イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、ゼノス・E10 Sのレビューです。


E10 S

私はここ2週間で、バルバドス、インド、トルコ、モロッコを回った。これらの地域についてある程度学び、重大な疑問が浮かんできた。どうしてスポーツカーを誰も買わなくなってしまったのだろうか。

基本的に、運転とはこの上なく退屈だ。無表情のまま心のスイッチをオフにして、エンジンが鳴らす単調な音だけを聴きながら、ただ椅子に座っているだけだ。車に乗っている人の表情を見てよく考えてほしい。運転中以外にそんな表情をしている人間がいるだろうか。

家の芝を刈っている時、洗剤を買っている時、子供と一緒に朝食を食べている時、人には生気がある。何らかのことを考えている。しかし、車を運転している時、ドパミンやセロトニンなどの普段体内を流れている快楽物質は枯渇している。車を運転している時、人はアンデッドであり、ゾンビだ。

ただし、スポーツカーを運転している時は例外だ。スポーツカーは立体駐車場に停める時にも楽しい。雨の降る11月に葬儀に向かう時ですら楽しむことができる。スポーツカーは夢であり、そこには車としての魅力がある。

『ザ・バラッド・オブ・ルーシー・ジョーダン』という歌を覚えているだろうか。歌詞に出てくるルーシー・ジョーダンは37歳の女性なのだが、その歳になるまで一度としてパリの街中をスポーツカーで走ったことがなく、彼女はそのことをいたく後悔した。私にとって、車とはそういう存在だ。パリの街中をヒュンダイで走りたいと夢見ている人間など存在しない。

自動車を設計して生計を立てている何千何万の人について考えてみてほしい。セダンやSUVやピックアップトラックを設計しようと思ってその職に就いた人間など一人としていないはずだ。誰もがスポーツカーを設計したいと思って就職したはずだ。なぜなら、スポーツカーは素晴らしいからだ。スポーツカーは音を立てて駆け、ドライバーに語りかけ、そしてドライバーを笑顔にする。スポーツカーは人を幸せにしてくれる。

しかし先日、人々が諦めかけていることに気付いた。バルバドスでは誰もがスズキ・スイフトに乗っている。インド人はリアのレッグルームが最も広い車を購入している。イタリアにはグレーの小型ハッチバックしかいない。車は、夢ではなく単なる道具として買われている。

クリストファー・プラマーが出演していた『空軍大戦略』という映画を覚えているだろうか。彼はMGに乗っていた。彼はスピットファイアのパイロットだった。しかし、現代に当てはめるなら、彼はきっと日産・ジュークに乗っていることだろう。

rear

以前、私は宇宙飛行士と会ったことがある。彼は『トップガン』でお馴染みの学校に通っていた。彼は28,000km/hのスペースシャトルを初めて操縦した男だった。にもかかわらず、彼の愛車はトヨタ・カムリだった。実に悲しいことだ。

ここで、私の言うところのスポーツカーの定義をはっきりさせておこう。単に屋根のない車のことではない。例えば、ランボルギーニ・アヴェンタドールロードスターはスポーツカーではない。これはスーパーカーだ。メルセデス・SLやベントレー・コンチネンタルGTもスポーツカーではない。

スポーツカーは小さく、そして軽くなければならない。排気量の小さい高回転型のエンジンを積んでいて、乗車定員は2人以下でなければならない。マツダ・MX-5(日本名: ロードスター)はスポーツカーだ。しかもかなり優秀なスポーツカーだ。十分に速く、操作性は見事だし、ルーフは一瞬で格納することができる。作りも良く、信頼性も高いし、価格はわずか18,495ポンドだ。

MX-5こそが最善のスポーツカーであることは間違いないのだが、「銀行からお金を借りて工房を建てればこれ以上のスポーツカーが私にも作れるはずだ」なんてことを考える人がイギリス中に存在する。

そうして、ノーフォークでまた新しい車が生まれた。ゼノスと呼ばれるその車は、身ぐるみはがされたスポーツカーだ。設計者は不必要と思われるものすべてを捨てた。そのため、ドアも、ウインドウも、サンバイザーも、オーディオも、カーペットも、ルーフも付かない。この車よりも装備の豊富な鉛筆すら存在するほどだ。

おかげで車重はわずか725kgだ。とんでもなく軽い。アルミ箔と希望的観測から作られているトライアンフ・ヘラルドと同じくらいの重さだ。それに、トライアンフ・ヘラルドにはフォード・フォーカスSTと共通の2Lターボエンジンなど搭載されていなかった。ゼノスにはそれが搭載されている。そのため、パワーウェイトレシオはルーニー・テューンズ級だ。とんでもなく速い。

しかし、壁を乗り越えてクッションの入っていないシートに収まり、ステアリングを装着してからオプションの4点ハーネスを締め終わる頃には、マツダ・MX-5乗りがサーキットを一周して戻って来て、どれだけ楽しい車なのかを語っていることだろう。

interior

しかし、ゼノスはなおのこと楽しい。車に収まってステアリングさえ装着してしまえば、ゼノスの速さは計り知れない。公道を走れるように方向指示器や灯火器を追加したレーシングカーだ。むしろそれ以上の存在だ。しかし、サーキットこそがこの車の主戦場だ。

路面が滑らかで、反対車線を走行する車が存在しない状況ならばいい。ミッドシップなのでバランスも取れている。あたかもドライバーの意思がテレパシーによって車に伝わっているかのように華麗な身のこなしを見せてくれる。

しかし、普段運転しているような公道に出ると、1分もするとやかましく思えてきて楽しめなくなってしまう。排気音は爆音なのだが、実際に聞こえてくるのは巨漢の排泄音のようなウェイストゲート音だけだ。

ステアリングはパワステではないし、落ち着きにも欠けているので、やはりうんざりしてしまう。アルファ ロメオ 4Cのステアリングに比べればまだましなのだが、それでも操作は重労働だ。

重大な欠点についても指摘しなければならない。ブレーキだ。車重があまり重くない車の場合、フロントブレーキがロックしやすい傾向にある。ランチア・モンテカルロがその好例だ。

この不具合を避けるため、ゼノスは制動力を低くしてしまい、その結果、ちゃんと効いているんだかいないんだか分からないようなブレーキフィールになってしまっている。そうなるとドライバーはブレーキを強く踏み込んでしまい、結局はブレーキがロックしてしまう。

ABSがあれば解決するのかもしれないが、ゼノスにはこの手の運転補助装置が一切付いていない。私はこういった哲学が好きだ。しかしそれはテレビの中で他人がレースをしている場合の話だ。正直なことを言えば、タイヤスモークを上げながら木に激突しそうになっている状況においては、こんな哲学など認められるはずがない。

そういう状況では、ゼノス以外の、もっと制動性能がまともなイギリス製少量生産スポーツカーを選んでおけば良かったと感じるはずだ。


The Clarkson Review: 2016 Zenos E10 S