Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「Top Gear」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、マセラティ・クアトロポルテのレビューです。


Quattroporte

私はよくTwitterで質問を受ける。ある人はBMW X3とアウディ・Q5のどちらを買えばいいか質問してきた。ヒュンダイ・ヴェロスターについてどう思うか訊かれたこともあるし、中古のジャガー・XKを買うべきなのか尋ねられたこともある。しかし、私はどの質問に対する答えも持ち合わせていない。

なぜなら、今はもう1932年ではないからだ。当時はたくさんの自動車メーカーがひしめき合っており、どの自動車メーカーも、新しい車や面白い車を生み出そうと必死だった。バルブを横向きに取り付けたり、車軸をルーフに取り付けようとしたメーカーもあった。上下逆向きのトランスミッションやマーマレードをガソリン代わりに使うというアイディアも生まれた。

だからこそ、当時は自動車評論家という仕事に存在価値があった。彼ら(もしくは彼女ら、なんてわざわざ書く必要はないだろうが…)はパイプを吸いながら開発者の話(プロペラシャフトをステアリングコラムに取り付けた理由について)を聞き、実際にそのアイディアがちゃんと使い物になるのかについて長々と批評を書く。自動車評論の最終目的がオーバーステアになる前にはこんな時代があった。

しかし、今のアウディ・Q5とBMW X3の違いなど微々たるものだ。この2台から好きな車を選ぶのは、2匹の小魚から好きなほうを選ぶようなものだ。あるいは、牛乳瓶を2つ並べられて、どちらが好きか選ぶようなものだ。右耳と左耳、どちらが好きか選ぶようなものだ。

2台のうちどちらが良いか選ぶ方法は、あるいはヴェロスターが良い車か判断する方法は、中古のジャガーを買うべきか判断する方法は、ひとつしかない。その車のステアリングを握っている自分の姿を想像して、似合っているか検討すればいい。

ジャケットだと思えばいい。どれも基本的には同じだ。どれもブランドロゴが付いており、アメリカ製でない限りは天然繊維が使われているはずだ。けれど、ドイツのクイズ番組司会者の着ているジャケットは、ジェレミー・パックスマンには決して似合わない。間抜けに見えてしまう。ジャケットを選ぶ基準は、自分に似合うかどうかのはずだ。今の時代、車も同じように選ぶべきだ。

これがロールス・ロイス ファントムクーペの話に繋がる。私は先週、南フランスでこの車に乗ったのだが、その際、自分に非常に似合う車だと感じた。特に真っ白なインテリアは気に入った。まるでエルトン・ジョンのピアノのような内装だった。それに、ボディカラーの青も気に入った。余裕溢れるパワーも、神の静けさも気に入った。最高の車だと思った。

しかしその後、リチャード・ハモンドに運転席を譲った。彼は控え目に言って平均よりも若干身長が低い人間だ。こんなことを書くのは忍びないのだが、はっきり言って、運転席に座る彼の姿は馬鹿みたいだった。輸送機ハーキュリーズを操縦するネズミを想像してみてほしい。それくらい異常だった。

では、ロールスは良い車なのだろうか、悪い車なのだろうか。真面目な話、その答えは存在しない。それは各人の遺伝子次第だ。逞しく教養のある人にとっては最高の車だ。けれど、軟弱で知能の低い人にとっては良い車とは言えない。

そしてここからが新型マセラティ・クアトロポルテの話だ。昨夜はサントロペのホテルに滞在し、一夜明けて今朝、嬉しいことにドアマンが「どちらの車をお持ちしたらよろしいでしょうか」と言った。私は咳払いをし、マントンまで届くほどの声量で「マセラティを頼むよ」と言った。

そこに特定の職種に就くロシア人女性がたくさんいたことを考慮すれば、もっと声量を抑えるべきだったのだろう。今や90歳未満の人にとってマセラティなんてブランドは何の価値もない。けれど、私にとっては価値がある。『最強のふたり』を見たからだ。これはフランスのスラム街出身の黒人と、彼の雇い主である四肢麻痺の富豪の関係を描いた映画だ。これは名作だ。これを見れば二つの変化が起こるはずだ。一つ目に、人間的に成長するだろう。そして二つ目に、マセラティ・クアトロポルテが欲しくなるだろう。

interior

残念ながらこの映画に登場したモデルはすでに販売終了となっている。既に新型が登場しているのだが、はっきり言ってしまおう。この車はサントロペに住む人には決して似合わない。一日中、道を譲るためにバックし、ドアミラーを凝視し続けなければならないからだ。それほどまでに巨大だ。

問題は他にもある。旧型のデザインはピニンファリーナが手がけている。一方、新型はマセラティの社内でデザインされており、その見た目は…記憶にない。覚えている限り、この車にはこれといった特徴がない。ただの「車」でしかない。

インテリアにも問題がある。室内空間は広い。リアはサッカーのピッチと同じくらいの広さだ。しかし、サッカーのピッチ同様、そこには何の特徴もない。私の知る限り、操作系はクライスラーと共通なのでややチープだし、カーナビは使い物にならない。ナビもクライスラーのものを使っているようだ。おそらく、アメリカ製ゆえに「ヨーロッパ」という概念を認識できていないのだろう。なので、試乗中はずっとニューヨークの沖合を走っていることになっていた。

試乗車には410PSのツインターボV6エンジンが搭載されており、ZF製の8速ATが組み合わせられていた。どちらにもドライバーを興奮させるような要素はなかった。ほかにツインターボV8エンジンも設定される。マセラティいわく、市販の4ドアセダンの中では世界最速だそうだ。それは事実だ。最高速度が16km/h速いベントレーの存在を無視すればの話だが。

正直なことを言おう。新型クアトロポルテは大して優秀な車ではない。ステアリングはあやふやだし、乗り心地は安っぽいし、内外装のデザインは記憶に残らない。メルセデスもアウディもBMWもジャガーもこれよりはましだ。以上。

けれど、これでは終われない。理由は二つある。シフトレバーのそばに「SPORT」と書かれた小さなボタンがある。これを押すと、エンジンが泣き叫び、喚き散らし、激怒し、咆哮する。車が生み出す音としては史上最高に刺激的だ。不吉で、感情的で、そして美しい。

たとえその中身が無個性なクライスラーだったとしても、北イタリアのDNAを感じ取ることができる。モデナの血統を、フェラーリの国の遺伝子を感じ取ることができる。

もちろん、メルセデスAMGやBMW M5も素晴らしい音を発するのは確かなのだが、いずれもクアトロポルテの音には似ても似つかない。それに、マセラティと違って落ち着きがない。ドイツ車は高慢だ。成金の臭いがする。魅力的ではあるのだが、少し低俗だ。

クアトロポルテを買うようなサッカー選手はいない。宝くじの当選者もクアトロポルテは選ばない。あまり目立ちたくない人のための高級車だ。成功者であることをひけらかしたくない人のための車だ。私はそういう人をたくさん知っている。あまりにもお金がありすぎて、サンデー・タイムズの富豪ランキングにすら載らない人たちだ。彼らは誰にも気付かれることなくひっそりと生きている。

フォルクスワーゲン・フェートンが廃止されてしまった今、クアトロポルテこそがその代わりとなる車だろう。それほど優秀な車ではないのだが、元フェートンオーナーにはぴったりの車だ。


Jeremy on: the Maserati Quattroporte