Amazonプライム・ビデオで配信中の自動車番組「The Grand Tour」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
今回紹介するのは、2014年に書かれた、ジェンセン・インターセプターR スーパーチャージドのレビューです。

映画『ライフ・オブ・パイ』を見返していて、ふと思ったことがある。これから映画はどのように進化していくのだろうか。作中に出てきたCG合成されたトラはほとんど本物にしか見えなかった。これ以上、どう進化しろというのだろうか。これ以上に現実的に見せるためには、トラを映画館に本当に出現させ、観客を襲うくらいのことをする必要があるだろう。
もう一つ思ったことがある。いつの間にCG技術がここまで発達したのだろうか。映画『The Way to the Stars』での爆発描写は白黒で非常に違和感のあるものだった。『The Way to the Stars』が公開されてからはまだせいぜい5分くらいしか経っていないはずだ。
俳優の言葉のアクセントについても同じようなことが言える。今でも当時と変わらぬアクセントで話しているのは女王とA.A.ギルくらいしかいない。今の人はテムズ川河口とカリフォルニアを混ぜ、そこに西インドが少し混じったようなアクセントで喋っている。
何事であろうと、年を経るにつれて、ゆっくりと、それでいて確実に変化していく。我々は気付かぬ間にかつてよりもずっと遠くに来てしまっている。
車だって同じだ。1960年代に親が運転していたフォード・コーティナは、現在我々が子供を乗せているフォード・モンデオとさして変わらないように思うだろう。しかし実際は、黒電話と iPhone 6 くらい違う。当時のコーティナを木にぶつけてみれば違いはすぐに分かるだろう。
大きく変化したのは安全性だけではない。最大の躍進は静粛性だと思う。1960年代の車はエンジン音がやかましく、風切り音もそれに負けず劣らず酷かった。しかし、今やレンジローバーすらフクロウと同じくらいに見事に風を切って走る。
ステアリングも改善しているし、燃費だって良くなっている。1960年代の車は燃費も酷かったし、排気ガスはおぞましいほどに汚かった。排気ガスには大量の一酸化炭素や鉛が含まれ、貧困や脳障害や腸チフスを引き起こし、大量のクマを殺した。しかも、車を止めることすらままならない。当時のブレーキはまともに効かなかった。
1960年代の車には装備が全くなかった。オースチン・1100はヒーターすらもオプションだった。しかし今や、エアコンだけでなくナビやパワーウインドウやパワーステアリングすら付いていて当たり前の時代となった。
しかし一つだけ、自動車のデザインに関しては当時から後退している。はっきり言ってしまえば、最近の車の見た目は昔ほど良くはない。
最も美しいフェラーリは1960年代に生まれた。最高のランボルギーニは1970年に作られたカウンタックだ。マセラティはメラクの時代が一番輝いていた。食物連鎖のさらに下を見ても同じことが言える。今のフォードにエスコート メキシコほど優秀なデザインの車はないし、フォルクスワーゲン・ゴルフは初代が一番良かったし、今のメルセデスにはきらめきがないし、シトロエンは何もかもを見失ってしまった。
キアのデザインは昔より良くなっているのだが、それは単にかつて作っていたモデルが車よりも自転車に近いデザインだったからだ。
結論はシンプルだ。本当に美しい車が欲しいなら、まともに動かない、まともに曲がらない、まともに止まらない車を買えばいい。あるいは、昔の車のボディに今の車のメカニズムを組み合わせてみたらどうだろうか。

しかし、これを実行に移した場合、存在意義不明な省庁の役人はこれが「新型車」であると主張するため、安全性を実証するために衝突試験を行わなければならなくなる。そうなればもう一台別の車を用意する必要がでてくる。
昔のデザインを維持したまま、車の性能を向上しつつ、官僚にも文句を言わせない車。それこそが今回の主題となっている車だ。
以前にもジェンセン・インターセプターのレビューは書いたことがある。エンジンやトランスミッションは今のシボレー・コルベットと共通で、ブレーキやリアサスペンションも現代のものが使われている。私はこの車を大いに気に入った。ただし、法の目をかいくぐるためにステアリングやワイパーは1960年代当時のままとなっていた。
