イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
今回紹介するのは、2005年に書かれたルノー・ヴェルサティスのレビューです。

先日の夜、トーリー党所属の地元地方議員と共に夕食をとったのだが、彼はこんなことを話していた。
「トニー・ブレアはわずか一週間のうちに喫煙、体罰、狩りをすべて禁止してしまいました。そう考えると、これから5年間のうちに彼はいったいどれほどのことをしでかすのでしょうか。」
翌日、地方部の緑化のために4WD車を禁止する法案が提出されたというニュースを聞きながら、オックスフォードの禁煙レストランに向かって30km/h制限の”住宅ゾーン”を運転している時、彼の言っていたことについて考えてみた。
ここのところ、非道な環境保護団体は、ランドローバーを乗り回す変人こそが地方部の環境を損ね、田舎にある国の道路を破壊し、小鳥たちの聴覚を奪っている真犯人であると主張している。
一見すればこれは正しい意見のようにも思える。しかし、私の計算では、イギリスの地方部には車の通行が禁じられている道路が13万kmもある。また、馬で走れる馬道は2万9000kmあるのだが、こちらも車の通行は禁じられている。実のところ、車の走行できる田舎道はせいぜい4,000km程度しかない。
要するに、田舎の道路の95%は人が歩くことしか許されておらず、それに当然、歩行者ならば国土のどこを歩き回ろうが自由だ。にもかかわらず、歩行者は今以上に車を排除することを望んでいる。
当然だが、ハイキングをするような人間は都市部に住んでいる共産主義者であり、彼らにとっては労働党こそが最も親しみのある政党であり、現労働党政権によって彼らの望みが叶おうとしている。
国はあらゆる規制をどのようにして実行するか検討しているのだが、国は重要なことを一つ見落としているように思う。
4WDに乗って田舎道を走ろうと考えるような人の大半は、映画『脱出』を理想のライフスタイルだと考えるような人殺しだ。彼らは迷彩ズボンを穿き、ナイフを蒐集している。彼らの趣味は、自分がかつて殺した人の頭部のカタログを作ることと、罠を作って他の車をスタックさせ、他人が苦労してそこから脱出しようとする様子を眺めることだ。
これまでにオフロードを走ることを趣味としている人を何人も見てきたが、彼らは基本的に私の首を切断することしか考えていなかった。もし彼らにオフロードを走ることを禁じてしまえば、緑溢れるこの美しい国が血に塗れてしまう恐れがある。ハイカーはV8のエンジン音に苛まれずに済むかもしれないが、結局は殺される別のハイカーの悲鳴に苛まれることになる。ブレアは魔女狩りをしようとして本物の魔女を生み出してしまうのかもしれない。
しかし、こんなことを主張したところで、4WDの禁止を推し進めるブレア政権を止めることなどできない。なので、人殺しやサッカー選手、母親、それに黒人DJは4WDの代わりとなる車を見つける必要が出てくる。

とはいえ、1980年代に人気のあったホットハッチが一時の流行であったのと同じように、今のオフロードカー人気もあくまで一時の流行にすぎない。当然、流行は必ず終わるのだがら、いずれにしても代わりとなる車は見つけなければならない。次にどんな車が流行するのかを予想するのはかなり難しいのだが、ともかく今回はヴェルサティスを見てみることにしよう。
我々が4WDを購入する理由は、我々がかつてホットハッチを購入していた理由と変わらない。我々は潜在的に4ドアセダンを忌避していた。4ドアセダンは退屈な車と見なされてしまう。
4ドアセダンとは平凡な人間の乗り物だ。万人向けの車だ。他に何の選択肢も存在しないときに購入するような車だ。
では、他の選択肢には何があるのだろうか。人生を諦めたことの象徴、ミニバンだろうか。家族持ちにはまったく不向きな2シーターオープンカーだろうか。それとも、ドラマ『ザ・グッド・ライフ』でジェリーが乗っていたようなボルボのステーションワゴンだろうか。
