イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
今回紹介するのは、マツダ・MX-5(日本名: ロードスター) SKYACTIV-G 2.0 のレビューです。

何度も繰り返し言ってきたことだが、今一度言おう。会議から生まれた名品など存在しない。そもそも、会議とはコンセンサスを得るための場だ。コンセンサスには山も谷も存在しない。マーガリンは会議から生まれた。しかし、バターは違う。
一緒に仕事をしたとあるテレビのディレクターを例に挙げてみよう。彼は小さな声で、しかしはっきりとこう宣言した。
「これから行う会議では私しか発言しません。そうすれば何かが起こります。」
彼の言う通りにしたところ、すべてが上手くいった。
重力は会議から生まれたわけではない。スピットファイアも同様だ。しかし、現代の車に関してはその大半が会議から生まれており、そのためほとんどが非常に退屈だ。技術者はデザイナーの要求に対応するために妥協し、デザイナーは安全性の要求を満たすために妥協し、予算に対応できるよう、安全性も妥協されてしまう。そんな中で技術者がマルチリンクサスペンションを使いたいなどと言おうものなら、予算担当者の怒りは爆発してしまう。
さらにややこしいことに、自動車開発に電子制御オタクまで介入するようになり、似非科学を使いながら好き勝手に暴れている。iPhoneとFAXの違いも分からないような人達に対し、0と1を使えば車を変身させることができる、なんて話をすれば、素人はそれを素晴らしいことだと信じ切ってしまう。
「サスペンションを柔らかくも硬くもその中間にもできるんですか? ステアリングのフィールを変えることもできるんですか? しかも、エンジンの馬力まで変えることができるんですか?」
取締役会や広報部がこういったものを好む理由は想像に難くない。しかし、その車のフィールを決定するのはショックアブソーバーの構造すらまともに理解していない下請けIT企業の社員だ。
一つ例を挙げてみよう。最高の技術者が生み出したアンプにはオンとオフの2つしかボタンがないはずだ。しかし、大した実力もないアンプにはグラフィックイコライザーが付いている。
そんな中で登場したのが新型マツダ・MX-5だ。MX-5は低価格で使いやすく、スカーレット・ヨハンソンやキャメロン・ディアスと一緒に裸でツイスターゲームをするのと同じくらいの楽しさがあったため、25年間にわたって世界のベストセラースポーツカーであり続けてきた。
新型MX-5の概要について決定する際、電子制御担当者もその場にいたはずだ。そして、スポイラーの形状を自動的に変えたり、コーナリング中にヘッドランプの向きを変えたりするシステムを採用するようにやかましく提案していたに違いない。それは一見すると魅力的なシステムだ。しかし嬉しいことに、その人達は結局その場からつまみ出された。
この車は技術者が自分の好きなように作り上げた車だ。運転中にセッティングを変えることなどできない。しかし、走り出したその次の瞬間にはこう思うはずだ。
「これほど完璧に仕上がっているのに、何を変える必要があるのだろうか。」
しかし、乗り込んだ瞬間、私はこう思った。
「まずい。太ったかもしれない。」
旧型に乗り込む時には苦労などしなかったのだが、新型に乗ると缶に詰め込まれたコンビーフの気分になった。外からだと私の顎は見えただろうが、耳はサイドウィンドウに圧迫され、シャツと目はフロントウィンドウに押し潰されていた。
シフトレバーの後ろに位置する操作系に手を伸ばすためには肩関節を脱臼させる必要があった。オーディオの音量を調節できるのはティラノサウルスくらいだし、左肩の後ろにある収納スペースからはどうすれば物を取り出せるのだろうか。車を停め、一度車から降りて頭から車に入り、ようやく自分の携帯電話を取り出すことができた。そしてそのまま車にはまり込んでしまった。
友人の手を借りてなんとか車から抜け出し、私はダイエットをする決心をした。しかし、その後家に帰ってから知ったのだが、新型MX-5は旧型よりも小型化されているそうだ。素晴らしい。私が太ったわけではないようだ。
私のような巨体でなければ、快適に座ることができるはずだ。トランクも十分に広く、普通サイズの旅行鞄を2つ載せることもできる。
