Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
今回紹介するのは、2004年に書かれたフォード・モンデオST TDCi のレビューです。

マイケル・ペイリンは数週間前にチベットのヤク飼いのテントでチーズを作ったそうだ。彼は棒状の道具を使ってかき混ぜる作業を延々と行い、こう言った。
「ここではのんびりと時間が過ぎていきます。」
彼の言う通りだ。普通なら、チーズが欲しいときにヤクの乳など搾らない。私なら、スーパーチャージャー付きのメルセデスに乗り込んでスーパーに向かう。そうすれば、息子のプレイステーションでスターウォーズのゲームをする時間ができる。
ペイリンはその後、ヤク飼いの友人(英語話者)に対し、チベットが中国に支配されてチベットの文化や歴史が失われてしまうかもしれないことについてどう思うか尋ねた。返答は意外にもそっけないものだった。子世代がチベット民族になろうと中国人になろうと、まともな教育を受けて英語を学び、北京の、あるいはオックスフォードの大学に進学できればそれでいいそうだ。
私が言いたいことはここにまとまっている。現実のチベットは本やテレビの情報とは違う。別にチベット民族は貧しい暮らしに誇りを持っているわけではない。擦り切れた服に魅力などない。チーズ作りなど退屈でしかない。できることなら、ヤク飼いだってプレイステーションでイウォークを撃って遊びたいはずだ。
レイ・ミアーズこそ最悪の戦犯だ。彼はBBCのサバイバル専門家で、先住民族から学べるものがたくさんあるなどと宣っている。そんなはずはない。ニューロフェンというものがちゃんとあるのだから、わざわざ頭痛を治すために樹皮に手を擦り付ける必要などない。
中央アフリカやアラスカなどの僻地に住んでいる奥地民族から我々が学ぶべきことよりも、奥地民族が我々から学ぶべきことのほうが圧倒的に多いはずだ。彼らが火を熾すためにカモメのくちばしを擦り合わせているのは、彼らがマッチを持っていないからだ。彼らが土を焼いて食べているのは、そこに宅配ピザがないからだ。暇さえあればリズムもへったくれもない昔の歌ばかり歌っているのは、そこにロビー・ウィリアムズもギブソン・レスポールもいないからだ。
同じようなことは身近にもある。大豪邸で育ったことを自慢する人など最近はほとんどいない。今や誰もが貧しい家庭で育ったことを声高に主張し、同情を集めようとしている。豪邸に住んでいることを自慢しても何の得にもならない。
例えば、シラ・ブラックは自分の住む豪邸について決して話さない。彼女は貧乏な家で生まれ育ったことばかりを自慢げに話している。しかし、貧乏なほうがいいのであれば、どうして全財産をチベットのヤク飼いに寄付して、ヒッチハイクでリバプールまで帰らないのだろうか。
私は貧しい生活など嫌だ。20世紀後半のイングランドで生まれたことを嬉しく思っている。ヤクの乳からチーズを作ったり、樹皮を薬代わりに使ったり、カリブーの蹄からバターを作ったりするような生活をしなくていいことを嬉しく思っている。好きなものが食べられ、水洗トイレで排泄物を流すことのできる生活ができることを嬉しく思っている。
日がな枝葉ばかり食べている人のほうが我々よりも健康で白い歯をしているのは事実だろう。しかし、私は彼らとは違い、好きなときに冷蔵庫まで行って人生の喜びの一つであるコカ・コーラを飲むことができる。喉が渇いたときに昔ながらのボトルで飲む冷え冷えのコーラは極上の逸品だ。
しかも、コカ・コーラは我々にとって贅沢品でもなんでもない。アフリカでは60km以上歩いてようやく泥を濾した水が飲める。しかも、泥水の周りにヒョウやヌーがいれば何も飲むことができない。そんなヒョウやヌーを、先進国のドキュメンタリー番組はさも素晴らしい動物であるかのように映している。
冷えたコカ・コーラのためなら、チベット民族は飼っているヤクの1頭くらいやすやすと差し出すだろう。チベット民族にとってコカ・コーラは、ヴィンテージのシングルモルトとガルフストリームVとパーシング85を合算したくらいの価値がある。そして、今回の主題となっている車にも同じくらいの価値があるだろう。その車とは、フォード・モンデオだ。
モンデオは私にとっても特別な車だ。モンデオはフォードが偶然生み出した最高のカメラカーだ。
Top Gearの視聴者は、撮影には足場やアームがたくさん付いた精巧なピックアップトラックを使って撮影していると思っているかもしれない。しかし実のところ、我々が使っているのはモンデオだ。モンデオの足回りはしなやかだし、リアハッチを開けた状態で走ると、カメラマンは180度のアングルを撮影することができる。
言うまでもなく、読者の中にカメラカーを求めている人などいないだろう。それ以前に、モンデオを求めている人もいないだろう。今は排泄物を水洗トイレに流すことができる時代だ。誰もがこぞってフォードを買う時代などとうに終わっている。