そんなはずはない。結局のところ我々が行き着くのは、巨大でスタイリッシュなヴェルサティスなのではないだろうか。
これは本質的には普通の2WDの5ドア5シーターの高級車であり、BMW 5シリーズやメルセデス・Eクラスの対抗モデルとして設計されている。しかし、ルノーは技術的にもブランド力的にもドイツには敵わないと自覚していたため、独自の道を進むことにした。
その結果生まれたのは、奇妙ながらに魅力的な、他の何にも似ていない車だ。これほどまでにデザインを重視して設計された車は他にない。機能性など無視された、デザインだけの車だ。
私はヴェルサティスを大いに気に入ったのだが、ここで疑問が生じてくる。デザインによって何らかのものが犠牲になっているのだろうか。また、問題があるとすればそれは致命的なものなのだろうか。例えば、最近流行りの栓抜きは見た目こそ最高なのだが、そもそもワインのボトルを開けることには使えない。となると、そんなものを買う意味はどこにもなくなってしまう。
ベルサティスに乗り込むと、まず目に入ってくるのは、一般的なドイツ車とは違って巨大で柔らかいシートだ。親が子を痩せさせようとする国の製品としては意外なのだが、ともかく、親が子を黙らせるためにラードを与えるような国の人間としては非常に嬉しい。
それに、室内空間も広い。普通の車は定員いっぱい乗ると閉塞感を感じるものだが、ヴェルサティスの室内に5人を詰め込んでも、一流ホテルのダンスホールに5人を詰め込んだ時くらいの余裕がある。ヘッドルームやレッグルームにかなり余裕があるのも理由の一つだし、色の選択肢が豊富なのも関係しているだろう。

BMWやメルセデスの場合、色の選択肢は、ブラック、ブラック、ブラック、ダークブラックくらいしかないのだが、私が乗ったヴェルサティスにはクリーム色やベージュがふんだんに使われていた。そのため、この車には、不動産業者が言うところの「明るさ」や「開放感」がある。
細部に至って見事で、まるで木象嵌のごとき繊細さがある。それに、最近のフランス車の例に漏れず、標準装備の内容が目が眩むほど豊富だ。特にナビは凄い。なんといってもまともに使えるのだから。
先週、オックスフォード中心部を目的地に設定してみた。これはフォートノックスの内部を案内させるようなものなのだが、このナビは混乱しなかった。しかも、その日はチッペナムで朝食をとり、ル・カプリスで昼食をとり、お茶をするために自宅にも寄ったのだが、それでもナビは一度として道を間違えなかった。
ただし、車自体はさほど優秀ではなかった。試乗した31,000ポンドの最上級グレードに搭載されていた3.5L V6エンジンは日産・350Z(日本名: フェアレディZ)に搭載されるエンジンと同じだった。これはパフォーマンスも十分だし悪いエンジンではないのだが、前輪駆動車には過剰だった。そのため、加速をしようとするたびにホイールスピンしかねない。
乗り心地の話に移ろう。基本的にはシート同様ソフトで、ドイツ車とは違う個性があっていいのだが、路面が非常に悪くなるとそれに対処できなくなってしまい、車が暴れだしてしまう。これが続くとうんざりしてしまう。
しかし、乗り心地の悪さにうんざりするよりも前に、ドライビングポジションにうんざりしてしまう。シートをちょうどいい位置に持っていくと、ステアリングが腕から遠く離れてしまう。
そうこうしているうちに、車からパーツが取れてしまう。取れるようなパーツは小さいものだし、別に重要なパーツというわけでもないのだが、ルノーの欠点として否が応でも認識させられてしまう。
要するにこれは、高級という概念をまったく理解していない企業が製造した巨大な高級車だ。
結局のところ、ヴェルサティスは魅力的ではあるのだが、4WD車の代わりとしてはあまり期待できない。しかし、失望することはない。いずれ、もっと技術力に優れたメーカーがこのトレンドに倣い、スタイリッシュなだけでなく、中身もきっちりとした車を出してくれることだろう。
BMWの技術とコンランのデザインが交わるとき、次の名作が生まれることだろう。
