イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2003年に書かれた TVR T350C のレビューです。


T350C

俳優がトガを着るということは、狂人の演技をすることとほぼ同義だ。ローマ時代は言語障害が当たり前だった。歩行障害も当たり前だった。

内反足を持つデレク・ジャコビはどもるような喋り方だったし、映画『グラディエーター』でラッセル・クロウを殺したおかしな口の男のことも忘れがたい。

銀幕の中で描かれるローマ時代のあらゆる風景を信じるなら、当時、人々がまともにトイレを使っていたことすら疑いたくなってしまう。当時、水洗トイレや下水道が整備されていたなどとは到底思えない。

しかし、大英帝国であろうとBBC帝国であろうと、同じような問題点が潜んでいる。欲望により成長し、暴力によって統治された世界は、やがて取るに足らない人間が台無しにしてしまう。

先週の日曜日にITVで放映された映画『ブーディカ』に描かれていたローマ帝国も、おそらくはローマ帝国の暗黒面なのだろう。そこで描かれていたネロは、別にパンダの耳を齧ったり、奴隷の首を使って拭き掃除をしたりしていたわけではないのだが、雰囲気からそんなことをやっていそうということは感じ取れた。

かつてのイングランドにおいて、ブーディカは自由と民主主義を訴え続けた。彼女はモンサントによってポピーを奪われたアフガニスタンの農民だ。彼女は美しい姿をしたネルソン・マンデラであり、ウィリアム・ウォレスであり、チェ・ゲバラであり、マハトマ・ガンディーだ。

しかし、現実世界において、彼女は上述したような存在にはなれなかった。彼女はただの残酷なイギリス人でしかなかった。ローマ人が平和や浴場、道路を作り出していた頃、我々イギリス人はいまだ剣を汚すことを好んでいた。

ローマ人がイギリスから去ると、イギリス人の生活は元通りになった。サイモン・シャーマは著書『英国史』にこう綴っている。

"戦争はスポーツではない。システムだ。略奪は高貴なる兵士が王への忠誠心を示すためのものだ。兵士たちは武力を行使し、土地を得て、そうすることで腹を満たしていた。そして彼らは名誉を手に入れていた。それがすべてだ。"

これを言い換えれば、イギリス人は争いを好んでいたということだ。それは今でも変わらない。世界中がイラクに頭を悩ませ、絶望している一方で、トニー・ブレアはこう叫んでいる。
私は自国のしたことを誇りに思っている。

rear

フランスは例外かもしれないが、大半の国は自国の国境線を守るため、あるいは自分達の生活を守るために戦っている。しかし、イギリスは他国の国境線や他人の生活を守るために戦っている。ポーランドよ。クウェートよ。韓国よ。安心しろ。俺達が代わりに戦ってやる。

それだけではない。イギリス人は余暇ですら好んで争いを行う。イタリア中で起こるの一年分の乱闘が、イギリスでは一晩のうちにたった一つの繁華街で起こる。

先日、夜間に外出をしたのだが、その際に三度の飯よりも夜の乱闘が好きな男と出会った。他の国の男達が女性に対する口説き文句を考えている間、彼は結局怪我をするだけだと知りつつ、挑発の言葉を考えている。

イタリアで「どうして俺を見つめているんだい?」と言えば、最終的にベッドインへと至る。しかし、イギリスで同じ言葉を言った場合、目的地は救急車へと変わってしまう。

イギリス人はサクソン人やゴート族、ローマ人、ノルマン人、ケルト人、それにヴァイキングから構成されていると考えられている。しかし、実のところ我々は凶悪な犯罪者であり、心のない破壊者だ。我々はローマ人が敗北した後、建造物を破壊し、道路を掘り起こし、400年間にもわたる騒乱を引き起こした。この時代は暗黒時代と呼ばれているが、イギリス人にとっては古き良き時代だ。

今でも変わらない。先日、バーミンガムで撮影を行ったのだが、若者の集団につきまとわれ、テレビカメラを1台強奪された。「そんなものを奪って何をする気だ?」と尋ねたところ、彼らはさも当然のように「川に落としてやるのさ」と答えた。

イギリスでは美や愛に居場所などない。だからこそ、イギリスは世界で最も残忍で野蛮な車を生み出した。それこそがTVRだ。アルファ ロメオは詩的に誘惑する。一方、TVRは暴力的に挑発する。

フォルクスワーゲンは美味しいシェパードパイと暖炉を用意して客人をもてなす。一方、TVRは家に押し入ってきて暴力を振るう。TVRはバーに置かれている募金箱を強奪し、中身だけ抜き取って箱を投げつけてくる。TVRは、人生を賭け、名誉を賭け、家族を賭け、そしてなにより酒を賭けて戦う。

TVRには塗料など塗られていない。入れ墨が入っている。ボディはスチールでもアルミニウムでもなく、土壁でできている。青銅器時代のエンジンを載せた鉄器時代の車だ。この車は美貌を失い、さらなる怒りの感情を手に入れたブーディカだ。

interior

これまでのTVRの車名を振り返ってみよう。グリフィス、キミーラ、サーブラウ。いずれも神話に出てくる恐ろしい生物だ。ヤギの頭と鋭い牙を持っている。

なので、新モデルのT350Cという名前には驚かされた。どうしてこんな名前なのだろうか。まるで電動歯ブラシみたいな名前だ。電動歯ブラシも頭はぐるぐると回るかもしれないが、恐ろしさではシュモクザメにも劣る。つまり、新しいTVRは凶暴性を失ってしまったということなのだろうか。

心配事はほかにもある。T350Cには荷室があるうえ、ハッチバックだ。本来、TVRに荷室やハッチバックという概念は無縁なはずだ。サクソンの暴君がカーディガンを着るような話だ。

ハンドリングにも問題がある。これまでのTVRでコーナーにオーバースピードで進入すると、唐突に煙と憎しみに溢れた危険な世界へと連れて行かれてしまった。TVRで速度を誤るのは、グラスゴーの住人の酒をこぼすのと同じくらいに危険だった。ところが、電動歯ブラシはゴルフやフォーカスと同じようにアンダーステアを呈するだけだ。

それだけではない。レースの血統を持つ直列6気筒エンジンが搭載されているのだが、その音はV8ほどにおどろおどろしくはない。それに、これは私の知る中で最初の、標準以下のインテリアを持つTVRだ。最近は奇抜なデザインにも慣れたと思っていたのだが、この車のインテリアは意味不明だ。

それでも、これは間違いなく史上最高のTVRだ。ロールケージのおかげで剛性感や安心感があり、車全体が調和して動いているように感じる。それに、ブレーキ性能は驚異的だ。

パフォーマンスも驚異的だ。排気量はわずか3.6Lで、過給器が付いているわけでもないのだが、パワーウェイトレシオはランボルギーニ・ムルシエラゴより優れている。この車はとてつもなく速い。目を見張るほどに速い。それに、ミスするたびに頭を噛み千切ろうとするわけでもないので、パフォーマンスを有効に活用することができる。

最後に値段の話題に移ろう。これと同等のパフォーマンスを求めるなら、他の選択肢は72,000ポンドのポルシェ・911 GT3か163,000ポンドのムルシエラゴくらいしかない。ノーブルすら52,000ポンド以上する。一方のTVRはわずか38,500ポンドだ。さらに2,000ポンド払えばルーフを取り外すこともできる。

要するにこの車は、凶暴さと実用的な荷室、そしてソフトな乗り心地を兼ね備えている。ローマ人とイギリス人の性質を兼ね備えている。粗暴に見えるのだが、繊細さも有している。


TVR T350C