しかし、いくら旅行鞄が載ろうが、この車でホテルに向かいたいとは思わない。運転が楽しくて夜中ずっと走り通したくなる。この車は有機的で生々しく、そして純粋だ。まさにスポーツカーのあるべき姿を体現している。歌い、弾け、跳ねる。常に活力が漲っている。つられてドライバーにも活力が溢れてくる。冗談抜きで鬱病の治療にも使えるはずだ。この車を運転している間は決して気分が沈むことはない。
それに、デザインが従来型よりも少しまともになっている点も嬉しい。これまでのMX-5は柔和な印象で少し間が抜けていた。しかし、新型からは本気を感じる。戦闘意欲を感じる。
100km/hで長いコーナーを走っていると、わずかにステアリングのデットスポットを感じるかもしれない。しかし、頭上に1億5000万kmのヘッドルームが広がり、その先で太陽が輝き、ラジオからはスティーヴ・ハーレイの歌声が流れ、至高のトランスミッションを3速に入れ、エンジンが美しい旋律を奏でる中で、どうしてそんな細かいことが気になろうか。
私は2.0Lモデルに試乗し、その優秀さを確認したのだが、聞くところによるともっと安価な1.5Lの方がさらに優秀だそうだ。私もその意見に同調したい。
ただ、少しだけ問題があった。サスペンション開発に参加することを許されなかった電子制御オタクは、おそらくその代わりにナビの開発に関わったのだろう。そうして、ドライバーを道に迷わせるシステムが組み込まれた。しかし、それでも減点はしない。道に迷うということは、その分だけ長く車を運転できるということであり、MX-5ならばむしろ嬉しいくらいだ。
従来のMX-5で唯一気に入らなかったのは、個性に欠けていた点だ。かつて、旧型MX-5に乗ってイラク北部からトルコ、シリア、ヨルダンを通ってイスラエルまで行ったのだが、私を虜にしてはくれなかった。しかし、新しい好戦的なデザインのおかげで、今度のMX-5ならば私を虜にしてくれる気がする。
中身は大して変わっていないし、流行りの複雑な電子制御も使われていないのだが、それでもこれは百点満点の至宝だ。
The Clarkson Review: 2016 Mazda MX-5
今回紹介するのは、マツダ・MX-5(日本名: ロードスター) SKYACTIV-G 2.0 のレビューです。

何度も繰り返し言ってきたことだが、今一度言おう。会議から生まれた名品など存在しない。そもそも、会議とはコンセンサスを得るための場だ。コンセンサスには山も谷も存在しない。マーガリンは会議から生まれた。しかし、バターは違う。
一緒に仕事をしたとあるテレビのディレクターを例に挙げてみよう。彼は小さな声で、しかしはっきりとこう宣言した。
「これから行う会議では私しか発言しません。そうすれば何かが起こります。」
彼の言う通りにしたところ、すべてが上手くいった。
重力は会議から生まれたわけではない。スピットファイアも同様だ。しかし、現代の車に関してはその大半が会議から生まれており、そのためほとんどが非常に退屈だ。技術者はデザイナーの要求に対応するために妥協し、デザイナーは安全性の要求を満たすために妥協し、予算に対応できるよう、安全性も妥協されてしまう。そんな中で技術者がマルチリンクサスペンションを使いたいなどと言おうものなら、予算担当者の怒りは爆発してしまう。
さらにややこしいことに、自動車開発に電子制御オタクまで介入するようになり、似非科学を使いながら好き勝手に暴れている。iPhoneとFAXの違いも分からないような人達に対し、0と1を使えば車を変身させることができる、なんて話をすれば、素人はそれを素晴らしいことだと信じ切ってしまう。
「サスペンションを柔らかくも硬くもその中間にもできるんですか? ステアリングのフィールを変えることもできるんですか? しかも、エンジンの馬力まで変えることができるんですか?」
取締役会や広報部がこういったものを好む理由は想像に難くない。しかし、その車のフィールを決定するのはショックアブソーバーの構造すらまともに理解していない下請けIT企業の社員だ。
一つ例を挙げてみよう。最高の技術者が生み出したアンプにはオンとオフの2つしかボタンがないはずだ。しかし、大した実力もないアンプにはグラフィックイコライザーが付いている。