Renault Vel Satis
今回紹介するのは、2005年に書かれたルノー・ヴェルサティスのレビューです。

先日の夜、トーリー党所属の地元地方議員と共に夕食をとったのだが、彼はこんなことを話していた。
「トニー・ブレアはわずか一週間のうちに喫煙、体罰、狩りをすべて禁止してしまいました。そう考えると、これから5年間のうちに彼はいったいどれほどのことをしでかすのでしょうか。」
翌日、地方部の緑化のために4WD車を禁止する法案が提出されたというニュースを聞きながら、オックスフォードの禁煙レストランに向かって30km/h制限の”住宅ゾーン”を運転している時、彼の言っていたことについて考えてみた。
ここのところ、非道な環境保護団体は、ランドローバーを乗り回す変人こそが地方部の環境を損ね、田舎にある国の道路を破壊し、小鳥たちの聴覚を奪っている真犯人であると主張している。
一見すればこれは正しい意見のようにも思える。しかし、私の計算では、イギリスの地方部には車の通行が禁じられている道路が13万kmもある。また、馬で走れる馬道は2万9000kmあるのだが、こちらも車の通行は禁じられている。実のところ、車の走行できる田舎道はせいぜい4,000km程度しかない。
要するに、田舎の道路の95%は人が歩くことしか許されておらず、それに当然、歩行者ならば国土のどこを歩き回ろうが自由だ。にもかかわらず、歩行者は今以上に車を排除することを望んでいる。
当然だが、ハイキングをするような人間は都市部に住んでいる共産主義者であり、彼らにとっては労働党こそが最も親しみのある政党であり、現労働党政権によって彼らの望みが叶おうとしている。
国はあらゆる規制をどのようにして実行するか検討しているのだが、国は重要なことを一つ見落としているように思う。
4WDに乗って田舎道を走ろうと考えるような人の大半は、映画『脱出』を理想のライフスタイルだと考えるような人殺しだ。彼らは迷彩ズボンを穿き、ナイフを蒐集している。彼らの趣味は、自分がかつて殺した人の頭部のカタログを作ることと、罠を作って他の車をスタックさせ、他人が苦労してそこから脱出しようとする様子を眺めることだ。
これまでにオフロードを走ることを趣味としている人を何人も見てきたが、彼らは基本的に私の首を切断することしか考えていなかった。もし彼らにオフロードを走ることを禁じてしまえば、緑溢れるこの美しい国が血に塗れてしまう恐れがある。ハイカーはV8のエンジン音に苛まれずに済むかもしれないが、結局は殺される別のハイカーの悲鳴に苛まれることになる。ブレアは魔女狩りをしようとして本物の魔女を生み出してしまうのかもしれない。
しかし、こんなことを主張したところで、4WDの禁止を推し進めるブレア政権を止めることなどできない。なので、人殺しやサッカー選手、母親、それに黒人DJは4WDの代わりとなる車を見つける必要が出てくる。

とはいえ、1980年代に人気のあったホットハッチが一時の流行であったのと同じように、今のオフロードカー人気もあくまで一時の流行にすぎない。当然、流行は必ず終わるのだがら、いずれにしても代わりとなる車は見つけなければならない。次にどんな車が流行するのかを予想するのはかなり難しいのだが、ともかく今回はヴェルサティスを見てみることにしよう。
我々が4WDを購入する理由は、我々がかつてホットハッチを購入していた理由と変わらない。我々は潜在的に4ドアセダンを忌避していた。4ドアセダンは退屈な車と見なされてしまう。
4ドアセダンとは平凡な人間の乗り物だ。万人向けの車だ。他に何の選択肢も存在しないときに購入するような車だ。
では、他の選択肢には何があるのだろうか。人生を諦めたことの象徴、ミニバンだろうか。家族持ちにはまったく不向きな2シーターオープンカーだろうか。それとも、ドラマ『ザ・グッド・ライフ』でジェリーが乗っていたようなボルボのステーションワゴンだろうか。
そんなはずはない。結局のところ我々が行き着くのは、巨大でスタイリッシュなヴェルサティスなのではないだろうか。