モンデオはまさしくコカ・コーラのような車だ。喉が渇いたときに飲むコカ・コーラは最高だが、落ち着いて飲むならチューハイやスムージーのほうがいい。同様に、旅行先のレンタカーとして使うならモンデオでも満足できるのだが、自分で所有するならBMWやアウディのほうがいい。
実に惜しい。モンデオは大半のライバルより見た目が良いし、装備も豊富だ。しかも、価格も安いし、室内も広いし、走りも良いし、作りも驚くほどしっかりしている。
外国人が、例えばアフリカ人がイギリスに来たら、どうしてイギリス人はわざわざ高い金を出してモンデオよりも劣る車を買っているのかと不思議に思うだろう。
ただし、22,000ポンドのモンデオST TDCi というモデルに関してはまったくもって良い車などではない。
このモデルはイギリスのみで販売される。見た目はフラッグシップのV6モデルに似せられており、大径ホイールを履き車高も低くなっている。しかし、搭載されるのは始動時にカナルボートのような音を立てるディーゼルエンジンだ。しかも、走行中のエンジン音はまるでバスのようだ。
この2.2Lエンジンはモンデオ史上最もパワフルなディーゼルエンジンだ。0-100km/h加速は8.2秒でこなし、最高速度は222km/hを記録する。しかも、13km/Lから14km/Lほどの燃費性能まで実現している。なかなかの実力だ。しかし、それを理解しつつも、誰もがBMWの中古車を買おうとする。
しかし、BMWを選んだほうが賢明だ。というのも、モンデオで上述したパフォーマンスを実現するためには、6速MTを慎重に操作しなければならない。集中を少しでも欠いてしまえば、パワーバンドから外れてしまい、今にも壊れそうな騒音が響きわたる。
パワーがありすぎるディーゼルエンジンには往々にしてこのような問題がある。カタログスペック上のトルクは凄いのだが、現実的には、そのトルクが急激に塊としてやってくる。中でもモンデオは酷い。
ヘッドランプをハイビームにしたときの光量も酷い。もっとも、最近の調査によると、ハイビームで走る車の割合はわずか2%しかいないのだが、モンデオを選ばない言い訳としては十分だろう。
レイ・ミアーズは我々が甘えた生活をしていると批判している。しかし、私はそれに反論したい。我々がアフリカや南アメリカの暮らしに倣うよりも、先進国の暮らしを世界に広めたほうがずっといい。
Ford Mondeo
今回紹介するのは、2004年に書かれたフォード・モンデオST TDCi のレビューです。

マイケル・ペイリンは数週間前にチベットのヤク飼いのテントでチーズを作ったそうだ。彼は棒状の道具を使ってかき混ぜる作業を延々と行い、こう言った。
「ここではのんびりと時間が過ぎていきます。」
彼の言う通りだ。普通なら、チーズが欲しいときにヤクの乳など搾らない。私なら、スーパーチャージャー付きのメルセデスに乗り込んでスーパーに向かう。そうすれば、息子のプレイステーションでスターウォーズのゲームをする時間ができる。
ペイリンはその後、ヤク飼いの友人(英語話者)に対し、チベットが中国に支配されてチベットの文化や歴史が失われてしまうかもしれないことについてどう思うか尋ねた。返答は意外にもそっけないものだった。子世代がチベット民族になろうと中国人になろうと、まともな教育を受けて英語を学び、北京の、あるいはオックスフォードの大学に進学できればそれでいいそうだ。
私が言いたいことはここにまとまっている。現実のチベットは本やテレビの情報とは違う。別にチベット民族は貧しい暮らしに誇りを持っているわけではない。擦り切れた服に魅力などない。チーズ作りなど退屈でしかない。できることなら、ヤク飼いだってプレイステーションでイウォークを撃って遊びたいはずだ。
レイ・ミアーズこそ最悪の戦犯だ。彼はBBCのサバイバル専門家で、先住民族から学べるものがたくさんあるなどと宣っている。そんなはずはない。ニューロフェンというものがちゃんとあるのだから、わざわざ頭痛を治すために樹皮に手を擦り付ける必要などない。
中央アフリカやアラスカなどの僻地に住んでいる奥地民族から我々が学ぶべきことよりも、奥地民族が我々から学ぶべきことのほうが圧倒的に多いはずだ。彼らが火を熾すためにカモメのくちばしを擦り合わせているのは、彼らがマッチを持っていないからだ。彼らが土を焼いて食べているのは、そこに宅配ピザがないからだ。暇さえあればリズムもへったくれもない昔の歌ばかり歌っているのは、そこにロビー・ウィリアムズもギブソン・レスポールもいないからだ。
同じようなことは身近にもある。大豪邸で育ったことを自慢する人など最近はほとんどいない。今や誰もが貧しい家庭で育ったことを声高に主張し、同情を集めようとしている。豪邸に住んでいることを自慢しても何の得にもならない。
