Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2010年に書かれたベントレー・コンチネンタル スーパースポーツのレビューです。


Continental SuperSport

シーズンオフのブラックプールはあまり良い場所ではない。若者数人がたむろする荒れ果てたゲームセンター以外に開いている店舗はないし、雨もよく降る。しかし、それ以上にブラックプールからの帰路は最悪だ。

ブラックプールとイングランドはM6で繋がっているのだが、M6には延々とオービスが配置されており、存在しない労働者を保護するための80km/h制限を守らせようとしている。それに、道路標識に書かれている地名はどこも、誰も行きたがらないような場所ばかりなのに、どういうわけかM6は混んでいる。

プレストン。コングルトン。ストーク。ニューカッスル=アンダー=ライム。スタッフォード。退屈、平凡、無味乾燥の連続だ。M6なんか使うくらいなら欄干に突っ込んですべてを終わらせたほうがましかもしれない。

私はブラックプールに行く際、高速道路を使わなかったせいでさらに最悪の経験をした。私はノリッチを出て、レスター、ラグビー、カノック、ルージリーなどの地域を通過した。どの場所も皆同じだった。ショッピングモールがあり、ちょっとした工業地域(輸入品をちょっといじるだけの場所だ)がある。

そして町の中心部に至ると、こんな風景が広がっている。宅配ピザ屋、広東料理店、インド料理店、広東料理店、広東料理店、チャリティーショップ、ケバブ屋、ケバブ屋、インド料理店、宅配ピザ屋。おそらく、イギリス中部の住民は食べることしかやることがないのだろう。

ただ、唯一例外なのはバーミンガムの一部地域だ。そこはまるでカルカッタのようで、八百屋や肉屋すら存在しない。ショッピングモールが中心街をレイプし、店舗は脂肪だけを提供するクソなレストランに支配されている。しかも、6km/h以上出すことはできない。ワイパーからは人生の貴重な時間が無為に過ぎていく音が聞こえ、ラジオからは馬鹿しか相手にしていないクイズ番組が流れてくる。

別のショッピングモール周辺に来ても同じような景色の繰り返しだ。1速と2速しか使えない。アドレナリンが放出されるのは左の車輪が道端の深いくぼみに落ちたときだけだ。そのままオーストラリアまで落ちていけないだろうか。それでも雨は降り続ける。八百屋はどこにも見当たらない。

スタッフォードからストロークまでの道はイギリスで最もオービスがたくさんある場所なので、緊張感が増した。そこは安全に160km/h出せるような道なのだが、ケバブを食べたあと財布に残ったわずかな金をゴードン・ブラウンが虎視眈々と狙っているため、スピードを出すことはできない。もう最悪だ。

そして、ブラックプールからの帰り道に乗ったのが、ベントレー・コンチネンタル スーパースポーツという車だ。これは標準のコンチネンタルの2シーター軽量版で、最高出力630PSの6LツインターボW12エンジンが搭載され、最高速度329km/h、0-100km/h加速3.7秒を誇る。

この車は巨大だ。キルト風の薄いシートに座ると、私でさえ車の先端がどこなのか分からなくなった。そして、スピードを出してトランクの後端からスポイラーを展開させない限り、車の後端がどこなのかも分からない。

要するにこの車は、超速く、超巨大で、超やかましい。排気管にライオンが棲まうAMGのようなやかましさとは違う。人間の耳には非常に静かな車だ。しかし、犬の耳にはその低音がとても鬱陶しく感じられるだろう。

ここで言うやかましさとは、黒のホイールやライラック色のボディカラーのことだ。目にうるさい。これがブラックプールを出てから問題となった。M55に向かって走っているとき、左車線はずっと車が並んでおり、右車線にはまったく車がいなかった。なので私は右車線に移ったのだが、しばらくすると分岐点に近付いたので、左車線に戻らなければならなくなった。

