Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
今回紹介するのは、マセラティ・レヴァンテ ディーゼルのレビューです。

気付いているだろうが、たくさんの人が両膝の部分が破けたズボンをわざと穿いている。つまり、サヴィル・ロウに店を構えるギーブス&ホークスのような一流テーラーも、いずれはその流れに乗って穴の開いたスーツを売るようになるのだろうか。
実際のところ、そんなことはありえない。一流のテーラーは数百年と続く伝統を守ってきた。そんな彼らは、一時の金儲けのために流行りに乗るのは賢明でないということを理解している。
正しいやり方が分かっているなら、無意味に迷走するべきではない。メアリー・ベリーがオートバイの番組を始めるはずなどないし、ヴィン・ディーゼルがハムレットを演じることもないだろう。ところが、自動車の世界では、そんな常識が通用しない。
現在、SUVが流行している。そんな中、「そんな流行になど乗らない」と断固たる態度をとるメーカーは存在しない。アストンマーティンも、ポルシェも、ベントレーも、ジャガーも、アルファ ロメオも、ランボルギーニも、気が狂ったかのように流行に乗り遅れまいとしている。
ランボルギーニはSUVブームよりも昔にLM002というとてつもないSUVを作った。カウンタックのV12エンジンを搭載する巨大で陽気なモンスターだ。かつて私もLM002を運転しようとしたことがあるのだが、2速から変速できなくなってしまい、まともに運転することはできなかった。
私はリアシートに座って足でシフトレバーを強く踏み、もう一人の屈強な男はダッシュボードに腰掛けてシフトレバーを力いっぱい引っ張った。すると鈍い音がして、そのまま屈強な男の尻がフロントガラスを突き抜けてしまった。私はその光景を見て、6年間笑いが止まらなかった。
おそらく、LM002はハマーに次ぐ軍用車として真剣に開発されたわけではないのだろう。きっと、イタリアからのカッザーフィーへの贈り物として生まれたのだろう。実際、カッザーフィーはLM002を気に入っていたと言われている。

おそらく、ランボルギーニが今からSUVを作ったとしても、大きな批判を浴びることはないだろう。知っての通り、ランボルギーニのはじまりはトラクターメーカーだし、そもそもランボルギーニの魅力は男らしさだ。ニュルブルクリンクを150km/hで走るための車ではなく、ナイツブリッジを15km/hで走るための車だ。
しかし、アストンマーティンはどうだろうか。ジャガーは、アルファ ロメオは、ベントレーはどうだろうか。こんなメーカーがSUVを売り出すのは、マクドナルドがケルソンとケールのスムージーを売り出すのと同じくらいに異常だ。ましてや、マセラティなどそれ以上におかしい。
マセラティは1950年代にモータースポーツの世界で名を上げ、1960年代には風の名前の付いた素晴らしいエキゾチックカーを続々と生み出し、名声を確たるものとした。つまり、マセラティはランドローバーを飾っただけの車を売っていいメーカーではない。ところが、マセラティはそれを実行に移してしまった。
問題の車の名前はレヴァンテという。「レヴァンテ」なんて、おしゃれを楽しむ男性向けの化粧品のような名前だ。
もしマセラティがSUVの”S”の部分に重点を置いたSUVを作ろうとしていたのなら、まだ良かったのかもしれない。あるいは、ベントレー・ベンテイガが安っぽく見えるほどの上質なSUVを作り上げていたらまだましだっただろう。しかし、レヴァンテの開発時に最も重視されたのはコスト削減だったようだ。
まず時計を見てみよう。私の知る限り、マセラティのモデルすべてにエレガントな時計が付いている。ヒースロー空港のターミナル5でデビッド・ベッカムが宣伝をしていそうな卵形の時計だ。実質経営破綻状態で開発されたビトゥルボにすら、カシオと同じデジタル時計は付かなかった。
ところが、レヴァンテに付く時計はごく平凡なプラスチック製の時計だ。時計すらコストカットの餌食になっているなら、果たしてどれだけ多くの部分が削られてしまっているのだろうか。

