Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェームズ・メイが2010年に英「Telegraph」に寄稿した、サーブをテーマとしたコラム記事を日本語で紹介します。


SAAB 99

助手席に恋人を乗せた初めての車はサーブだった。ブルーのストライプが入ったホワイトの99で、座席はショウガ色としか言いようがないベロアシートだった。

そのサーブは彼女の父親の愛車で、彼はそのサーブをとても気に入っていた。1970年代当時、イングランド北部の工業地帯ではメルセデスに乗ることすら裏切りと考えられていた。スウェーデン車になど乗ろうものなら、危険な過激派と認定され、要注意人物としてマークされてしまう。

私もサーブ・99が好きだし、記憶が正しければジェフリー・ボイコットも99が好きだったはずだ。見た目も良かったし、室内は風変わりで、イグニッションキーは異様だった。私が免許を取ってすぐの頃、99を借りて時折ドライブに出掛けた。しかし、ある日ラウンドアバウトで事故を起こして(過失はおそらく私にある)彼女に怪我をさせてしまって以降、99に乗ることはできなくなってしまった。

このサーブのことは今でもよく覚えている。サーブにはオースチン・アレグロにはなかった独創性や芸術性があった。新しくできた恋人の父親はボルボ・244が好きだったのだが、この車は彼の私に対する態度とまったく同じ性質を持つ車だった。角が立っていて安全にばかりこだわっていた。ボルボのお父さんはサーブのお父さんと違って厳しかったので、あまりボルボを運転する機会はなかった。そんなこともあり、私はボルボよりサーブのほうが好きだ。

1990年代中頃には自分で900を購入したのだが、この車は実質的にはスウェーデンらしさがわずかに添えられたヴォクスホール(オペル)でしかなかった。キーの位置は依然として異常だったし、おかしなボタンも付いてはいたのだが、かつての反抗的なサーブとは違っていた。その後ゼネラルモーターズに捨てられたサーブは、結局頭のおかしいスパイカーというオランダ企業に拾われることとなった。

サーブの運命は私の生きてきた時代の自動車メーカーを体現していると思う。かつて、個性的な自動車メーカー、サーブは自分の道を進んでいた。ブリティッシュ・レイランドやフォードとは一線を画していた。しかし、やがて法律や研究開発費に縛られるようになり、GMという巨大組織に吸収されてしまった。ロールス・ロイスもベントレーもアストンマーティンもジャガーも同じような運命を歩んでいる。

巨大企業の傘下に入れば小規模な企業であっても守ってもらえる。ただし、不景気になれば小規模な自動車メーカーは見捨てられてしまうかもしれない。

ただ、研究開発費に関する議論など無駄だと思う。確かに車に求められる技術は日々高度になってきているのは事実なのだが、現代の技術を使えば新型車の開発を昔より簡単に行うことができる。製造方法は柔軟になっているし、最近は「パーソナライズ」が流行りなのだから、今こそ小規模自動車メーカーにとって好機なのではないだろうか。

スパイカーは決して規模の大きい企業ではない。従業員数は200人にも満たないし、スパイカーの年間生産台数はトヨタ換算だと8分間の生産台数と変わらない。

ひょっとしたら面白いことになるかもしれない。大規模自動車メーカーから見れば、サーブは左翼的な選択肢に思えるかもしれない。サーブの消費者を風変わりな人だと見なしているだろう。実際、サーブを所有していたかつてのGMは99を所有していたかつての恋人の父親と変わらない。しかし、スパイカーにとって、サーブは巨大自動車メーカーだ。地銀がバークレイズを買収したようなものだ。

ネットで検索して、スパイカー・C8という車のデザインを見てほしい。是非ともこの企業に新時代のサーブを作ってほしいと思わないだろうか。私はそう思う。


Saab's saviour