イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2005年に書かれたブガッティ・ヴェイロンのレビューです。


Veyron

車で290km/h以上を出すと、周囲の様子がおかしくなり、恐怖が襲ってくる。320km/hを超えると世界がぼやけはじめる。これくらいの速度になるとタイヤやサスペンションの反応が遅れ、やがてまともに言うことを聞かなくなってしまう。振動が視神経を刺激し、複視が起きてしまう。1秒間に90m進むような状態でこんなことが起これば最悪だ。

幸い、制動距離なんてものは問題にならない。そもそも障害物など視認できないからだ。窓越しに障害物を視認できたときにはもう天国への門をくぐっている。

歴史を紐解いてみよう。1904年にルイ・リゴリーがゴブロンに乗って160km/hの壁を破ったとき、その振動は相当に恐ろしかっただろう。1966年式のEタイプで240km/hを出すのも同じくらい怖いはずだ。

しかし、320km/hで走っていると、サスペンションやタイヤ以外にも心配すべきことが出てくる。最大の問題が空気だ。160km/hなら空気などまったく気にならない。240km/hでもせいぜい微風くらいにしか感じない。しかし、320km/hになると、空気は350トンのジャンボジェットを地面から持ち上げられるほどの力を持つ。320km/hで一陣の風でも吹こうものなら、町を丸ごと壊滅させるほどの威力が生まれる。そんな環境下で車を走らせるのはかなりの難題だ。

320km/hでは車のフロントが浮き上がりそうなほど軽く感じられる。そのためステアリングは効かなくなり、回避行動をとることさえできなくなってしまう。320km/hは人間が車で出せる限界だと思われていた。なので、ブガッティ・ヴェイロンは崇拝に値する工業製品だ。ヴェイロンは406km/hを出すことができる。正気の沙汰とは思えない。

マクラーレン・F1も386km/hなら出せると指摘する人もいるかもしれないが、この速度だとまったくもって制御できない。それに、どちらにしてもヴェイロンとは格が違う。ドラッグレースをすると、マクラーレンなら190km/hまで出すことができる。ヴェイロンなら同じ条件で320km/hまで出すことができる。ヴェイロンには他のどんな車をも圧倒する速さがある。

もちろん、81万ポンドという価格はあまりにも高いのだが、開発の歴史を振り返ってみれば、これがただの車ではないと分かるはずだ。

フォルクスワーゲンの会長であるフェルディナント・ピエヒがブガッティを買収し、コンセプトカーの開発を指示したことがすべての始まりだ。彼は誰の意見にも耳を傾けることなくこう言った。
これが新しいブガッティの姿です。1000馬力のエンジンを載せ、400km/hを実現することを約束します。

開発陣は萎縮してしまった。それでも開発は進み、アウディのV8エンジン2つを結合させて8LのW16エンジンが生まれた。そのエンジンには4基のターボチャージャーが載せられた。結果、地球の核と同じくらいのパワーを生み出すエンジンができた。それはいいのだが、当然エンジンには冷却も必要だ。そのため、ヴェイロンにはエンジンカバーがなく、ラジエーターは10個もある。

もう一つ、エンジンのパフォーマンスをいかにして使うかという問題もあった。これに対処するため、フォルクスワーゲンは多くのF1チームにトランスミッションを供給しているイギリスのリカルドという会社に依頼をした。

技術者は思った。
こいつは難題だ。F1のトランスミッションは数時間しか保たない。でもフォルクスワーゲンはヴェイロンを10年も20年も保つ車にしようとしている。しかも、ヴェイロンはF1マシンよりもパワーがあるというじゃないか。

それから50人の技術者が5年間をかけて、専用の7速デュアルクラッチトランスミッションを仕上げた。

その後、ヴェイロンの試作車はザウバーのF1風洞施設に送られたのだが、1000馬力という目標を実現しても、400km/hという目標速度は到底出せそうにないということが判明した。そもそものボディ形状が空力的に優れておらず、しかもフォルクスワーゲンは基本的なデザインを変えようとはしなかった。

ザウバーはお手上げ状態だった。そもそも、ザウバーはF1の最高速度である360km/h程度までしか経験したことがなかった。それ以上の領域となるとブガッティが独自に開拓していかなければならなかった。

