イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2011年に書かれたポルシェ・911カレラ GTSのレビューです。


911 GTS

私はずっとセバスチャン・ベッテルのことを鼻持ちならない男だと思っていた。レースで勝利した時の仕草も、髪型も嫌いだった。それに彼はチームメイトがクラッシュするとそれを非難した。とんでもない思い上がり野郎だと思っていた。

しかし先週末、モナコでスクランブルエッグを食べているとき、彼が私を見つけて走ってきた。砂漠の中で歩き通した後、冷えたビールの詰まった冷蔵庫の鍵を持っている人間を見つけたかのような勢いで私に向かってきた。彼のTop Gear出演についても話したのだが、彼は非常に魅力的で楽しい人だった。

その前日にはマーク・ウェバーとも会っていたのだが、彼もまた魅力的な人物だった。最初に会ったとき彼はフォードに金で雇われており、ディナージャケットを着た酔っぱらいをホテルからグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードまで送り届けるという仕事をしていた。彼はこう言っていた。
なめちゃいけないよ。私はこの仕事で1日に80ポンド稼いでるんだ。

モナコではたくさんのF1の関係者に会った。ミハエル・シューマッハ。ニック・フライ。マーティン・ブランドル。クリスチャン・ホーナー。ルーベンス・バリチェロ。誰もが非常に魅力的だった。

バーニー・エクレストンにも会った。その時は夜も更けており、私はどこのパーティーに乱入してやろうかと考えながらぶらついていたのだが、坂道の下に80代の男が佇んでいた。彼は微笑みを絶やさず、非常に親しみやすかった。しかも私をフラビオ・ブリアトーレの船に招待してくれた。

信じ難いかもしれないが、フラビオ・ブリアトーレもまた魅力的な人物だった。少なくとも私はそう思った。彼は自分が喋る番になると何らかの言葉を発したのだが、その時もほとんど笑わず、そして私にたくさんのワインをご馳走してくれた。要するに、批判されることも多いF1の世界には、一緒に食事をとりたいと思えるような魅力的な人物がたくさんいる。

残念なことに、F1に引き寄せられてモナコのイベントにやって来た人達はあまり魅力的ではなかった。まず男を見てみよう。私が見た限りでは2種類の男がいた。金持ちの男は皆脂ぎっていた。それから、そんな金持ちのゴマをすりながら後ろをついてまわる男もいた。自分の言葉すべてに賛同し、言うジョークすべてを笑ってくれる人が取り巻きにいればさぞかし気分は良いだろう。しかし、その取り巻きは金持ちに対してスーパーヨットの保険や趣味の悪い腕時計を売りつけようとしてくる。

時折その取り巻きに捕まえられ、金持ちのところまで連れて行かれた。しかし、その金持ちは私のことを知らなかった。きっとテレビを見ることさえ人にやらせているのだろう。

その金持ちにどんな仕事をしているのかなどと尋ねてはいけない。尋ねるまでもなく、銃を売ったり人殺しの手配をしたりしているのは明らかだ。それに、億万長者は常にあくびをしている。他人から何か質問されたら困るからだ。ある大きな船には、ただ健康を維持して座っていればいいという仕事をしている青年がいるという話を聞いた。彼の仕事はその船のオーナーの心臓ドナーだ。

続いて女を見てみよう。女のほとんどが売春婦だ。色好みな人なら性感染症のフルコースを家に持ち帰ることもできるだろう。しかし、億万長者は売春婦とは無縁だ。彼らは専用の相手を雇っている。

グランプリの週末にモンテカルロに原爆を落とせば、スポーツ関連の大御所が数多くいなくなってしまうだろう。しかし、悪いことばかりでなく、大御所の取り巻きも一緒に消えてくれる。そうすれば地球のQOLは向上するはずだ。

いつモンテカルロに原爆を落とそうが変わらないと思う人もいるかもしれない。しかし違う。億万長者はモンテカルロに住んでいるわけではない。モンテカルロの家に行ってたまに電話をかけたり電気をつけたりする人を雇っている。そうすることで、税務当局は億万長者が本当にモンテカルロに住んでいると勘違いしてくれる。

なので、モナコを出発して家に帰る時にはとても嬉しかった。しかし、空港に待ち構えていた車を見たらそんな喜びも吹き飛んでしまった。その車こそ、ポルシェ・911カレラ GTSだった。これは自動車評論家にとっての悪夢だ。グルメ評論家に対して、作った店員が違うだけの、材料はまったく変わらないマクドナルドのハンバーガーを比較してほしいと頼むようなものだ。ある自動車評論家によると、911にはモデルが20ちょっとあり、それぞれオプションが153種類存在するため、この車には9兆6000億の組み合わせが存在するそうだ。そのどれを選ぼうと中身はほとんど同じだ。

しかし、GTSには一つだけ違いがある。価格だ。カレラSを購入してGTSと同等の装備を付けようとすれば、価格はおよそ95,000ポンドになる。しかし、試乗したカレラGTSの価格はオプションまで含めて81,968ポンドだった。それに、GTSの外装パーツはターボと共通でカレラSより恰好良いし、あちこちにブラックのアクセントも付いている。

これほどの寛大な売り方にはちゃんと理由がある。来年には新型911が登場する予定だ。新型もヒトラーが生み出したこれまでの911と何ら変わらないだろう。しかし、パーツは変わるので、それまでに余ったパーツを使い切る必要がある。つまり、カレラGTSは新型車ではない。旧型車の最終モデルだ。

マニアはこれが最高の911かもしれないと語っている。デザインも、後輪駆動のシンプルさも、コストパフォーマンスも、アルカンターラのステアリングも、すべて評価できるそうだ。大量のオプションから選りすぐりのものが装備され、パッケージも最高なので、今すぐにでも買うべきだそうだ。

そんな話を聞いているとどんどん瞼が重くなっていく。私にとって、ポルシェ・911について記事を書くこと以上に嫌なことがあるとすれば、それは911に乗ることだ。間抜けになった気分になる。どういうことかといえば、911乗りには2種類しかいない。熱心な自動車オタク(こちらの場合、人から避けられてしまう)か、いかにもな中年(こちらの場合も人から避けられてしまう)だ。

それに、911のフィールが好きになれた例がない。実用的に使えて、いざというときには楽しめるスポーツカーを作ろうというポルシェの目標には敬意を払っているのだが、それが叶わぬ夢のように思えてならない。両者は相容れないのではないだろうか。楽しい車は少しは狂気を孕んでいるべきだ。911には狂気など存在しない。

だとしたら、どうして私はGTSに乗って楽しめたのだろうか。それになぜ、少し前に試乗したGT3も楽しめたのだろうか。911は昔から一切変わっていない。つまり、私が変わったということなのだろうか。それが正しいのかもしれない。ランボルギーニやVXRやランエボのような狂気に満ちた車は今でも大好きだ。しかし、50を過ぎた今、排気管から炎を噴き出し、腰を痛めつけるような車にはうんざりしかけている。

GTSは運転する車ではない。共に踊る車だ。GTSとの時間は非常に充実しているし、変な演出もない。ナビやiPod連携機能は至って常識的だ。巨大すぎるわけでも、やかましすぎるわけでも、快適性に欠けているわけでもない。セバスチャン・ベッテルと同じくらいに魅力的だ。

ポルシェに乗る中年を見かけたら思い出してほしい。その人は中年の危機に陥っているわけではない。ただ大人になったというだけの話だ。


The Clarkson review: Porsche 911 GTS (2011)