Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2007年に書かれた三菱・アウトランダーのレビューです。


Outlander

イギリス北部に住んでいる人に訊きたいのだが、南部に引っ越せば、今よりも良い仕事を得て、今よりも良い暮らしができると思うだろうか。しかし、そんなことを考えるべきではない。南部は既に満員だ。

昨晩、自宅へ帰るためにサリーのTop Gearテストトラックを出発した。家までは簡単に帰れるはずだ。ギルドフォードまで行ってA3を通り、M25で曲がってからM40でオックスフォードまで行き、A44でチッピングノートンまで行けばいい。いつもそうやって行っている。時間は90分ほどだ。馬力のある車を使えばもっと早い。

残念なことにラジオによると、ヒースロー近くで間抜けが事故を起こしてM25が大渋滞になっているそうだ。しかし私は気にも留めなかった。その日は天気も良く、特段急いでいるわけでもなかったし、その時に私が乗っていたのはランボルギーニ・ガヤルドだった。

ガヤルドのルーフを開けて幹線道路を走るなんて、古き良き時代のようではないか。映画『空軍大戦略』でMGを駆けるクリストファー・プラマーのような気分に浸れることだろう。実に楽しいはずだ。

しかしそれは見当違いだった。そもそもギルドフォードは小さな町なのだが、そこに住む人口は明らかに東京より多い。それに、夕方6時や7時、それどころか夜10時頃まで人が働いているロンドンとは違い、地方であるギルドフォードでは誰もが5時半ちょうどに仕事が終わるため、ラッシュアワーが一挙に押し寄せてしまう。その結果、嵐のような渋滞が巻き起こる。

私がギルドフォードに到着したのが5時31分だった。その時まさに、800万人のITコンサルタントが愛車のBMWに乗り込んで帰路につこうとしていた。A3までの道程は目を瞠るほどに苛立たしくそして不愉快で悲惨だった。A3からM25までの道もこれ以上ないほどに混雑していた。

しかも、A31で曲がりそこねてしまったため、ファーンハムまでB3001を走らなければならなくなった。ここはカーブが多くて景色も良い素晴らしい道だ。このあたりの田舎に住みたいと思う人は多いだろう。しかし、道が詰まっていれば話は別だ。

しかも、天気が良かったこともあり、地元のナチス共がパツパツの下着姿で自転車を乗り回していた。彼らは日頃のITコンサルタントの仕事の鬱憤を晴らすため、ありとあらゆる車の通行を妨げていた。

自転車は幅が狭いのだからどこでも走れると考えるのは結構だ。しかし、自転車乗りは車が横を通り過ぎるたびに車を叩き、追い越しを妨げようとする。そんなことをされると車が自転車の横を通り抜けることができなくなってしまい、結果、自転車乗りの光り輝く尻を眺めながら延々10km/hで走らざるをえなくなってしまう。

ようやくファーンハムに到着したかと思えば、今度は踏切のすぐそばに信号があった。ちょうど私が線路を渡っているとき、その信号が赤に変わった。結果、私は帰宅ラッシュの通勤電車の通り道を塞ぐ形になってしまった。

なので仕方なく、反対車線を逆走して道路沿いのガソリンスタンドに避難することにした。改めて言うが、私が乗っていたのは派手極まりないランボルギーニだ。ギルドフォードからチッピングノートンまで行こうとしたはずが、まったく的外れな場所のガソリンスタンドから動けなくなってしまった。

続いて、ベイジングストークまで向かおうとして世界最大のラウンドアバウトに到着した。しかし、ベイジングストークの方向が書かれた標識など存在せず、書かれていたのは誰も聞いたことがないような町の名前ばかりだった。なので私は太陽を頼りに方角を推測し、奇跡的に正しい道を見つけた。ところが、その道にもろくな標識がなかったため、私は再び迷ってしまった。

私は住宅地に迷い込み、右折待ちをするスクールバスの後ろで動けなくなってしまった。戦時中、まだ一般人が車を所有していなかった時代なら右折くらいできただろう。しかし、現代のイギリス南東部では右折など不可能だ。