そこからなんとか30km/hは上げることができたのだが、それ以上の向上をエンジンの改善によって実現しようとするのはほぼ無意味だった。そこから最高速度を1km/h上げるごとに、エンジンに要求される出力が8馬力ずつ上がっていく。そんなことを実現するのは不可能だ。

あとはボディの形状を細かく変えていくことによって対応していかなければならない。まずドアミラーを小型化し、わずかに最高速度が向上したのだが、その代償はかなり大きかった。もともと使っていた大きなドアミラーがノーズを安定させていたことが判明した。そのため、ドアミラーを変更したところ、スタビリティが悪化してしまった。

別の言い方をすれば、元のドアミラーがダウンフォースを発生させていたということだ。そう考えてみれば、高速域における空気の威力の片鱗を理解できるかもしれない。

何度か失敗し、炎上し、クラッシュし、開発主任が一人クビになり、ようやく一つのアイディアに辿り着いた。速度に応じて車自体が自動的に形を変えるというアイディアだ。

220km/hでは車のノーズが50mm下がり、リアスポイラーが自動展開する。効果は絶大だ。車のリアが上から押し付けられているのが体感できる。

しかし、リアスポイラーによって大きな空気抵抗が発生してしまうため、わずか372km/hでリミッターがかかってしまう。それ以上の速度を出すためには、一旦車を停め、床にあるスロットにキーを挿入すればいい。すると地上高がさらに低くなり、リアスポイラーがロックされて出てこなくなる。そのためダウンフォースは失われ、コーナーを曲がることは一切できなくなってしまうのだが、空気抵抗は抑えられる。そして400km/hを出すことができる。換算すると秒速111mだ。

よく考えてみよう。1秒でサッカーのピッチを通り抜けてしまう。ブレーキについても考えてみよう。フォルクスワーゲン・ポロでブレーキを踏み込むと0.6G発生する。ヴェイロンではエアブレーキだけで同じGが発生する。カーボンセラミックブレーキも使用すると、400km/hからわずか10秒で停止することができる。一見すると凄そうなのだが、この10秒間で車は500m以上進む。これはサッカーボールのピッチで考えると5つ分だ。

ただ、そんなことはどうでもいい。ヨーロッパで試乗したとき、なんとか最高速度を出してみようと思ったのだが、385km/hも出せばもう道が足りなくなってしまった。しかし、この速度では驚くほど安定していた。まったくもって見事に安定していた。とんでもない車だと感じた。

しかし、静かではなかった。エンジンからは過去の遺物のような金属音がしてきた。タイヤノイズは記録的なやかましさだった。しかし、聞いていて気分が良かった。まさしく至上の喜びだった。

そこからアルプスに行ったのだが、そこでの走りはなお良かった。コーナーでは使い物にならないだろうと予想していたのだが、まるで巨大なロータス・エリーゼのように走った。

タイトコーナーでハードな加速をすると、4WDシステムが前後の駆動力配分を変更し、挙動が妙な感じになった。不快だとか危険だというわけではない。カモノハシが奇妙だというのと同じ意味で奇妙だった。

そんな違和感にも慣れ、道が直線になりアクセルを踏んで身構えると、今度は時空間が歪んでしまう。これは本当の話だ。コーナーを抜けてストレートに入ってアクセルを踏み込めば、数km先に見えていたはずのコーナーが次の瞬間に目の前に来てしまう。

ヴェイロンに乗っていると、フランスが小さなココナッツくらいの大きさに思えてしまう。どれほど早く横断できたかはここでは割愛しておこう。書いたところでどうせ誰も信じてくれないだろう。この車の魅力についても表現できない。私にはそうできるだけの語彙力がない。どもって訳の分からないことを口走るだけに終わってしまうだろう。薬物でもやっているのかと思われてしまうかもしれない。

この車は他の車と同じようには評価できない。騒音規制や排ガス規制には通っているし、普通自動車免許を持っている人ならば誰にでも運転することができる。要するに、法的にはただの車だ。しかし、実際は違う。

他の車がブライトンの小さなゲストハウスだとすれば、ヴェイロンはブルジュ・アル・アラブだ。ヴェイロンに比べれば、エンツォやポルシェ・カレラGTすら遅くて無意味に思える。常識に対する狂気の勝利だ。自然に対する人間の勝利だ。そして、世界のあらゆる自動車メーカーに対するフォルクスワーゲンの勝利だ。


20 years of Clarkson: Bugatti Veyron 16.4 review (2005)