例えば、シラ・ブラックは自分の住む豪邸について決して話さない。彼女は貧乏な家で生まれ育ったことばかりを自慢げに話している。しかし、貧乏なほうがいいのであれば、どうして全財産をチベットのヤク飼いに寄付して、ヒッチハイクでリバプールまで帰らないのだろうか。
私は貧しい生活など嫌だ。20世紀後半のイングランドで生まれたことを嬉しく思っている。ヤクの乳からチーズを作ったり、樹皮を薬代わりに使ったり、カリブーの蹄からバターを作ったりするような生活をしなくていいことを嬉しく思っている。好きなものが食べられ、水洗トイレで排泄物を流すことのできる生活ができることを嬉しく思っている。
日がな枝葉ばかり食べている人のほうが我々よりも健康で白い歯をしているのは事実だろう。しかし、私は彼らとは違い、好きなときに冷蔵庫まで行って人生の喜びの一つであるコカ・コーラを飲むことができる。喉が渇いたときに昔ながらのボトルで飲む冷え冷えのコーラは極上の逸品だ。
しかも、コカ・コーラは我々にとって贅沢品でもなんでもない。アフリカでは60km以上歩いてようやく泥を濾した水が飲める。しかも、泥水の周りにヒョウやヌーがいれば何も飲むことができない。そんなヒョウやヌーを、先進国のドキュメンタリー番組はさも素晴らしい動物であるかのように映している。
冷えたコカ・コーラのためなら、チベット民族は飼っているヤクの1頭くらいやすやすと差し出すだろう。チベット民族にとってコカ・コーラは、ヴィンテージのシングルモルトとガルフストリームVとパーシング85を合算したくらいの価値がある。そして、今回の主題となっている車にも同じくらいの価値があるだろう。その車とは、フォード・モンデオだ。
モンデオは私にとっても特別な車だ。モンデオはフォードが偶然生み出した最高のカメラカーだ。
Top Gearの視聴者は、撮影には足場やアームがたくさん付いた精巧なピックアップトラックを使って撮影していると思っているかもしれない。しかし実のところ、我々が使っているのはモンデオだ。モンデオの足回りはしなやかだし、リアハッチを開けた状態で走ると、カメラマンは180度のアングルを撮影することができる。
言うまでもなく、読者の中にカメラカーを求めている人などいないだろう。それ以前に、モンデオを求めている人もいないだろう。今は排泄物を水洗トイレに流すことができる時代だ。誰もがこぞってフォードを買う時代などとうに終わっている。
モンデオはまさしくコカ・コーラのような車だ。喉が渇いたときに飲むコカ・コーラは最高だが、落ち着いて飲むならチューハイやスムージーのほうがいい。同様に、旅行先のレンタカーとして使うならモンデオでも満足できるのだが、自分で所有するならBMWやアウディのほうがいい。
実に惜しい。モンデオは大半のライバルより見た目が良いし、装備も豊富だ。しかも、価格も安いし、室内も広いし、走りも良いし、作りも驚くほどしっかりしている。
外国人が、例えばアフリカ人がイギリスに来たら、どうしてイギリス人はわざわざ高い金を出してモンデオよりも劣る車を買っているのかと不思議に思うだろう。
ただし、22,000ポンドのモンデオST TDCi というモデルに関してはまったくもって良い車などではない。
このモデルはイギリスのみで販売される。見た目はフラッグシップのV6モデルに似せられており、大径ホイールを履き車高も低くなっている。しかし、搭載されるのは始動時にカナルボートのような音を立てるディーゼルエンジンだ。しかも、走行中のエンジン音はまるでバスのようだ。
この2.2Lエンジンはモンデオ史上最もパワフルなディーゼルエンジンだ。0-100km/h加速は8.2秒でこなし、最高速度は222km/hを記録する。しかも、13km/Lから14km/Lほどの燃費性能まで実現している。なかなかの実力だ。しかし、それを理解しつつも、誰もがBMWの中古車を買おうとする。
しかし、BMWを選んだほうが賢明だ。というのも、モンデオで上述したパフォーマンスを実現するためには、6速MTを慎重に操作しなければならない。集中を少しでも欠いてしまえば、パワーバンドから外れてしまい、今にも壊れそうな騒音が響きわたる。
パワーがありすぎるディーゼルエンジンには往々にしてこのような問題がある。カタログスペック上のトルクは凄いのだが、現実的には、そのトルクが急激に塊としてやってくる。中でもモンデオは酷い。
ヘッドランプをハイビームにしたときの光量も酷い。もっとも、最近の調査によると、ハイビームで走る車の割合はわずか2%しかいないのだが、モンデオを選ばない言い訳としては十分だろう。
レイ・ミアーズは我々が甘えた生活をしていると批判している。しかし、私はそれに反論したい。我々がアフリカや南アメリカの暮らしに倣うよりも、先進国の暮らしを世界に広めたほうがずっといい。
Ford Mondeo