Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2003年に書かれたホンダ・アコードツアラー タイプSのレビューです。


Accord Tourer Type S

Radio 1で放送される『ブレックファスト・ショー』の聴取率は大暴落しており、上層部はDJのサラ・コックスを名前は忘れたが誰かと交代させることに決定した。おそらくクイーンか誰かだろう。

しかし、DJを交代しても何も変わらないはずだ。司会者を理由に音楽番組を選ぶような人間は存在しない。音楽番組は音楽で選ぶものだ。Radio 1で流れる音楽といえば、ピアノの存在すらまともに知らないような黒人が激昂するような音楽ばかりだ。

私は父親とは違う。私の父はテッド・ニュージェントとカレン・カーペンターの区別もついていない。父にとっては、どちらもつまらない音楽でしかない。しかし、最近の音楽といえば、50セントにしろ、ワイクリフ・ジョンにしろ、ブラック・アイド・ピーズにしろ、本当に何の違いもない。違いがあるとすれば、彼らが撃たれた回数くらいだ。

私はスー・ローリーからRadio 4の番組『デザート・アイランド・ディスクス』に招待されたので、それ以来、普段よりも音楽についてよく考えるようになった。

このラジオ番組では「もし無人島に行くなら」をテーマに、無人島で聞きたい曲や持っていきたいものについて話す。持っていきたい遊び道具はすぐに決まった。ジェットスキーだ。

無人島に持っていきたい本を選ぶのは少し難しかった。シェイクスピア全集を(火を熾すために)選ぶ人もいるだろうし、聖書を選ぶ人もいるだろう。しかし、それ以外の本となるとどうだろうか。今までに読んだ本を思い返してみたのだが、一度読んだ本を再び読んでも退屈なだけだ。

しかし、それ以上に難しかったのは音楽だ。大半の人がそうだろうが、私の好きな曲トップ10には250曲ほどがランクインしている。中でもお気に入りの1曲は14曲ほどある。

しかも、さらに困ったことに、私のお気に入りの14曲はラジオのリスナーに教えたくない類の曲ばかりだった。好きな曲がギルバート・オサリバンの『クレア』であるとリスナーに公表するのは、パブに行って性器に痛みがあることを公言するのと変わらない。

私はずっとサッド・カフェのファンだった。深夜に一人でいるときなら、キャメルやイエスやスーパートランプと同じように、サッド・カフェも好きでいられる。けれど、火曜の午前11時に、スー・ローリーが横にいるスタジオで同じ気分になれるわけではない。

同じような理由で、クラシック音楽を選ぶこともできない。トランシルヴァニア出身の発音すらできないような作曲家の変ロ長調を選んで教養の深さを示すゲストもいるのだが、私の知っているクラシック音楽などCMで使われている曲くらいしかない。ピレリのタイヤのCMソングを選んだりしたら馬鹿だと思われてしまうかもしれない。『ホース・オブ・ザ・イヤー・ショー』の曲(聞いた人がつい手拍子をしてしまう曲だ)よりはましかもしれないが。

なんとか、私が好きな曲を8曲選んだ。なんと、その中で最も新しい曲が1977年の曲だった。まるで私が年寄りみたいじゃないか。ということは、今回の主題であるホンダの新型アコードツアラー タイプSについて書く資格もあるだろう。

rear

ホンダは長らくの間、若者からの人気を得ようと必死だった。車にボトックス注射を打ち、コラーゲンやテストステロンを詰め込んだ。シビックに193PSのエンジンを搭載したりもしたのだが、何の意味もなかった。そんなエンジンを積んでも、老婆が木に特攻する速度が上昇するだけだ。

ホンダはジャズ(日本名: フィット)というファンキーな小型車も生み出した。9歳児のマニキュアと同じメタリックピンクのボディカラーまで設定された。その結果、私の母がジャズを購入した。

1960年代にはホンダにもスポーツカーがあったし、今でもS2000という素晴らしいスポーツカーを作っている。ホンダはレースの世界で栄光を獲得し、それどころか、スーパーカーの世界すらも脅かしてきた。

しかし、それすらも意味をなさない。先週、A40でブルーのNSXを見かけたのだが、突然私の目の前を横切り、減速車線へと入っていた。その車を運転していたのは、他でもない、Mr.ビーン、もといローワン・アトキンソンだった。

