Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2007年に書かれたフィアット・パンダ 100HPのレビューです。


Panda 100HP

ちょっと前にごく平凡なフィアット・パンダに試乗した。そのパンダは本物のパンダよりも遅かったのだが、価格や維持費も本物のパンダよりよっぽど安かった。総合的に見て、私はこのパンダを非常に気に入った。

ただ、ある出来事があり、改めてパンダについて調べてみようと思うようになった。Top Gearに一緒に出演しているジェームズ・メイがパンダを購入した。これを考慮すると、パンダには必ず欠点があるはずだ。いや、そもそもその欠点はもう知っている。

確かにパンダは街中や雪の上や氷の上では非常に扱いやすい。田舎の狭い道ではとても楽しい。対向車とすれ違うときにも生け垣と車の間には余裕が残る。

しかし、パンダはとても小さい車で、エンジンの排気量も小さいので、高速道路ではまったくもって無気力だ。クロスタースのダウンヒルに私が出場するのと同じくらい力不足だ。

パワーの無い車で高速道路を走るのはかなり危険だ。寝ているトラの尻に中指を突っ込むのと同じくらい危険だ。ボディサイドに「ヒラリーを大統領に」と書かれた車でアラバマ州を走り回るのと同じくらい危険だ。

問題は単純だ。トラックの後ろを80km/hで走行している状況を想像してほしい。走っているのは中央車線だ。普通なら追い越そうと思うだろう。なのでウインカーを出し、隙間を見つけて右車線へと移る。交通安全教本にも書かれているような話だ。

ところが、3速にしてアクセルを床まで踏み込んでも、エンジンは死にそうな雄叫びをあげるばかりで、科学者が言うところの「加速」という現象は起こらない。

少しすると、車線変更時にはバックミラーの中では点でしかなかった後続車が80km/hで追越車線に入ってきた頭のおかしい車と衝突するのを避けるために急ブレーキを踏み、道路には長いタイヤ痕が付いてしまう。

rear

いつ後続車に衝突されてもおかしくない。フィアット・パンダの場合、後ろに衝突されるのはかなり危険だ。なぜなら、車の後端は乗員の最も重要な臓器からせいぜい10cmほどしか離れていないからだ。

私にはこれまでの経験から得た持論がある。100馬力未満の車に乗っているときには、どれだけ離れていても、視界内に他の車がいる状況では追越車線に進入するべきではない。後続車が5km離れた位置にいたとしても例外ではない。60馬力未満の車に乗るときには、そもそも追越車線など決して走るべきではない。

車にシートとタイヤしか付いていなかったような時代なら60馬力でも十分だったのだが、今では小型車にも大量の安全装備や贅沢装備が搭載されており、車重はボリビアよりも重くなっている。国一つを動かすためには馬60頭では足りない。まったく不足している。

ご存知かもしれないが、基本的に私は政府が何かを規制することを良しとはしていない(ただし、顎髭や赤毛やバタービーンズやウェストミンスターにいるスコットランド人やキャンピングトレーラーや無知な人間が語る地球温暖化の話やトヨタ・プリウスやプロットの存在しない小説やITVのコスチュームドラマやジェイド・グッディの出演番組やケン・リヴィングストンは規制するべきだと考えている)。そんな私ですらパンダが追越車線を走ることを規制したいと考えているのだが、その考えを妨げる理由が一つだけ存在する。そんな規制をしてしまうと、ジェームズ・メイがTop Gearの収録に来る時間がさらに遅れてしまう。

実際は、もう一つの理由がある。フィアットはパンダに100馬力のエンジンを搭載するモデルを追加した。これでも最近の車に必要な馬力の5分の1程度なのだが、それでも正しい方向に進んでいるのは確かだ。

パンダに100馬力のエンジンを搭載すれば、理論的には完璧な車が出来上がるはずだ。パワーの無いモデルと同じくらいに活力があって楽しいはずだ。それでいて、高速道路で恐怖に怯える必要もないはずだ。

見た目も素晴らしい。金網風のフロントグリルや派手なライトも付いている。もしこの車が犬だったら、つぎはぎだらけで、耳も歪んでおり、飼い主の足元で四六時中鳴き続け、客人が来たら股間の匂いを嗅いでしまうだろう。けれど、世界に代わりのいない、たった一匹の愛犬だ。きっと大いに愛されることだろう。

interior

しかしこいつは犬ではない。車だ。パンダは車としても非常に優秀だ。リアシートに子供2人を乗せることもできるし、四角いボディのおかげで荷室も十分に広い。やろうと思えばアイロン台を載せることもできるだろう。

雪が降ろうと、路面が凍結しようと、学校への送迎だろうと、高速道路だろうと、街中だろうと、駐車場だろうと、ディナーパーティーだろうと、毎日の通勤だろうと、この小さなフィアットはどんなことでもそつなくこなし、しかも、週末にエクストリーム・アイロニングをすることを趣味とする人の需要にすら応えることができる。だからこそ、自動車関連メディアはこの車の話題で持ちきりだ。

私も、これがタイヤの付いたイエス・キリストだと思い、実際に借りてみることにした。ところが残念なことに、私はこの車がとても嫌いになってしまった。

真っ当なノーマルのフィアット・パンダは普通の人のための普通の車として設計されている。安くなるように設計され、実際に安い。21,000ポンドのフォルクスワーゲン・ゴルフと同じくらいの数の部品を使っているのに7,000ポンドという価格を実現しているのはとんでもないことだ。かといって、製造しているのがジャングルの住人というわけでもない。

ところが、1.4Lエンジンを搭載したモデルを選ぶと、本来7,000ポンドの車に10,000ポンドを支払わなければならなくなる。その結果…。

確かに速くはなっている。コーナリング性能も高い。乗り心地も想像以上に良い。けれど、静粛性というものはまったく存在しない。掃除機の中にサターンVを詰め込んだようなものだ。より早く家事を済ませることはできるだろうが、音や振動やハーシュネスはかなり問題になるだろう。

このホットパンダも同じだ。エンジンのせいで頭痛が起こるし、かなりの大音量を発するのでオーディオの音量を上げなければならず、その結果、頭痛はさらにひどくなる。最終的には減速を強いられるのだが、そうなると果たして、パワーが増加した意味はどこにあるのだろうか。

最高速度は185km/hらしい。それはきっと正しいのだろう。けれど、この速度を実際に出すのはかなり難しい。世界中のニューロフェンをかき集めてもまだ足りないだろうし、それにパンダはあまりにも小さいため、ドライバーは真空パックされた食品の気分を味わうことになる。

フロントウインドウは目と鼻の先にある。リアウインドウも後頭部すれすれの位置にあり、横を向けばすぐそこにサイドウインドウがある。この車で150km/hを出すと、車に守られていない状態で150km/h出しているような気分になる。地獄のような頭痛を味わっているときにこんなことになれば、かなり不安になってしまう。

都市部に住む裕福な若者なら、きっと長距離移動をすることもないだろうし、100馬力のパンダを購入する意味もあるのかもしれない。けれど、それ以外の人間にとっては、パンダ以外の小型車とまったく同じ結論を言わざるをえない。スズキ・スイフトスポーツを買ったほうがいい。


Fiat Panda