イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、フォード・マスタング 5.0 V8 GTのレビューです。


Mustang

おそらく、マスタング誕生50周年を記念してフォード本社の誰かに地図帳が贈られたのだろう。その結果、フォードは正しい側にステアリングの付いたマスタングを製造することを決定し、グレート・ブリテンランドとかいう未知の地で販売することを決定した。

海を挟んでこちら側の人間の多くは昔からマスタングのことを知っていた。さまざまな映画に出てきた車だし、休暇にカリフォルニアに行って借りる車といえばマスタングだ。他の車を借りることもできるのだが、マスタングは我々の心の中にあるラインダンサーの魂を引き出してくれる。2週間くらいであれば、それを楽しむのも悪くない。

『The Boys of Summer』のCDを聴きながらモントレーを轟音を響かせつつ走った楽しい思い出や映画の印象のおかげで、我々はマスタングに良い印象を抱いている。しかし、休暇中に良かったからといって、11月の火曜の朝にレミントン・スパで過ごすのが良いとは限らない。

私は常々、マスタングをギリシャ漁船の船長のようなものだと思っている。ギリシャでレツィーナワインを浴びるように飲んだ後なら、彼と一緒に寝てもいいと思う女性も多いはずだ。しかし、彼を実家まで連れて行って両親に紹介するような女性は果たして存在するだろうか。

食べ物でも例えてみよう。私は以前にハノイのレストランのオーナーに招待されて、いまだ生温かいカラスの脳味噌を食べたことがあるのだが、正直言ってそれは良い経験だったと思う。その料理は美味しかった。しかし、会社で、食事をとる時間が数分間しかないような状況においては、チーズとピクルスのサンドイッチを食べたいと思う。

では、マスタングはイギリスという国に適応できるのだろうか。それとも、ハーツレンタカーの単なる広告塔以上の存在にはなれないのだろうか。この疑問に対する答えを用意しなければならない。

まず、じっくりと価格について検討する必要がある。私が試乗した5L V8のファストバックGT ATは35,995ポンドだった。つまり、スペック的に同等のジャガー・Fタイプの半額以下で購入することができる。もっと衝撃的な表現をするなら、最高出力416PS・最高速度250km/hのアメリカの象徴が、フォルクスワーゲン・ゴルフGTIよりも安く買えてしまう。これ以上にコストパフォーマンスの高そうな車は他に知らない。

それに、エンジンとシートしか付いていないわけではない。リミテッドスリップデフやドライブモードセレクター、デュアルゾーンエアコン、リアビューカメラ、DABラジオなどはすべて標準装備だ。

価格設定や装備内容に驚きながらも、車に乗り込むとフォードの手抜きが目に見えて分かった。手抜きを見つけるのに時間はかからなかった。ステアリングの後部に使われているプラスチックはラーダすらも「少し安っぽい」と表現するだろうものだったし、シートに使われているレザーはきっとポリウレタン製の牛の革なのだろう。ただ、気になる点は本当にそれだけだ。

あらゆる点を考慮すれば、ジャガー・Fタイプの残念なダッシュボードよりもマスタングのダッシュボードの方が好きだということを認めざるを得ない。マスタングの方が面白みがある。例を挙げてみよう。スピードメーターには「対地速度」と書かれている。なんとも魅力的な子供っぽさではないだろうか。

それだけではない。ボンネットには2つの大きな峰があり、そこからドライバーの目に日光が反射する。アリゾナの広大な砂漠でテストしたとき、フォードの開発陣は確実にこの問題に気付いたはずだ。そして彼らはこう言ったはずだ。
峰のせいで前が見えないじゃないか

それから会議があって、誰かが立ち上がってこう言ったのだろう。
それは分かりますが、この峰は恰好良いじゃないですか。だったらこれでいいじゃないですか。

私はこういう考え方が好きだ。実用性よりデザイン重視。そんな方針はいろいろな場所から見て取れる。ドアミラーからは光が放たれ、地面に駆ける馬のシンボルマークが投影される。フォードのデザイナーには10歳児しかいないのだろうか。しかしそれでいい。対地速度。これも気に入った。むしろレーザー銃が付いていないことが不思議なくらいだ。

ここまでは実にアメリカ的だ。しかし、これからハマースミス・ブリッジの車幅制限や舗装状況の悪いM3、ロンドン西部のモンマス通りでのUターンに挑んでいかなければならない。

ここに問題が潜んでいる。アメリカではマスタングは小型車だ。しかし、イギリスでは巨大になる。回転半径は木星と同等だ。そのため、モンマス通りでUターンしようとすると、周りの顰蹙を買いながら36回切り返すことになる。

それに、運転していて重く感じる。1m走っただけでジャガーの方が高価な理由が理解できる。ジャガーには高価な素材が使われている一方で、マスタングには鉄とおそらくは木くらいしか使われていない。

公式にはスポーツカーと称されているものの、それはフライング・スコッツマンをスポーツトレインと称するようなものだ。あまりに重すぎる。この車はマッスルカーだ。2m走ったところでこのことに気付く。マスタングは、タイヤを煙に変えたがり、コーナーでは横向きに走りたがるマシンだ。映画『ブリット』で描かれている通りの車だ。

決して非難しているわけではない。コーナーを横向きに走れば思わず笑顔になれるのに、どうしてニュルブルクリンクを40秒で駆け抜けようと思うのだろうか。

それに、マスタングは50年間ずっと、あくまで出発点という立場であり続けてきた。素のままにしているのはレンタカー会社だけだ。それ以外の購入者はチューニング会社に頼んで車を変身させる。もし私がマスタングを買うなら、マスタングを買って節約できたお金をヘネシーなりラウシュなりに渡してチューニングを頼む。そうすればマスタングは大空へと飛び立つことができる。

誤解しないでほしいのだが、素のマスタングの走りはまったくもって普通だ。路面が悪いとそれなりに暴れてしまい、構造の単純さを露呈してしまうのだが、基本的には穏やかで、気取らずに素直だ。むしろ控えめすぎるかもしれない。

細部には派手さもあるのだが、全体的なプロポーションは少し退屈だ。マスタング史上最悪のデザインというわけではない。その称号はオイルショック後の箱型モデルに与えられる。しかし、最高のマスタングというわけでもない。それには程遠い。

実際、外を走らせても振り向く人はさほど多くない。しかし、この車に気付いた人の反応は気に入った。そういった人たちは誰もが微笑んでいた。

ここから、最近のフォードの広告キャンペーンを連想する。モンデオのイメージを拭い去って、今のフォードは楽しい車を作っているというイメージを広めるために新しい広告が考え出されたのだろう。そうして、新型フォーカスRSやマスタングや洒落たSUVを前面に出し、過去との決別を宣言する広告が生まれた。

しかし、過去と決別するなら、ロータス・コーティナとも、GT40とも、エスコートRSコスワースとも決別しなければならないのだろうか。マスタングを見て微笑んだ人たちの記憶に残っているすべての過去とも決別しなければならないのだろうか。

もしこの車を車として評価するなら、36,000ポンドのV8クーペというコストパフォーマンスの高さも考慮して80点とするだろう。しかし、これはマスタングだ。スティーブ・マックイーンの車だ。誰しもが憧れる車だ。そしてようやく、我々がマスタングを購入できる時が来た。だとしたら、買わない手はないだろう。


The Clarkson review: 2016 Ford Mustang Fastback 5.0 V8 GT Auto