。

当然、私は妻にどうしてこんな車を買ってしまったのか問い質した。それに対し、妻は平然とした様子でこう答えた。
これならきっとクリスマスツリーを運ぶのにちょうどいいと思って。

rear

確かにクリスマスツリーは運べるだろう。しかし、年に1度の10kmにも満たない荷物運びのために車を1台購入するなど、あまりにも贅沢だ。ハレの日のためだけの食器一式を揃えたり、秋のためだけにリーフブロワーを購入するようなものだ。にもかかわらず、こういった消費が一般的になってきている。

政府もきっとこの流れに対抗しようとしているだろう。この記事の原稿は後で見返せるようにちゃんと取っておくつもりだ。私がこの記事を読み返す頃には、きっと1人1台以上車を所有することが法律で禁止されていることだろう。

実際、1人1台に制限されたところで何を困ることがあるのだろうか。招かれざる客を家に来させたくないとか、リアシートを畳むのが面倒だとか、そんな理由のために車を持てるほど、地球の資源には余裕がないとしきりに叫ばれているではないか。それに、所有台数を制限すればきっと渋滞も減るだろうし、自動車業界による世界の支配に対抗できるだろうし、昔のように子供たちが街中で遊べるようにもなるだろう。

続いて、政府はラグビーを法律で禁止し、ディナーパーティーを禁止し、リーフブロワーも禁止するだろう。そして、方言を使うことを強制されるようになるだろう。そして、ピットブルとホイペット以外の飼い犬はすべて殺処分されるだろう。王室制度は廃止され、すべての動物が平等に扱われるようになるだろう。

では、1台しか車を所有することを許されなくなったら何に乗ればいいのだろうか。当然、そんな法律が制定される頃には、4WD車やエリート主義的なBMWは禁止されているだろう。ローバーは消えるだろうし、アウディは一切凹凸の存在しない道路しか想定せずにサスペンションを設計しているだろうし、ジャガーはブランドの将来を示すコンセプトカーを作ることに忙しいだろうし、2種類の動力源を搭載する車を購入する意味など理解できないので、ハイブリッドカーを持つ気にもなれない。

では、メルセデス・ベンツ Eクラスはどうだろうか。巨大で高価な高級セダンなので、個別指導やビジネスクラスと同じ贅沢品と捉えられるだろう。目の敵にされるだろう。けれど、SクラスやCLSの代わりとして見たらどうだろうか。

Eクラスはちょっと高級なタクシーのような車だ。確かに、試乗車には滑らかな3.5L V6エンジンが搭載されていたし、トランクはクリスマスツリーが載るほどに広く、死んだ牛の革が大量に使われ、電子機器もたくさん付いていたのだが、この車の運転席に座ると、安いスーツを着て、リアシートにレベッカ・ルースを乗せなければいけないような気分になる。別の言い方をすれば、車というよりは道具のように感じられた。

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この車はとてつもなくつまらない。0-100km/h加速は6.9秒とこのサイズの車としてはかなり速いのだが、一度としてアクセルを踏み込んでみたいとは思わなかった。それに、公称最高速度の250km/hを出してみようとも思えなかった。ずっと130km/hで走るのがこの車には合っている。

コーナリング性能はどうだろうか。少なくとも事故は起こさなかったので、ステアリングはちゃんと効いていたはずだ。しかし、車の限界を試してみたいと思えるようなステアリングではなかった。この車は後部座席のジョディ・マーシュが飲み物をこぼさないような走りをするために設計されている。

だからこそ、この車はトニー・ブレアの一党独裁政権にぴったりだ。運転を楽しむためにこの車に乗ることなどありえないし、ファッションとしてこの車に乗ることもありえない。色で例えるなら、この車はベージュだ。食べ物で例えるならレタスだ。イーニッド・ブライトンと同じくらいに退屈だ。

このような車は大きいながらも派手さはなく、作りもしっかりしている。きっと工場で使う水はリサイクルされ、使う木材は企業直営の再生可能なオーガニック森林から調達しているのだろう。

この車は頭で考えて選ぶ車だ。しかし、人間には心もある。だからこそ人は情熱を持ち、あるいは狂ってしまうこともある。だからこそ私はフォード・GTをオーダーし、私の友人はミニクーパーを購入した。別の友人は昔のメルセデス・ベンツ 600プルマンを妻に内緒で買ってしまったそうだ。

だからこそ、人々はアストンマーティンやフェラーリに憧れる。もし本当にすべての動物が平等なら、人は皆Eクラスに乗るだろう。しかし、ご承知の通り、真の平等など存在しない。


Mercedes-Benz E-Class