そして今回、私は最新モデルに試乗した。価格は18万ポンドとかなり高い。製造はオックスフォードシャーにあるジェンセン・インターナショナル・オートモーティブ(私の友人が経済的支援を行っている)という会社が行っている。
トランスミッションおよびスーパーチャージャー付きエンジンはキャデラック・CTS-Vと共通で、独立懸架リアサスペンションおよびブレーキはAPレーシング製、アジャスタブルショックアブソーバーおよびステアリングはBMW製のまともなものが付いている。また、前回私が酷評したワイパーはちゃんと水を拭き取れるものに変わっていたのだが、しばらく使っていると壊れてしまった。
11月の空いた道路を走るのはどんな車であろうと楽しいはずだ。本来なら出来の悪い車すら良い車だと錯覚してしまう。しかしあるとき霧雨が降ってきた。雨自体は気にもならないほどの小雨だったのだが、ワイパーの調子を見るために5分ほど車外に出ていると、服は水浸しになり、悪戦苦闘しているうちに膝まで泥だらけになってしまった。
それでも、インターセプターはとてつもなく楽しい車だった。圧倒的なパワーが即時的に発揮されるのだが、パワーに圧倒されることはない。酷い天気の中でもリチャード・ハモンドが運転するポルシェ・911 GT3に楽々とついていくことができた。
欠点は何だろうか。風切り音はやかましい。しかしこれは水が車内に入ってくるのを防ぐために付いている雨樋のせいだ。それくらいの代償はしかたないだろう。ほかには、中波ラジオを聴いていると、ラジオ・キャロラインでエマーソン・レイク・アンド・パーマーが流れていた時代を思い出す。
しかし、ラジオなど聴く必要はない。赤信号で停まるたび、窓がノックされ、車の美しさを称賛される。そう。この車は美しい。見た目も中身も美しく、夜寝る前に「俺の愛車はインターセプターなんだ」と考えることで自分を鼓舞することができる。
先日、名作映画『ズール戦争』のデジタルリマスター版が公開された。ジェンセンはまさにそれだ。現代に合わせて作り直された傑作だ。過去の名作を作り直すのも、一つの進化の形と言えるのかもしれない。
The Clarkson review: Jensen Interceptor R supercharged (2014)
今回紹介するのは、2014年に書かれた、ジェンセン・インターセプターR スーパーチャージドのレビューです。

映画『ライフ・オブ・パイ』を見返していて、ふと思ったことがある。これから映画はどのように進化していくのだろうか。作中に出てきたCG合成されたトラはほとんど本物にしか見えなかった。これ以上、どう進化しろというのだろうか。これ以上に現実的に見せるためには、トラを映画館に本当に出現させ、観客を襲うくらいのことをする必要があるだろう。
もう一つ思ったことがある。いつの間にCG技術がここまで発達したのだろうか。映画『The Way to the Stars』での爆発描写は白黒で非常に違和感のあるものだった。『The Way to the Stars』が公開されてからはまだせいぜい5分くらいしか経っていないはずだ。
俳優の言葉のアクセントについても同じようなことが言える。今でも当時と変わらぬアクセントで話しているのは女王とA.A.ギルくらいしかいない。今の人はテムズ川河口とカリフォルニアを混ぜ、そこに西インドが少し混じったようなアクセントで喋っている。
何事であろうと、年を経るにつれて、ゆっくりと、それでいて確実に変化していく。我々は気付かぬ間にかつてよりもずっと遠くに来てしまっている。
車だって同じだ。1960年代に親が運転していたフォード・コーティナは、現在我々が子供を乗せているフォード・モンデオとさして変わらないように思うだろう。しかし実際は、黒電話と iPhone 6 くらい違う。当時のコーティナを木にぶつけてみれば違いはすぐに分かるだろう。
大きく変化したのは安全性だけではない。最大の躍進は静粛性だと思う。1960年代の車はエンジン音がやかましく、風切り音もそれに負けず劣らず酷かった。しかし、今やレンジローバーすらフクロウと同じくらいに見事に風を切って走る。
ステアリングも改善しているし、燃費だって良くなっている。1960年代の車は燃費も酷かったし、排気ガスはおぞましいほどに汚かった。排気ガスには大量の一酸化炭素や鉛が含まれ、貧困や脳障害や腸チフスを引き起こし、大量のクマを殺した。しかも、車を止めることすらままならない。当時のブレーキはまともに効かなかった。