最初は、新型アコードタイプSもBMWやアウディから若い顧客を奪うための試みだと思っていた。インテリアはブラックで、パネルにはお馴染みのカーボンファイバー風の素材が使われており、室内はまるでメンズシェーバーのようだった。スピードメーターは260km/hまで刻まれており、排気管は二本出しで、ライトはまるでバトラー&ウィルソンの宝飾品で、6段のギアを選択できるチタン製シフトレバーも付いていた。

2.4Lのi-VTECエンジンはそれほど勢い良く回るわけでもなく、ホンダのスポーティーなエンジンらしく中性的な音を響かせた。それに、パフォーマンスも思ったほど力強くはなかった。しかし、優秀なエンジンであることは確かだし、トランスミッションは見事だった。けれど、乗り心地がすべてを包み隠してしまった。

エアサスペンションを採用する最新のジャガーすらも、乗り心地ではアコードに敵わない。たとえ飛ばしても乗り心地は破綻しない。もっとも、ホンダのオーナーは飛ばすことなど40年以上前にとっくに卒業しているのだが。

普段から車をテストする際に使っている道を走ると驚いてしまった。路面の段差に乗り上げて車が浮き上がると、続いて車が着地する衝撃が来るだろうと身構える。ところが、いつまで経っても衝撃は来ない。まるで熟練の救急隊員のように落ち着き払っている。

不思議なことに、これがハンドリングに悪影響を及ぼしているわけではなさそうだ。ステアリングの重さは見事だ。直感に従って操作することができる。制動力も強力だし、シートは完璧に身体をホールドしてくれる。すべてがうまくいっている。私はずっと、腰を痛めつけることなく速く走れる車を求めてきた。アコードタイプSはその条件を満たしている。歳をとった少年のためのパフォーマンスカーだ。

それだけではない。価格は2万ポンドちょっとだし、どこを見ても壊れることはなさそうだ。つい先日知ったのだが、過去13年間でホンダのVTECシステムに不具合が起きたことはないそうだ。一度たりともないそうだ。

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フォルクスワーゲンやメルセデスの信頼性の高さについて語る人は多い。けれど、M1で例えるなら、ドイツ車の信頼性はせいぜいミルトン・キーンズあたりだ。トヨタ車はレスターの外れあたりで、ホンダは既にM1を抜けてA1に入り、スコットランド辺りまで行っている。

タイヤの信頼性も高くあってほしいものだ。最近ではスペアタイヤの搭載されていない車も増えてきた。メーカーは重量を削減するためだと主張している。それは事実だろう。しかしそれ以上に、コストを削減することが目的なのではないだろうか。

自動車メーカーいわく、タイヤがパンクするのはせいぜい25万kmに1回らしい。それはそうなのだろうが、もしパンクしたとき、20分かけてスペアタイヤに交換するのと、横浜から代わりのタイヤが届くまで2週間ほど待ち続けるのとでは大違いだ。

パンクの応急修理キットと呼ばれる装備などに騙されてはいけない。朝、家を出る直前にタイヤのトレッド部分に画鋲が刺さっているのを見つけたときなら、このキットも役に立つだろう。しかし、M20で走行中にタイヤがバラバラに砕け散ってしまったときには使いものにならない。

このコスト削減の結果、唯一得られるものはより広い荷室だ。しかし、アコードツアラーにそんなに荷室はいらない。アコードツアラーの荷室はボルボくらい広い。

総合的に見ると、非常に優れた車だ。ただし、細かい部分まで見ると、一点だけ問題がある。車の写真を見てほしい。これまでの人生において、これほどまでに醜いものを見たことがあるだろうか。

再びM1で例えるなら、ジェラール・ドパルデューはベッドフォード辺りで、大英図書館はシェフィールド南部くらいだろう。しかし、アコードツアラーの醜さは、M1などとうに通り過ぎ、北極まで辿り着いてしまう。ランオルフ・ファイアンズの凍傷を負った指と同列にある。

例えば、どうしてボディはフラットなのにウインドウラインは斜めなのだろうか。それに、ボディが巨大なのに履いているタイヤがスマーティーズと同じくらい小さいのはどうしてなのだろうか。スタッグパーティーのほうがよっぽどバランスが良いし、プラハの団地のほうがよっぽど美しい。

サラ・コックスがデザインしたのだろうか。マフィアと銃撃戦をしながら設計されたのだろうか。私の中で、デザインの酷い車ワースト10は145台ほど存在するが、アコードツアラーはその中でも最悪だ。もっとも、同じように最悪な車は他に38台ほどあるのだが。


Honda Accord Tourer Type S