イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2006年に書かれたフェラーリ・599GTB フィオラノのレビューです。


599 GTB Fiorano

以前にも言ったことがあるのだが、私の家とオックスフォードを繋ぐA44は走りやすい道で、80km/hという制限速度はおかしい。大半の人間はその制限速度を不条理だと思っているだろうし、どれほど理不尽で無意味な法律であろうと順守するローバー乗りのマイノリティを反対車線に出て追い越していく車もたくさんいる。

私の発言は当然のごとくオックスフォード・メール紙に取り上げられた。私の意見と一緒に、A44沿いにある小さな町、ウッドストックの町長の意見も書かれていた。

元高速道路技師のキャリット氏は私の意見を戯言だと一蹴している。しかし果たしてそれは事実なのだろうか。

キャリット氏いわく、A44で起きる事故の頻度は同じエリア内の他の道路とほとんど変わらず、この道路が事故頻発地帯だということはないそうだ。

ここでキャリットさんに訊きたいのだが、A44が事故頻発地帯でないなら、どうしてこの道路に3つの固定式オービスと移動式の取締装置が設置されているのだろうか。運輸省は、事故頻発地帯以外にはオービスを設置しないと明言しているではないか。

正直なところ、オービスなどどうでもいい。固定式のオービスは山間にあるし、ちゃんと意味をなしている。しかし、移動式の取締装置は開けた道に設置されているうえに、設置されるようになったのはここ最近の話だ。地元議会はちゃんと理由があると主張している。なるほど。しかし、こんなものはすぐに廃止すべきではないだろうか。今度移動式の取締装置を見かけたら、そこにいる公僕にその意義を問いただしてやりたい。もし納得できる答えが得られないのであれば、その公僕を逮捕してバンを没収するべきだろう。

権威者が弁解の余地のない過ちを必死に誤魔化そうとしている姿を見ていると愉快で仕方がない。世界を守るためにはゴードン・ブラウンに1人5ポンドずつ支払うほかないと主張している気候変動信者も同じように滑稽だ。

しかし現実的には、移動式速度取締装置の設置場所がおかしいと一人孤独に叫んだところで、イギリスのドライバーたちを苦しめている巨大な象にとっては蚊に刺されるくらいのダメージしかない。

ドライバーを苦しめる規制や罰則はあまりに厳しく、最近ではいずれ運転を楽しむことが一切できなくなってしまうのではないかと危惧するようにまでなった。今回乗った車がフェラーリ・599であったことも考慮すると、それはあまりにも残念だ。

アクセルを踏み込んでしまえば、0-100km/hまで加速するよりもずっと速く、0-裁判所まで加速できてしまうのではないかと怖くなってしまった。それに、前のローバーを追い越したところで、しばらくすればまた別のローバーが現れる。村の近くを通れば、V12エンジンが空を病気にしていると信じてやまないヒッピーたちから卵を投げつけられてしまう。

こんなことなど決して言いたくはなかったのだが、この時に生まれて初めて、いずれ速い車の存在意義がなくなってしまうのではないかと考えるようになった。

599を買いたいと思えない理由は他にもある。最初に車に乗り込んだ時、室内は薄暗く感じられ、どこかじめっとしていた。

599は絶望的な車だ。オートワイパーは使いものにならない。雨が降っている時にはろくに動いてくれないし、窓が乾いているときに限ってやかましく作動してしまう。ヘッドライトの光量は瓶に入れた蝋燭と同等だ。暖房を入れても暖かくならないし、冷房を入れても涼しくならない。しかも、ラジオはすべてドイツ語だし、ボディが巨大なのでイギリスの狭い道で乗るのは悪夢だ。

フェラーリは快適な長距離クルーザーとして599を開発したのかもしれない。あるいは、日常的に使える車として開発したのかもしれない。しかし、ミニとすれ違うために道の端ギリギリまで寄せたり、"アンビエント"ライトの眩しさに目をやられたりしていると、完璧な失敗作だと思ってしまう。人力車のほうがまだ便利かもしれない。

interior

それからステアリングだ。なんということだ。一体何を考えているのだろうか。インテリアは基本的に落ち着いていて美しい。ソフィア・ローレンのサングラスと同じくらいにイタリア的だ。しかし、その目立つところに変な形のステアリングが鎮座している。まるでオースチン・アレグロだ。

しかも、このステアリングにはカーボンファイバーとレザーが両方使われており、F1風のボタンが大量に並べられている。変速のタイミングを伝えるライトまである。しかしこのライトはあまりに眩しく、変速できなくなってしまう。そしてクラッシュしてしまう。

F1風のガジェットを市販車に押し込むという発想も気に入らないし、ボンネット内のラジエーター部分にF1のノーズコーン風の物体を取り付けているという点も気に入らない。要するに、この車のオーナーは友人にボンネットを開けて見せびらかすということだろう。これはパーティーでペニスを見せびらかすような話だ。最悪だ。

この辺りで何かを褒めたいところだ。しかし、そうすることはできない。助手席からはカタカタと異音がしたし、ディファレンシャルの出来も悪く、直角にゆっくりと曲がろうとすると、リアの内輪と外輪のスピードが噛み合わず、動きがギクシャクしてしまう。ベルギー軍にすらできるようなことをどうしてフェラーリができないのだろうか。

それに、気取り屋くらいしか使いたがらないだろうが、パドルシフトもある。普通のセッティングでは普通に酷いのだが、スポーツモードにすると変速スピードが人間には感知できないレベルで上がり、変速するたびに頭が取れそうになる。

結局、この車のあらゆる欠点と無意味なスピードを天秤にかければ、この車が欲しいなどと思うはずがない。暗い時、雨が降っている時、道が少し狭い時、それどころかどんな時でも使いものにならない車に対して20万ポンドも使う意味など見いだせるとは思えない。

けれど…。

わずか30km/h出すだけで排気管が奏でるその虚ろで寂しげな鳴き声を聞くことができる。アクセルを少し突くだけでエンツォのエンジンから鼓動が伝わってくる。ステアリングに手を添えてやれば見事なまでのコーナリングを見せてくれる。ライトがまともに光らないことを理由にこれだけ蠱惑的な車を否定するのは、ほくろがあることを理由にシンディ・クロフォードを否定するようなものだ。

最初は余分なパワーに疑問を持っていたのだが、3日も経てば涎を流すほどにこの車を渇望するようになった。

自動車技術の産物として考えると、599は至宝だ。普通の道を普通の速度で走っていても、これがサラブレッドであると認識することができる。鼓動を感じ取ることができる。息遣いを聞き取ることができる。もし奇跡的に、ローバーやオービスの存在しない空いた広い道が目の前に広がったなら、フォートノックスの扉を破壊できるほどの爆風を生み出すことができるだろう。

この車と加速で並べるのは、狂気に満ちたミッドシップスーパーカーかケータハムの作るバスタブくらいだ。しかも乗り心地まで優れている。それから、冗談抜きで、この車は写真で見るよりも実物のほうが1兆倍は良い。美しいとは言えないのだが、マフィアの殺し屋のような不気味な存在感がある。

確かに、アストンマーティンには599よりも格好良くて価格は半額のグランドツアラーがある。ポルシェのほうが野性的だし、最近の気候を考慮すれば長距離の移動手段としてはヘリコプターのほうがいいだろう。しかし、そのどれも、満足感で、感動で、興奮で、599には及ばない。

いずれ、法律や世間体がこのような車を排除してしまう時が来るだろう。しかし、その時が来るまでは欠点に目を瞑り、599に乗るべきだ。


Ferrari 599GTB Fiorano