イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2006年に書かれたルノー・クリオ ルノー・スポール197のレビューです。


Renault Clio Sport

眉毛でお馴染みのフェルナンド・アロンソは今年あまり調子が良くなく、チームの自分に対する扱いに不平を言ったり、レースがミハエル・シューマッハに有利にセッティングされていると文句を言ってばかりいた。それでも、ブラジルでの最終戦については同情せずにはいられない。

まず、アロンソはフェリペ・マッサに敗北した。マッサはまるでロボットのようだったし、ブラジル人なので地元のテレビ局はアロンソを無視してマッサにばかり注目した。

しかも、これがミハエル・シューマッハがスイスに旅立つ前の最後のレースだった。誰もがこのことを話題にした。フェルナンド・アロンソの2連覇より、ミハエル・シューマッハのF1引退のほうが大きく取り上げられていた。

シューマッハのいないF1はさぞ退屈になることだろう。しかし、誰もが私と同じ意見というわけではない。

F1解説者のマーティン・ブランドルいわく、シューマッハは印象的なオーバーテイクをしていないそうだ。しかしそれは本当だろうか。最後のレースで最下位から4位まで上り詰めたときは違うのだろうか。ジャンカルロ・フィジケラを怯えさせ、コースアウトさせたときは違うのだろうか。

シルバーストンでデイモン・ヒルの後ろについたときは違うのだろうか。何ラップも追いかけ続け、ようやくあるコーナーで隙を突いたときは違うのだろうか。

シューマッハの凄さはここにある。彼は頭を使っていた。フェラーリでシューマッハのテクニカルディレクターをしているロス・ブラウンによると、シューマッハは熱戦の最中にあっても現在の天気について冷静に会話をすることができるそうだ。普通のドライバーならせいぜいうなり声を上げることくらいしかできない。

5速でスタックしてしまい、レースの時間の半分を潰してしまったにもかかわらず、2着にこぎつけたこともある。1996年のスペイングランプリでは豪雨の中で2位をほとんど周回遅れにして優勝した。

もちろん、彼のことを批判する人もいる。スターリング・モスも、2006年のモナコグランプリで車を停めてコースを塞いだ行為は容認できるものではないと語っている。

しかし、私にはどうも納得できない。この行為とクリケットにおけるスレッジングやラグビーにおけるパンチングとの違いが私には理解できない。

彼が車を停めたことでイエローフラッグが出され、結果的に誰も彼より速く走ることはできなかった。つまり、彼はその場にいた他の誰よりも賢明だったということだ。

私が初めてシューマッハに会ったとき、彼はベネトンに所属しており、髪型はマレットだった。彼はとんでもない人物だった。当時、彼の雇用主だったフォードは彼にTop Gearでのマスタングのテストを依頼した。彼は実際にシルバーストンのピットガレージでマスタングに乗り込んだのだが、マイクを装着することは拒否した。この理由は後になって判明した。そもそも彼はコメントをすることすら拒否した。

しかし、それから何年か経って、Speedという番組の制作中、シューマッハに世間で言われているところの「スポーツマンシップに欠けた走り」を見せてほしいと依頼したところ、彼は快諾してくれた。それだけ大人になったということだ。

しかし、完全に成熟したわけではなかった。ブラジルでの最終レースで最下位から4位まで上り詰めたときのことは絶対に忘れられないだろう。そんなことができる技術や攻撃性、それに勇気をもったドライバーなど他にいるだろうか。私には心当たりがない。

ミハエルのいないF1は、腕や脚のない人間どころではない。胴体のない人間のようなものだ。地図からアメリカが消え、スペインに代役を任せるようなものだ。

フェルナンドに同情する理由はもう一つある。彼は自身の2連覇を軽く扱われただけでなく、来年以降はF1最強のドライバーがレースに参戦しないという現実も受け止めなければならない。

ただ、どちらにしても、彼は少なくとも一つの遺産をルノーに残して来年からは新しいチームに移籍する。その遺産というのがクリオ ルノースポール 197だ。

当然ながら、ルノーは何の見返りも求めずにF1に多額の金を投資しているわけではない。市販車にも何かしらのフィードバックが必要だ。そしてこの小さな車こそがその成果だ。

リアエンドを見ると、リアバンパーの下にF1風のディフューザーが付いているのが分かる。素晴らしい。これにより、走行時に車の下の圧力が減少し、下向きの力が働いてグリップが増加する。おかげでスポイラーが必要なくなる。スポイラーもグリップを増す効果があるのだが、直線では空気抵抗が増えるので遅くなってしまう。

それに、前輪の後ろを見るとベントが2つあり、ここから本来であればボンネット内に閉じ込められていたはずの空気を逃すことで空力性能を改善している。

こんな話をルノーのショールームで聞かされたとしたら、きっと感激することだろう。これは単なる2Lの3ドアハッチバックにすぎないのかもしれないが、じっくりと観察すれば世界で2番目のF1ドライバーの姿が見えてくるかもしれない。

しかし、果たしてそうだろうか。ディーフューザーやベントを取り除いたところで、車の性能に大した違いは出ないはずだ。リチャード・ハモンドの給料を賭けてもいい。確かに、風洞の中でコンピューターを使って計測すれば%単位で差が出るのだろうが、人間が運転して比べてみたら違いなど分からないはずだ。

最高速度216km/hの車にF1のフィーリングを付加しようとしても、むしろ改悪にしかならない。実際、デュアルエグゾーストのせいでフロア下にスペアタイヤを搭載するスペースがなくなってしまっている。

ここで一応断っておくが、車として見てクリオは全く悪い車ではない。乗り心地も良いし、コーナリング性能も高いし、見た目も素晴らしいし、エンジンはかなりトルキーだ。

しかし、2LハッチバックにエセF1パーツを付けるのは、洗濯機にフェンダーを付けるような話だ。要するに、ただ間抜けなだけだ。

それだけではない。最近思うのだが、ホットハッチの時代は終わりかけているのではないだろうか。私はずっとホットハッチが大好きだった。実用的なショッピングカートにパワフルなエンジンを載せるというアイディアを気に入っていた。しかし、最近では保険料が高騰しすぎているし、過剰に派手になっているように思う。

顕著な例としてゴルフGTIを挙げてみよう。最新型は確かに素晴らしい車なのだが、実際に走っている姿を見かけることがどれほどあるだろうか。要するに、クリオ197という車は、もはや誰も必要としていない車に、世界2位のF1ドライバーのパーツを無意味に装着した車だ。

私にいい考えがある。小型車にスピードを求めるくらいなら、もっと必要とされている要素を付加したらどうだろうか。その要素こそ、快適性や高級感だ。

ルノーは高級な小型車を作るのに適したメーカーだ。ルノーは1980年代に5 モナコ(日本名: 5 バカラ)という車を作っていた。見た目は普通のルノー・5とほとんど同じだったのだが、レザーなど、あらゆる部分からマイバッハのような高級感が滲み出ていた。

今や、どのメーカーもこんな車は作っていないのだが、今だからこそこういう車を作るべきだ。今の時代、リアディフューザーなんかよりもDVDプレイヤーの方がよっぽど重視されるのだから。

おそらく、アロンソならディフューザーを欲しがるだろう。しかし、既に引退した世界最高のレーシングドライバーならばどうだろうか。結局そういうことだ。


Renault Clio Sport 197