Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2005年に書かれたBMW M5のレビューです。


M5

今日は裸の若い女性と一緒に仕事をした。名前は仮にテリとしておこう。厳密に言えば、テリは裸だったわけではないのだが、着ていた服は極小で、裸になりたいという願望は確実にあったはずだ。

テリはモデルではないらしい。彼女はその点について非常に頑なだった。彼女自身、「私はモデルじゃなくてニュースキャスターなんです」と主張していた。そして彼女は自分の出演している番組を並べ立てたのだが、どれもニューメキシコと同じ大きさの衛星アンテナを置いている家でしか受信できない番組ばかりだった。

テリはこれまでに出会った中でもかなりの厄介者だった。彼女がやることなすことすべて、何の面白みもなかった。彼女の髪を見れば、どこに住んでいて、どんな友人がいるかが分かるし、短縮ダイヤルにはほぼ間違いなくニュース・オブ・ザ・ワールド紙のニュースデスクの番号が登録されているはずだ。

カフェ・ネロで怒った表情をしながらガーディアン紙を読んでいる唇の薄い女性にも同じことが言える。挨拶をする前からすべてが分かってしまう。先週、ドックランズで間抜けドライバーが運転するボクスターが私の前を走っていた。その彼女の髪の分け目を見ただけで、彼女がプラズマテレビを所有していること、その日の夜にドムという男と一緒にスカッシュをする約束をしていること、そしてカーペットを所有していないことが分かった。

こういった人達は自分と異なる意見を持つ人の声に耳を傾けようとはしない。だからこそ私は欧州連合を支持し、ロバを飼っている。なぜなら、この2つはこういった人達が最も嫌うものだからだ。

私がBMWを嫌う理由もここにある。確かにBMWの車は優秀なのだが、まるでクリーム色の染料のようだ。暖かい色味で使いやすく、どんなものにも合うのだが、こんなものを使うのは、「私には想像力が存在しない」と言っているようなものだ。

しかし、昔からM5という車は一味違っていた。特に初代は素晴らしかった。1980年代に登場した初代M5は、見た目こそ私の父親が乗っていた525eという残念な車とまったく同じだったのだが、290PSの直6エンジンを積んでいたおかげで、これまでの4ドアセダンではありえなかった残虐性と威厳を持っていた。

初代M5は、羊の皮をかぶった狼(見た目は普通なのに、中身は強烈な車)の中では最高の車だった。

とはいえ、2代目以降のM5も魅力的な車だったことは確かだ。目立つことなく速く家に帰りたい人にぴったりな、静かで気取らない車だった。これこそが重要な点だ。

M5に乗る人を見かけるたび、私は尊敬の眼差しを向ける。彼らは大金を費やしても、それを周りにひけらかそうとはしない。私はそういう車が好きだし、だからこそ、新型M5に乗れることを楽しみにしていた。

rear

新型M5には最高出力400PSを発揮する5L V10エンジンが搭載される。0-100km/h加速は4秒で、電子式ビル・オディが無ければ328km/hまで加速させることができる。にもかかわらず、フロントにあるちょっとした通気口を除いて、その見た目は普通の5シリーズとまったく変わらない。これこそ、M5のあるべき姿だ。

ところが残念なことに、ハイテク技術を使えば走行性能を向上できると勘違いした誰かのせいで、この車の魅力はいくらか損なわれてしまっている。

晴れ渡る夏空のもと、80kmのドライブに出かける前に、7速SMGとやらのセッティングを11種類の中から選ばなければならなかった。それから、変速の過激度を、「超過激」、「過激」、「少し過激」、「退屈」、「超退屈」の中から選ばなければならなかった。さらに、電子式ディファレンシャルのセッティングも選ばなければならなかった。

それから、自分が今どこにいるのか分からなかったので、ナビの目的地も設定しなければならなかったのだが、設定のためにはダイヤルを押したり引いたり回したりといった操作を何度も繰り返さなければならなかった。

この車でどこかへ出かけようとすると出発する時間がかなり遅れてしまうため、速さを有効活用することができる。

困ったことに、このトランスミッションはどのセッティングを選ぼうとも街中での走行には対応できない。とはいえ、すぐに道が空き、ラジオからはボブ・シーガーが流れてきたので、私はそれに合わせるようにアクセルを踏み込んだ。

それから、ステアリングにあるスイッチを使って音量を上げようとした。しかし、音量は変わらなかった。代わりにラジオ局が変わってしまい、『夜のハリウッド』がRadio 3の巨体オペラ女の声に変わってしまった。なので、画面表示をナビモードからエンターテインメントモードに切り替えてFM局を選択しようとしたのだが、そこには61,000ポンドの車を買えるような人間は決して聴くことのないであろうローカルラジオ局が100万ほど表示されていた。Radio 2とRadio 4のボタンだけあればそれでいいはずだ。

なんとかボブ・シーガーに戻すことができたのだが、残念なことに車はラウンドアバウトに接近し、ドライバーのことを馬鹿だと思っているナビ音声の女が騒ぎはじめた。その女は「直進してください」と言い、その後再び同じ言葉を繰り返し、さらに三度同じことを言った。彼女が黙る頃にはボブに代わってディルドとかいう音痴女の曲が流れはじめた。

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幸いにも、このあたりで自分の居場所が分かったので、ナビの案内を切ろうとしたのだが、それはできなかった。どのボタンを押そうともナビ女は指示をやめず、ついにはナビを斧で切り刻んでやろうとさえ考えてしまった。車を停めて一旦エンジンを切っても彼女は仮死状態になるだけで、再びエンジンを始動させると復活してしまう。

さらに困ったことに、ナビの設定を変えようとしているときに誤って「POWER」と書かれたボタンを押してしまい、乗り心地が壊滅的になってしまった。それから今度は間違えて方向指示器を触ってしまった。これもオフにすることはできなかった。レバーを戻してもウインカーの点滅は止まらず、実際に車が曲がるまで点滅は続く。

この頃になるとすっかり頭にきてしまった。ナビは音声による指示をするばかりでなく、ヘッドアップディスプレイにまで指示を投影した。方向指示器は点滅を続け、Radio 4を選局することはできずじまいだった。そんなとき、私はステアリングにある「M」と書かれたボタンを押してしまった。

このボタンを押すと、ヘッドアップディスプレイにタコメーターが表示されるようになり、シートが私の腰に攻撃を始めた。冗談を言っているわけではない。コーナーを曲がるたび、電子頭脳が「サイドサポートが必要だ」と判断し、シートのクッションが硬くなる。

2分間絶え間なくずっと罵倒の言葉を並べ立てることができるのはオランダ語だけだと言われている。しかし、M5に乗った私は英語でそれをいとも簡単に実現した。私は泣き叫んだ。全部をまともに戻すボタンはどうして付いていないんだ。どうして私がドイツの技術オタクの趣味に付き合わなければならないんだ。

しかも、さらに厄介なことに、私はおよそ1万歳の人間が運転するローバーの後ろについてしまった。ついに堪忍袋の緒が切れ、アクセルを床まで踏み込んでローバーを追い越そうとしたのだが、そのとき、信じられないことが起こった。

Mボタンはシートに攻撃性を与えるだけではなかったようだ。Mボタンを押すとエンジンがあらゆる束縛から解き放たれ、最高出力は400PSではなくなる。507PSまで上昇する。その結果、M5は飛び立つ。

最後の10kmでようやく、この無意味な電子制御と醜いボディの中身が、本当の意味で素晴らしい車であることが分かった。

新型M5の中身は想像を超えていた。M5という名にふさわしい仕上がりだった。これは最大級の賛辞だ。


BMW M5