1960年代の車には装備が全くなかった。オースチン・1100はヒーターすらもオプションだった。しかし今や、エアコンだけでなくナビやパワーウインドウやパワーステアリングすら付いていて当たり前の時代となった。
しかし一つだけ、自動車のデザインに関しては当時から後退している。はっきり言ってしまえば、最近の車の見た目は昔ほど良くはない。
最も美しいフェラーリは1960年代に生まれた。最高のランボルギーニは1970年に作られたカウンタックだ。マセラティはメラクの時代が一番輝いていた。食物連鎖のさらに下を見ても同じことが言える。今のフォードにエスコート メキシコほど優秀なデザインの車はないし、フォルクスワーゲン・ゴルフは初代が一番良かったし、今のメルセデスにはきらめきがないし、シトロエンは何もかもを見失ってしまった。
キアのデザインは昔より良くなっているのだが、それは単にかつて作っていたモデルが車よりも自転車に近いデザインだったからだ。
結論はシンプルだ。本当に美しい車が欲しいなら、まともに動かない、まともに曲がらない、まともに止まらない車を買えばいい。あるいは、昔の車のボディに今の車のメカニズムを組み合わせてみたらどうだろうか。

しかし、これを実行に移した場合、存在意義不明な省庁の役人はこれが「新型車」であると主張するため、安全性を実証するために衝突試験を行わなければならなくなる。そうなればもう一台別の車を用意する必要がでてくる。
昔のデザインを維持したまま、車の性能を向上しつつ、官僚にも文句を言わせない車。それこそが今回の主題となっている車だ。
以前にもジェンセン・インターセプターのレビューは書いたことがある。エンジンやトランスミッションは今のシボレー・コルベットと共通で、ブレーキやリアサスペンションも現代のものが使われている。私はこの車を大いに気に入った。ただし、法の目をかいくぐるためにステアリングやワイパーは1960年代当時のままとなっていた。
そして今回、私は最新モデルに試乗した。価格は18万ポンドとかなり高い。製造はオックスフォードシャーにあるジェンセン・インターナショナル・オートモーティブ(私の友人が経済的支援を行っている)という会社が行っている。
トランスミッションおよびスーパーチャージャー付きエンジンはキャデラック・CTS-Vと共通で、独立懸架リアサスペンションおよびブレーキはAPレーシング製、アジャスタブルショックアブソーバーおよびステアリングはBMW製のまともなものが付いている。また、前回私が酷評したワイパーはちゃんと水を拭き取れるものに変わっていたのだが、しばらく使っていると壊れてしまった。
11月の空いた道路を走るのはどんな車であろうと楽しいはずだ。本来なら出来の悪い車すら良い車だと錯覚してしまう。しかしあるとき霧雨が降ってきた。雨自体は気にもならないほどの小雨だったのだが、ワイパーの調子を見るために5分ほど車外に出ていると、服は水浸しになり、悪戦苦闘しているうちに膝まで泥だらけになってしまった。
それでも、インターセプターはとてつもなく楽しい車だった。圧倒的なパワーが即時的に発揮されるのだが、パワーに圧倒されることはない。酷い天気の中でもリチャード・ハモンドが運転するポルシェ・911 GT3に楽々とついていくことができた。
欠点は何だろうか。風切り音はやかましい。しかしこれは水が車内に入ってくるのを防ぐために付いている雨樋のせいだ。それくらいの代償はしかたないだろう。ほかには、中波ラジオを聴いていると、ラジオ・キャロラインでエマーソン・レイク・アンド・パーマーが流れていた時代を思い出す。
しかし、ラジオなど聴く必要はない。赤信号で停まるたび、窓がノックされ、車の美しさを称賛される。そう。この車は美しい。見た目も中身も美しく、夜寝る前に「俺の愛車はインターセプターなんだ」と考えることで自分を鼓舞することができる。
先日、名作映画『ズール戦争』のデジタルリマスター版が公開された。ジェンセンはまさにそれだ。現代に合わせて作り直された傑作だ。過去の名作を作り直すのも、一つの進化の形と言えるのかもしれない。
The Clarkson review: Jensen Interceptor R supercharged (2014)