もし私が乗っていたのが1992年式のフォード・オリオンだったなら問題なく合流できただろう。しかし、イギリス北部において、希望ナンバー付きの166,600ポンドのベントレーがどういう扱いを受けるかなど、想像に難くない。デイリー・メール紙は金を持つことが道徳的に間違っていると主張している。こんな車に乗る人間は、明らかに大量のお金を持っているはずだ。結果、皆が一致団結して合流しようとしている私の存在を無視した。

半ば無理矢理に合流し、なんとか正規の車線に合流し、M55に入った。そこで私はボンネットの中の獣を解き放った。エンジンの回転数は急上昇し…確か1,750rpmくらいまで上がったはずだ。110km/hくらいならこれくらいの回転数で出すことができる。史上最速の帰宅だった。

チェシャーでは周りの反応がましだった。そこの住民はこの車を気に入ったようで、経営する日焼けサロンを売却すれば買えるだろうかと金勘定していた。しかし、労働党王国に戻ると、私が車を追い越すたびにデーヴィッド・キャメロンの票が失われていった。

コッツウォルドの一般道に入ると、状況は好転した。雨は止んだ。日は暮れ、道は空いていた。運転を楽しむのには最高の時間だ。ただし、これほどパワフルで巨大で重い車を運転するのは、ハンマーで針仕事をしようとするようなものだ。重さも、スピードも、パワーも、グリップも、大半の状況では恐怖にしかならない。

結局、その日は家に帰り、改めてこの車について検討することにした。ベントレー・コンチネンタルは決して美しい車ではないし、それがスーパースポーツになろうと美しくなるわけではない。スパンコールのレオタードを着たマーガレット・ベケットのようなものだ。

それから、どうしてリアシートが無くなっているのだろうか。誰かに送り迎えを頼まれた時にはかなり厄介だ。代わりにリアにはフィンガルの洞窟ができるのだが、そこに誰かを乗せることはできない。それに、どうして最高速度をたった2km/h上げるためだけに燃費が犠牲になっているのだろうか。

燃料といえば、スーパースポーツはバイオエタノールで走らせることもできる。これはルバーブか何かから作られている燃料だ。ベントレーは似非数学を使って、これを使えばエコだと説明している。しかし、申し訳ないがこれには笑うしかない。しかし、燃料計の減る速度を見ると今度は泣きたくなる。

まとめてみよう。見た目は良くない。スピードを出すことは楽しめないし、巨大だし、重いし、低俗だし、超高価だ。チェルシー以外の場所では誰もが細胞レベルで嫌っている。

しかし、悪いところばかりではない。M6を走らせると、恐ろしいほどに有能な車だということが実感できる。この車は岩のように強固だ。大排気量エンジンから生み出される大出力は四輪すべてに伝わり、美しいアルカンターラステアリング越しに溢れるほどのフィールが伝わってくる。

270km/hで走ることが許されるなら、これ以上の車など思い浮かばない。その理由は単に速いからではない。この車はアストンマーティン・DBSやフェラーリ・599と同じくらい速く、より快適で、そして非常に静かで安定している。

しかし、大きな問題がある。現実的には、270km/hを出すことなど許されない。昔は、フランスを横断してアルプスやサントロペに向かうとき、自分の好きな速度で走ることができた。しかし今や、そんなことは不可能だ。そんなことをしたら、ニコラ・サルコジに全財産を奪われてしまう。

だからといって、速い車を買う意味がなくなったわけではない。その意味は確実に存在する。私が住んでいる場所の近くにも、速く走れる道はいくらでも存在する。そういう道はヨークシャーやウェールズにもある。ただしそれは一般道だ。

ベントレーはあくまで、高速道路を速く走るために作られた車だ。しかし、今や高速道路を高速で走ることなど不可能だ。要するにこの車は、不可能なことをするために作られた車だ。


The Clarkson review: Bentley Continental Supersport (2010)