今回は、イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェームズ・メイが2006年に英「Telegraph」に寄稿したハイブリッドカーをテーマにしたコラム記事を日本語で紹介します。


Prius

私はここ2時間ずっと鉛筆の端を噛みながら何を書くべきか悩み続けている。できることなら、読者に代わりに何か書いてほしいくらいだ。

私はエンジニアでもなければ物理学者でもない。そんな要素はどこにもない。しかし、そんな私ですら、ハイブリッドカーはまやかしであると断言することができる。

ハイブリッドカーは従来的な内燃機関と電気モーターが組み合わせられて駆動している。電気モーターがタイヤを回すこともあれば、エンジンがタイヤを回すこともあるし、両方が協働してタイヤを回すこともある。そして、大半のハイブリッドカーにおいてはモーターが発電機としても働き、大きなバッテリーを充電する。

この説明で理解できないなら、一番流行りのハイブリッドカーであるトヨタ・プリウスに乗ってみるといい。ダッシュボードのディスプレイにエネルギーの流れや各部位の役割がリアルタイムで表示される。これは非常に面白い余興ではあるのだが、それに夢中になっていると前の車に追突してしまうかもしれない。

私はプリウスが好きだ。デザインも好きだし、すっきりしたインテリアも気に入っている。運転も楽しい。この車では運転のエコ度合いが点数化されるため、テレビゲーム気分で運転することができる。プリウスは面白い車だ。ただし、一般に言われているように人類の救世主なのかと言われれば、そんなことは決してないと思う。

「プリウスはガソリンと電気で走る」という表現がどうしても引っかかる。厳密には正しいのだろうが、これは誤解を生みかねない表現だ。ガソリンや軽油、あるいは石炭や木炭や丸太、それから潮汐力や風力や太陽光などとは違い、電気はエネルギー資源ではない。電気とはあくまでもエネルギーの輸送手段だ。確かにプリウスは電気も使うのだが、そのエネルギーの元となっているのはガソリンだ。

プリウスが使う電気はすべて、ガソリンが燃えることで作られている。否定の余地などどこにもない。一般的な車とまったく同じように、ガソリンを入れなければ決して走らない。普通のプリウスにコンセントを繋ぐことはできない。

ハイブリッド信者は「回生ブレーキ」について言及して反論するかもしれない。これは自動車の運動エネルギーをモーター(=発電機)を使って電気に変換するシステムだ。これは凄いシステムのようにも思える。

しかし、少し考えれば何もないところからエネルギーが生まれるはずなどないと分かるはずだ。制動時に電気を生み出すためには車が動いていなければならず、上で述べた通り、そもそもハイブリッドカーはガソリンがなければ動くことなどできない。

はっきり言ってしまうが、プリウスをはじめとしたハイブリッドカーはすべて、ガソリン車もしくはディーゼル車だ。ハイブリッドシステムの意義はおなじみの内燃機関の効率を上げることにある。節約が好きならば、あるいは化石燃料を使うことに罪の意識を抱いているならば、ハイブリッドカーを選ぶのも悪くない。しかし、いかにトイレットペーパーを使う量を抑えようといずれは使い切ってしまうのと同じように、ハイブリッドカーを使ってもいずれはガソリンを使い切ってしまう。

だからこそ、私はハイブリッドカーに引っかかりを感じている。複雑すぎることも、重すぎることも、高価すぎることも、寿命が短いことも私は気にしていない。私が気にしているのは、石油の使い方についての凝り固まった考え方が広まってしまうことだ。

ハイブリッドカー信者は基本的に石油を使うことに否定的であり、排気ガスは気候変動を生み出し、ホッキョクグマを溺れさせ、石油産業は戦争を引き起こし、世界経済を崩壊させ、帝国主義を作り出す諸悪の根源であると主張している。

にもかかわらず、どうして彼らは石油を使い続けようとするのだろうか。石油を使いたくないのであれば、古いベントレーでも購入してとっとと石油を枯渇させてしまえばいいではないか。

そうすれば、エンジニアや物理学者が本気になって解決手段を模索し始めることだろう。


James May's greatest hits: why eking out oil reserves is flawed