エンジンをかけると答えはすぐに分かる。V6のガソリンエンジンも登場する予定だが、現時点において、イギリス仕様車にはディーゼルエンジンしか設定されない。静かで力強い先進的なディーゼルエンジンなら誰も文句は言わないだろう。ところが、レヴァンテにはありあわせのシングルターボエンジンが使われている。これはどんな基準で考えても優秀とは言えないエンジンだ。静かなわけでも、力強いわけでも、経済的なわけでも、環境に優しいわけでもない。車を動かす能があるだけのエンジンだ。5万ポンドもする車のエンジンとしては明らかに不足している。
走り出すと車がヒステリーを起こす。ボディが巨大なため、衝突警報は常に鳴りっぱなしだ。A4をロンドンに向かってゆっくり走っている時ですら、右側の中央分離帯と近すぎると、左側のバスと近すぎると言って、車が悲鳴をあげ続ける。
駐車場では警報装置が暴走しはじめる。車の後ろに700万ポンドの大豪邸が建てられるほどの空きスペースがあるときですら、これ以上後退すると障害物に衝突してしまうと警報しはじめる。
レヴァンテのボディサイズにはもうひとつの問題がある。ボディサイズの大きさが室内空間に全く反映されていない。荷室はそれほど広くないし、リアシートに大人が3人座ると窮屈だし、フロントシートには閉所恐怖症を発症しそうなほどの閉塞感がある。閉所恐怖症のみならず、やかましい警報音のせいで難聴も併発しそうだ。
街を抜け、空いた郊外の道を走らせれば、すべての欠点が消えて、ひたすら運転を楽しむことができる、なんてことを予想する人も多いだろう。
それは違う。幸いなことに、同じくフィアットグループのジープを本革で着飾ったモデルではないのだが、結局のところレヴァンテは、エアサスペンションという竹馬を履かせたギブリでしかない。しかも、そもそもギブリという車自体、昔のクライスラー・300Cをベースとしている。すなわち、およそ30年前のメルセデス・ベンツ Eクラスのタクシーがベースということだ。要するに、レヴァンテは実質、安っぽい時計が付いたタクシーに過ぎない。
インテリアの細かいところを見ると、それがよく分かる。確かに本革はふんだんに用いられているのだが、昔のアメ車と共通の部品も数多く存在する。
マセラティに憧れ、マセラティを所有したい人は、特に私と同年代の人には多いだろう。マセラティを所有しているという事実があるだけで、この上ない満足感を得られるはずだ。けれど、レヴァンテだけは例外だ。見た目も、中身も、走りも、頭の中にあるマセラティのイメージとまったく一致しない。
それどころか、見た目も中身も走りもライバル車より劣っている。簡単に言えば、BMWやメルセデスやアウディやランドローバーのほうがレヴァンテより優秀だ。圧倒的に優秀だ。
おそらく、アルファ ロメオ・ステルヴィオもレヴァンテよりは優秀だろう。ただし、これもフィアットグループのモデルだし、レヴァンテ同様、そもそも存在してはいけない車だ。
The Clarkson Review: Maserati Levante Diesel
今回紹介するのは、マセラティ・レヴァンテ ディーゼルのレビューです。

気付いているだろうが、たくさんの人が両膝の部分が破けたズボンをわざと穿いている。つまり、サヴィル・ロウに店を構えるギーブス&ホークスのような一流テーラーも、いずれはその流れに乗って穴の開いたスーツを売るようになるのだろうか。
実際のところ、そんなことはありえない。一流のテーラーは数百年と続く伝統を守ってきた。そんな彼らは、一時の金儲けのために流行りに乗るのは賢明でないということを理解している。
正しいやり方が分かっているなら、無意味に迷走するべきではない。メアリー・ベリーがオートバイの番組を始めるはずなどないし、ヴィン・ディーゼルがハムレットを演じることもないだろう。ところが、自動車の世界では、そんな常識が通用しない。
現在、SUVが流行している。そんな中、「そんな流行になど乗らない」と断固たる態度をとるメーカーは存在しない。アストンマーティンも、ポルシェも、ベントレーも、ジャガーも、アルファ ロメオも、ランボルギーニも、気が狂ったかのように流行に乗り遅れまいとしている。
ランボルギーニはSUVブームよりも昔にLM002というとてつもないSUVを作った。カウンタックのV12エンジンを搭載する巨大で陽気なモンスターだ。かつて私もLM002を運転しようとしたことがあるのだが、2速から変速できなくなってしまい、まともに運転することはできなかった。
私はリアシートに座って足でシフトレバーを強く踏み、もう一人の屈強な男はダッシュボードに腰掛けてシフトレバーを力いっぱい引っ張った。すると鈍い音がして、そのまま屈強な男の尻がフロントガラスを突き抜けてしまった。私はその光景を見て、6年間笑いが止まらなかった。
おそらく、LM002はハマーに次ぐ軍用車として真剣に開発されたわけではないのだろう。きっと、イタリアからのカッザーフィーへの贈り物として生まれたのだろう。実際、カッザーフィーはLM002を気に入っていたと言われている。