そんな中で登場したのが新型マツダ・MX-5だ。MX-5は低価格で使いやすく、スカーレット・ヨハンソンやキャメロン・ディアスと一緒に裸でツイスターゲームをするのと同じくらいの楽しさがあったため、25年間にわたって世界のベストセラースポーツカーであり続けてきた。
新型MX-5の概要について決定する際、電子制御担当者もその場にいたはずだ。そして、スポイラーの形状を自動的に変えたり、コーナリング中にヘッドランプの向きを変えたりするシステムを採用するようにやかましく提案していたに違いない。それは一見すると魅力的なシステムだ。しかし嬉しいことに、その人達は結局その場からつまみ出された。
この車は技術者が自分の好きなように作り上げた車だ。運転中にセッティングを変えることなどできない。しかし、走り出したその次の瞬間にはこう思うはずだ。
「これほど完璧に仕上がっているのに、何を変える必要があるのだろうか。」
しかし、乗り込んだ瞬間、私はこう思った。
「まずい。太ったかもしれない。」
旧型に乗り込む時には苦労などしなかったのだが、新型に乗ると缶に詰め込まれたコンビーフの気分になった。外からだと私の顎は見えただろうが、耳はサイドウィンドウに圧迫され、シャツと目はフロントウィンドウに押し潰されていた。
シフトレバーの後ろに位置する操作系に手を伸ばすためには肩関節を脱臼させる必要があった。オーディオの音量を調節できるのはティラノサウルスくらいだし、左肩の後ろにある収納スペースからはどうすれば物を取り出せるのだろうか。車を停め、一度車から降りて頭から車に入り、ようやく自分の携帯電話を取り出すことができた。そしてそのまま車にはまり込んでしまった。
友人の手を借りてなんとか車から抜け出し、私はダイエットをする決心をした。しかし、その後家に帰ってから知ったのだが、新型MX-5は旧型よりも小型化されているそうだ。素晴らしい。私が太ったわけではないようだ。
私のような巨体でなければ、快適に座ることができるはずだ。トランクも十分に広く、普通サイズの旅行鞄を2つ載せることもできる。
しかし、いくら旅行鞄が載ろうが、この車でホテルに向かいたいとは思わない。運転が楽しくて夜中ずっと走り通したくなる。この車は有機的で生々しく、そして純粋だ。まさにスポーツカーのあるべき姿を体現している。歌い、弾け、跳ねる。常に活力が漲っている。つられてドライバーにも活力が溢れてくる。冗談抜きで鬱病の治療にも使えるはずだ。この車を運転している間は決して気分が沈むことはない。
それに、デザインが従来型よりも少しまともになっている点も嬉しい。これまでのMX-5は柔和な印象で少し間が抜けていた。しかし、新型からは本気を感じる。戦闘意欲を感じる。
100km/hで長いコーナーを走っていると、わずかにステアリングのデットスポットを感じるかもしれない。しかし、頭上に1億5000万kmのヘッドルームが広がり、その先で太陽が輝き、ラジオからはスティーヴ・ハーレイの歌声が流れ、至高のトランスミッションを3速に入れ、エンジンが美しい旋律を奏でる中で、どうしてそんな細かいことが気になろうか。
私は2.0Lモデルに試乗し、その優秀さを確認したのだが、聞くところによるともっと安価な1.5Lの方がさらに優秀だそうだ。私もその意見に同調したい。
ただ、少しだけ問題があった。サスペンション開発に参加することを許されなかった電子制御オタクは、おそらくその代わりにナビの開発に関わったのだろう。そうして、ドライバーを道に迷わせるシステムが組み込まれた。しかし、それでも減点はしない。道に迷うということは、その分だけ長く車を運転できるということであり、MX-5ならばむしろ嬉しいくらいだ。
従来のMX-5で唯一気に入らなかったのは、個性に欠けていた点だ。かつて、旧型MX-5に乗ってイラク北部からトルコ、シリア、ヨルダンを通ってイスラエルまで行ったのだが、私を虜にしてはくれなかった。しかし、新しい好戦的なデザインのおかげで、今度のMX-5ならば私を虜にしてくれる気がする。
中身は大して変わっていないし、流行りの複雑な電子制御も使われていないのだが、それでもこれは百点満点の至宝だ。
The Clarkson Review: 2016 Mazda MX-5
翻訳に感謝します。