イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、レクサス・GS Fのレビューです。


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今回の主題であるレクサスが家にやって来たとき、私はこの車を好きになれると思った。1週間後、レクサスが家を去るときになると、なおのことこの車が好きになっていた。非常に腹立たしい車であったにもかかわらず、だ。

私がこの車を好きになった理由の一つは、私が小さめの速いセダンが好きなことにある。そもそも、普通の人はリアに2万平米の空間など必要としていないのだから、小型のセダンでも十分なはずだ。

リアシートには子供を乗せればいいし、パーティーのあとに人を乗せるにしても、そんな人達は平気で床で横になるような人達なのだから、数分間狭い空間に押し込めたところで何も問題はないはずだ。普通、リアシートに人を乗せるのはせいぜい数分間だ。リアシートに人を乗せてカムチャッカ半島まで移動し、足に壊疽を引き起こす、なんてことはありえないだろう。

BMW 3シリーズくらいの大きさの速いセダンこそ、一番必要とされている車だ。そう考えると当然、一番最初に頭に浮かんでくるのは先駆者たるM3だ。現行型のM3は完璧とは言えない。ステアリングをコンフォートモード以外にすると生気がなくなり、同時に神経質になってしまう。

それに、エンジンにはターボチャージャーが付いている。かつてのターボはアクセルを踏んでも排気ガスがファンを回転させるまで何も起こらなかった。そしてやがて急変し、木に向かって突っ込んでしまった。

しかし、今やそんなことは起こらない。M3には感知できるターボラグなど存在しない。しかし、EUの絵空事のような排ガス規制がなければ、BMWは過給器など使わなかったはずだ。確かに効率的なのかもしれない。しかし、正道ではない。いわば料理におけるコーンフラワーのようなものだ。すなわちチートだ。

レクサス・GS Fのエンジンにはターボが付いていない。搭載されるのは、32バルブ DOHCの5L V8エンジンだ。旧時代的だ。料理で例えればルーだ。私はこのエンジンをとても気に入った。特に音が素晴らしい。

中回転域(具体的には4,500rpmまで)では孤独なオオカミのごとく虚ろで不吉な音を響かせる。しかし、さらにアクセルを深く踏み込んで6,000rpmを超えると、怒れるオオカミのごとく叫び始める。まるでフェラーリ・458イタリアのような音だ。これは最高の賞賛表現だ。

確かにBMW M3ほどのトルクは生み出さないのだが、一瞬として遅いと感じることはない。事実、この車は遅くないし、スピードリミッターが付いていないので270km/hの大台に乗ることもできるだろう。

それに、ブレンボのブレーキのおかげで加速以上に制動が素晴らしいし、8速AT(レクサスが最初に発表した時、私は8速もいらないと思っていた)のおかげでトルクに穴が存在しない。5Lという排気量を考慮してもなお優秀だ。

快適性についても褒めなければならない。確かにがっちりしているし、サスペンションも硬い。しかし、ボリス・ジョンソンが耕したロンドンの道においてすら、不快だとは一切感じなかった。

唯一残念なのは低速時のステアリングの挙動だ。まるで早く家に帰りたい生徒のように、この車のステアリングは常にそわそわしている。しかし、高速域においてはなんの文句も付けられない。

オーバーステア至上主義の自動車誌に書かれていたこの車の試乗レポートを読んでみたのだが、その著者はメルセデスAMGやBMW M3よりもGS Fを気に入ったそうだ。走る道具として考えれば、私もそれに同意する。それほどまでに出来が良い。

ただ、この車はどうしてか嫌われるようなことをしてくる。助手席に誰かを乗せるとブレーキはキーキー鳴ったし、カップホルダーから飲み物を取り出そうとするとナビがピナーに行きたがるようになる。

レクサスが数年前にコンピューター風のタッチパッドがナビの操作に最適な方法だと決めつけたことがそもそもの問題だ。他のメーカーはそれが間違っているということに気付き始めている。タッチパッドは使いづらいし過敏だし、そもそもタッチパッド自体がカップホルダーのすぐ横に配置されている。

それでもレクサスは方針を変えず、優秀なブレーキや古典的V8エンジンのパワーを楽しむよりもむしろ、画面上の小さなマウスをいかに動かすかに集中しなければならず、結局は操作を間違えてピナーに案内されることになる。

そして、ナビがピナーを目的地を設定すると、別の目的地に変えることはできなくなってしまう。このナビは非常に頑固だ。さらに困ったことに、15秒ごとに新しいルートが見つかったというアナウンスがあるのだが、そんなことを言われてどうすればいいのだろうか。結局、私はナビの提案を聞き流しながら、道路標識と常識を頼りに目的地へと向かった。

他にもたくさんの問題がある。ワイパースイッチの配置は逆だ。ステアリングには数百万個のボタンが付いており、そのボタンを使うとRadio 3の音響を事細かに設定することができる。センターコンソールにある唯一面白そうなダイヤルを操作するとすべてが台無しになってしまう。これを使うとECO(退屈だ)、SPORT S(乗り心地が悪い)、SPORT S+(ニュルブルクリンクでしか使えない)の3つのモードを選択することができる。当然、我々が走るのはニュルブルクリンクではない。オレンジソーダの缶に手を伸ばすたび、ピナーに案内されることになるのだから。

こういった問題はGS Fが先進的すぎることに起因すると言いたいところなのだが、実のところ大したギミックは存在しない。ボイスコマンドもなければ車載Wi-Fiもないし、今や質素なフォードにすら付いているような装備すら付いていない。自動で駐車もしてくれない。私のゴルフGTIすら自分で駐車してくれる。

これだけ装備が少なければ、価格はさぞ安いことだろうと思ったのだが、そんなことはなかった。7万ポンドという価格を見たとき、私は椅子から転げ落ちそうになってしまった。これはBMW M5が買える値段だ。

GS Fは感覚的にはBMW M3と同じくらいに小さく俊敏なのだが、実際の寸法が5mmの差があるとはいえ5シリーズと同じだと知って、今度は本当に椅子から転げ落ちてしまった。不思議な感覚だ。小さく感じる車はえてして素晴らしい。

GS Fには欠点が数多くあるものの、LFA以来の優秀なレクサスだと言えるし、この車が好きだという気持ちは変わらない。

BMW M3やM5を買おうとも別に批判するつもりはない。どちらも素晴らしい車だ。しかし、この2台が最高の車だと考えてはいけない。私の中では、この欠点の多い古典的なGS Fの方が魅力的に思える。


The Clarkson review: 2016 Lexus GS F