おそらく、ランボルギーニが今からSUVを作ったとしても、大きな批判を浴びることはないだろう。知っての通り、ランボルギーニのはじまりはトラクターメーカーだし、そもそもランボルギーニの魅力は男らしさだ。ニュルブルクリンクを150km/hで走るための車ではなく、ナイツブリッジを15km/hで走るための車だ。
しかし、アストンマーティンはどうだろうか。ジャガーは、アルファ ロメオは、ベントレーはどうだろうか。こんなメーカーがSUVを売り出すのは、マクドナルドがケルソンとケールのスムージーを売り出すのと同じくらいに異常だ。ましてや、マセラティなどそれ以上におかしい。
マセラティは1950年代にモータースポーツの世界で名を上げ、1960年代には風の名前の付いた素晴らしいエキゾチックカーを続々と生み出し、名声を確たるものとした。つまり、マセラティはランドローバーを飾っただけの車を売っていいメーカーではない。ところが、マセラティはそれを実行に移してしまった。
問題の車の名前はレヴァンテという。「レヴァンテ」なんて、おしゃれを楽しむ男性向けの化粧品のような名前だ。
もしマセラティがSUVの”S”の部分に重点を置いたSUVを作ろうとしていたのなら、まだ良かったのかもしれない。あるいは、ベントレー・ベンテイガが安っぽく見えるほどの上質なSUVを作り上げていたらまだましだっただろう。しかし、レヴァンテの開発時に最も重視されたのはコスト削減だったようだ。
まず時計を見てみよう。私の知る限り、マセラティのモデルすべてにエレガントな時計が付いている。ヒースロー空港のターミナル5でデビッド・ベッカムが宣伝をしていそうな卵形の時計だ。実質経営破綻状態で開発されたビトゥルボにすら、カシオと同じデジタル時計は付かなかった。
ところが、レヴァンテに付く時計はごく平凡なプラスチック製の時計だ。時計すらコストカットの餌食になっているなら、果たしてどれだけ多くの部分が削られてしまっているのだろうか。

エンジンをかけると答えはすぐに分かる。V6のガソリンエンジンも登場する予定だが、現時点において、イギリス仕様車にはディーゼルエンジンしか設定されない。静かで力強い先進的なディーゼルエンジンなら誰も文句は言わないだろう。ところが、レヴァンテにはありあわせのシングルターボエンジンが使われている。これはどんな基準で考えても優秀とは言えないエンジンだ。静かなわけでも、力強いわけでも、経済的なわけでも、環境に優しいわけでもない。車を動かす能があるだけのエンジンだ。5万ポンドもする車のエンジンとしては明らかに不足している。
走り出すと車がヒステリーを起こす。ボディが巨大なため、衝突警報は常に鳴りっぱなしだ。A4をロンドンに向かってゆっくり走っている時ですら、右側の中央分離帯と近すぎると、左側のバスと近すぎると言って、車が悲鳴をあげ続ける。
駐車場では警報装置が暴走しはじめる。車の後ろに700万ポンドの大豪邸が建てられるほどの空きスペースがあるときですら、これ以上後退すると障害物に衝突してしまうと警報しはじめる。
レヴァンテのボディサイズにはもうひとつの問題がある。ボディサイズの大きさが室内空間に全く反映されていない。荷室はそれほど広くないし、リアシートに大人が3人座ると窮屈だし、フロントシートには閉所恐怖症を発症しそうなほどの閉塞感がある。閉所恐怖症のみならず、やかましい警報音のせいで難聴も併発しそうだ。
街を抜け、空いた郊外の道を走らせれば、すべての欠点が消えて、ひたすら運転を楽しむことができる、なんてことを予想する人も多いだろう。
それは違う。幸いなことに、同じくフィアットグループのジープを本革で着飾ったモデルではないのだが、結局のところレヴァンテは、エアサスペンションという竹馬を履かせたギブリでしかない。しかも、そもそもギブリという車自体、昔のクライスラー・300Cをベースとしている。すなわち、およそ30年前のメルセデス・ベンツ Eクラスのタクシーがベースということだ。要するに、レヴァンテは実質、安っぽい時計が付いたタクシーに過ぎない。
インテリアの細かいところを見ると、それがよく分かる。確かに本革はふんだんに用いられているのだが、昔のアメ車と共通の部品も数多く存在する。
マセラティに憧れ、マセラティを所有したい人は、特に私と同年代の人には多いだろう。マセラティを所有しているという事実があるだけで、この上ない満足感を得られるはずだ。けれど、レヴァンテだけは例外だ。見た目も、中身も、走りも、頭の中にあるマセラティのイメージとまったく一致しない。
それどころか、見た目も中身も走りもライバル車より劣っている。簡単に言えば、BMWやメルセデスやアウディやランドローバーのほうがレヴァンテより優秀だ。圧倒的に優秀だ。
おそらく、アルファ ロメオ・ステルヴィオもレヴァンテよりは優秀だろう。ただし、これもフィアットグループのモデルだし、レヴァンテ同様、そもそも存在してはいけない車だ。
The Clarkson Review: Maserati Levante Diesel