イギリス南東部は比較的豊かな土地のはずなのだが、停止してスクールバスを右折させてやるような心の豊かさを持った人間は一人として存在しなかった。ダッシュボードの時計が無駄に費やされていく私の時間を刻んでいくなか、徒歩で移動していれば今頃にはもう家に着いていただろうと思った。

結局、バスは朽ち果てて跡形もなくなった。私はその残骸を踏み越え、工業地帯を通り過ぎてベイジングストークへと続くA287に入った。それから私はA303に入り、続いてA34を北上することにした。

A34は流れの速い片側二車線のバイパス道路で、この道路の開通前には反対運動も起こった。バイパスができれば町中でのガンの発生率も異臭も騒音も子供の事故も減るはずなのだが、バイパスのせいでカタツムリの住処がなくなることが許せないようだ。

とはいえ、常識的な判断がなされてA34は開通に至った。ところが、その道路の存在を示す標識はどこにも掲示されておらず、その結果、私はウィルトシャーに辿り着いてしまった。私はウィルトシャーが好きだ。景色も綺麗で今がちょうど見頃だし、ひょっとしたらピーター・ガブリエルにも会えるかもしれない。

同じようにフランス南部も北カリフォルニアもイタリアの湖も好きだ。私には好きな場所がたくさんある。しかし、そのとき私が行きたかったのは自分の家だ。なので私はA303を降りて来た道を戻ろうとしたのだが、誤ってジャンクションに入ってしまったため、戻ることができなくなってしまった。案内標識などなかった。一切なかった。

果たして、道を走るすべての車のうち、どれくらいの車が見知らぬ街の中で彷徨いながら案内標識を頼りに道を探しているのだろうか。

西ロンドンのオリンピアには右折するとクラパムに行けると書かれた標識が存在する。それは事実なのだが、アールズ・コートもフラムもチェルシーもパトニーもブリクストンもブライトンもフランスもカムチャツカ半島も同じ方向にある。なのにどうしてクラパムだけが書かれているのだろうか。

一方通行というシステムにも問題がある。今回の4時間にわたる大移動を行う前日、私はニュー・フォレストのリンドハーストという町にいた。そこの交差点で直進しようとしたのだが、一方通行になっていたため左折しかできなかった。この土地の一方通行はあまりにも複雑であまりにも長大だったため、つい死にたくなってしまった。

ところで、ストラウドに行ったことがある人はいるだろうか。西側からこの町に入ると、どうやっても駅の駐車場に辿り着いてしまう。それから、ベイジングストークに行くと幹線道路を走っていたはずがなぜか立体駐車場に入ってしまい、そこから脱出するために駐車料金を支払う羽目になる。とんでもない話だ。

にもかかわらず、馬鹿な政府はイギリス南東にさらに住宅地を増やし、アルバニアやハダーズフィールドから人を移住させようとしている。イギリス南東部に移り住む人は、そこで豊かな暮らしが待っていると考えている。しかしそれは幻想だ。金属とコンクリートと不快感の集合体でしかない。もうずっと前から人が溢れており、そこにさらに人が流入してしまったため、今では何も機能しなくなっている。

それでも、わずかながらの平穏が残されている。運転を楽しめる道路もある。しかし、その道路が空いているのは、その道路が何の役にも立たないからだ。

スプロール現象が進む郊外に住むのであれば、優れた車を持つ意味などない。ニジェールでゴードン・ラムゼイのレシピ本を持つようなものだ。ニジェールではレシピに書かれている食材など手に入らないし、イギリス南部には車の実力を発揮できるような道など存在しない。

必要なのは、信頼性が高く実用的で、かつ決して飛ばしたくならないほどに退屈な車だ。この条件にぴったりはまる車こそ、三菱・アウトランダーだ。アウトランダーについてこれ以上言うことはない。


Mitsubishi Outlander Elegance