これは本質的には普通の2WDの5ドア5シーターの高級車であり、BMW 5シリーズやメルセデス・Eクラスの対抗モデルとして設計されている。しかし、ルノーは技術的にもブランド力的にもドイツには敵わないと自覚していたため、独自の道を進むことにした。
その結果生まれたのは、奇妙ながらに魅力的な、他の何にも似ていない車だ。これほどまでにデザインを重視して設計された車は他にない。機能性など無視された、デザインだけの車だ。
私はヴェルサティスを大いに気に入ったのだが、ここで疑問が生じてくる。デザインによって何らかのものが犠牲になっているのだろうか。また、問題があるとすればそれは致命的なものなのだろうか。例えば、最近流行りの栓抜きは見た目こそ最高なのだが、そもそもワインのボトルを開けることには使えない。となると、そんなものを買う意味はどこにもなくなってしまう。
ベルサティスに乗り込むと、まず目に入ってくるのは、一般的なドイツ車とは違って巨大で柔らかいシートだ。親が子を痩せさせようとする国の製品としては意外なのだが、ともかく、親が子を黙らせるためにラードを与えるような国の人間としては非常に嬉しい。
それに、室内空間も広い。普通の車は定員いっぱい乗ると閉塞感を感じるものだが、ヴェルサティスの室内に5人を詰め込んでも、一流ホテルのダンスホールに5人を詰め込んだ時くらいの余裕がある。ヘッドルームやレッグルームにかなり余裕があるのも理由の一つだし、色の選択肢が豊富なのも関係しているだろう。

BMWやメルセデスの場合、色の選択肢は、ブラック、ブラック、ブラック、ダークブラックくらいしかないのだが、私が乗ったヴェルサティスにはクリーム色やベージュがふんだんに使われていた。そのため、この車には、不動産業者が言うところの「明るさ」や「開放感」がある。
細部に至って見事で、まるで木象嵌のごとき繊細さがある。それに、最近のフランス車の例に漏れず、標準装備の内容が目が眩むほど豊富だ。特にナビは凄い。なんといってもまともに使えるのだから。
先週、オックスフォード中心部を目的地に設定してみた。これはフォートノックスの内部を案内させるようなものなのだが、このナビは混乱しなかった。しかも、その日はチッペナムで朝食をとり、ル・カプリスで昼食をとり、お茶をするために自宅にも寄ったのだが、それでもナビは一度として道を間違えなかった。
ただし、車自体はさほど優秀ではなかった。試乗した31,000ポンドの最上級グレードに搭載されていた3.5L V6エンジンは日産・350Z(日本名: フェアレディZ)に搭載されるエンジンと同じだった。これはパフォーマンスも十分だし悪いエンジンではないのだが、前輪駆動車には過剰だった。そのため、加速をしようとするたびにホイールスピンしかねない。
乗り心地の話に移ろう。基本的にはシート同様ソフトで、ドイツ車とは違う個性があっていいのだが、路面が非常に悪くなるとそれに対処できなくなってしまい、車が暴れだしてしまう。これが続くとうんざりしてしまう。
しかし、乗り心地の悪さにうんざりするよりも前に、ドライビングポジションにうんざりしてしまう。シートをちょうどいい位置に持っていくと、ステアリングが腕から遠く離れてしまう。
そうこうしているうちに、車からパーツが取れてしまう。取れるようなパーツは小さいものだし、別に重要なパーツというわけでもないのだが、ルノーの欠点として否が応でも認識させられてしまう。
要するにこれは、高級という概念をまったく理解していない企業が製造した巨大な高級車だ。
結局のところ、ヴェルサティスは魅力的ではあるのだが、4WD車の代わりとしてはあまり期待できない。しかし、失望することはない。いずれ、もっと技術力に優れたメーカーがこのトレンドに倣い、スタイリッシュなだけでなく、中身もきっちりとした車を出してくれることだろう。
BMWの技術とコンランのデザインが交わるとき、次の名作が生まれることだろう。
Renault Vel Satis
よろしくお願い致します。